制服姿の息子を見送りながら思う
田舎だからバスがこまめに来ない。
息子を学校まで車で送迎する。
始業時間に間に合うバスはあるけれど、私も早起きが苦手で、早いバスに間に合うように起きられない。
雪が降らない時期は、自転車での通学が許されているけど、学校がある日の塾の帰りは10時くらい。街灯がほとんどないのや、野生動物があれやこれやと目撃されるのや、人が少なすぎるので危険に思って、車での送迎をする。
つまり平日の朝は8時前に学校に送り、10時頃迎えに行って帰宅。もうほとんど顔を合わせない。
「あれっ。○○(息子)、そんなに可愛かった?」とからかう。
「そうだよ。僕、可愛いんだよ」息子は嬉しそうに笑う。
帰宅後も、晩御飯食べながら一緒にお笑い番組を観て笑うだけ。お風呂に入って、最近は息子より私の方が早く寝る。
休みの日も最近は熱心に塾に通っている。
肌が弱くて、体調が落ちてくるとカサカサのボロボロになる。つい心配して「休んでも良いのに」と言うと「行っちゃダメなの?」とムッとされちゃう。
朝も起きるのが辛そうだと、「よく眠れた? 今日も頑張って行くの?」と心配してしまう。寝ぼけながら、首をブンブン縦に振って「眠いけど行くからね」と言われる。
***
中学受験した息子は、自分で望んで入った学校だったので、登校中の足取りが、一応軽かった。
そのためか、知り合いのお母さん方それぞれに、「○○くん、すっごく楽しそうに登校してたよ~」と、何度か報告された。どんなふうに? と聞くと「なんか。○○くんらしくて。楽しそうだった」とクスクス笑われる。
当時、背は小さい方。制服はブカブカで、ジャケットは半ばチュニックのようだった。
後ろ姿はまだおぼつかない気がして、「楽しそうお? 私は心配なばかりだわ」と思っていた。
本人は、背が大きくならないかなあとよく言っていた。みんなみたいに、早くあちこちに毛が生えてほしいと言って笑わせてくれ、声変わりがしてきたら、学校の行事、合唱祭に向けてのパート分けを喜んだ。
宿題をためこみ、発達が少し遅かった息子が一時期、学校行くのをいやがり、その背中がさらに心配でならなかった。そのうちやめちゃうかもと覚悟もしていた。
友達もたくさんできて、それなりに学校を楽しめるようになってからも、「めんどくせー」「ねむたい~」と言って、それはそれは足取り重く、学校に向かっていた。元々内股なので、足の運びが私に似てしまって、頼りなく見えた。何度注意しても靴のかかとを踏み、コートの裾はリュックでめくれて、ああだるそう。
***
さすがに高校二年生も終わる頃、通学に慣れ。
息子は、数週間、数か月単位で人ができるような物事に、年単位かかる。わかっているけど、この5年間、心配したものだったなあ。
登校時の車の中ではウトウトと、首を揺らして寝ている日もある。
帰りには、塾で何を学んだか、あれこれと話してくれる。テストの結果を話してくる。学校や塾の友達の話をしてくれる。
会話がなくなるとスマホを出していじっているけど、でも楽しいひと時。
この前、息子が「いってきます」と車を降りて、その姿を見送っていると、ふと寂しくなった。こうやって見送れるのもあと一年あるかないかくらいなのか。どうしても行きたい大学があるそうだから、そこじゃなきゃいやだと息子が言うなら浪人生になっちゃうかもしれないけど。でも制服姿の息子はどっちにしたってあと一年くらい。
息子はドアを閉めると、こちらにはまったく無頓着にマイペースで歩き出す。私と違って振り返りもしない。夫がそうだと寂しいけど、息子はそんなものだ、と見守る。
最近は、靴のかかとを踏まなくなったし、コートの裾が上がりっぱなしでもなくなった。
チュニックのようだったジャケットは、既に2段階サイズアップで買い替えて、すっかり板についている。
髪の毛は時々ハネているけど、淡々とリズミカルに歩く。
送迎は大変だけど、あと少し、その後ろ姿を見送らせてね。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。