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みんな何かの途中

 始めるのに遅い年齢なんてない。なんて最近時々目にしたり、耳にしたりしますよね。私もそう思っています。

 80代でスマホゲームのアプリを作って楽しんでいる若宮さんて方を知って、「わあ素敵!」と憧れる。彼女は「もっと歳取って外に出られなくなっても、色々な人と喋りたい」という夢をかなえるべく、パソコンを自分でできるようになっていきました。今も活動を広げているそう。

 何度も書いたことがあるが、95歳で亡くなったスタン・リーが私は大好き。彼は、マーベルコミックの原作者で、正義とは何か問い続け、哲学者でもあったと思っている。その原作が映画になって、自分の描いた通りじゃなく、自分の手を離れて監督や制作者側の自由に作品が描かれていても面白がって受け入れ、カメオ出演し続けてくれた。ずっとMCU(マーベル映画作品)を愛し続け、楽しみ続けてくれた。MCUファンも喜んで受け入れ、来日しては東京コミコン(東京コミックコンベンション:ポップカルチャーイベント)などにも参加してくれている。

 そんな風にずっと好奇心を持ち続けていたい。それなりの努力も必要だろう。体が弱っても「へえ!」とか「わあ!」とか心が動く楽しみを大切にしたい。

 それと同時に、「考える」も大切にしたい。
 いくつになっても思索をめぐらせ、それを楽しむ力を持っていたい。
 
 10代の頃に私たちは思春期を迎える。ホルモンのせいもあって、心はおおいに揺れる。その揺れを落ち着かせるのは、結局ホルモンの落ち着きだろうが、思索でもある。体を使ってエネルギーを消費するのももちろん効果はある。そんな人たちもきっと「考えている」だろう。どうすれば上手になるかな、どうすればあの人とうまくやっていけるのか、どうすればあの人に勝てるのか。
 そして一定の結論めいたものが出る。理屈で出した答えは、経験に基づいたものでなかったとしても、それは自分の思考に対する自信となるはずだ。

 20代前半はそれで落ち着いているが、私の場合、20代後半で何だかものすごく揺れた時期があった。この先どうなるのかといった不安がよくつきまとって、迷いがあった。

 30代に入ると、何故だかわからないけれど自信がついてきた。こうすれば良いと自分を強く動かすものや信念のようなものがあって爽快でもあったし、強くあらねばと思っていた。強くなったとも思っていた。
 ただ、20代後半や30代のそれは、個人的なものもあったかもしれない。私が結婚したこと、体力的なものに振り回されていたこと、子供ができたことなどに影響されていたところもあるだろう。

 それが40代に入る直前、すごく変化する。これは何度か書いているが、多くの皆さんが何故だか経験する心の変化らしい。山田ズーニーさんも「17歳は2回くる」で書いている。それはまさに思春期のように、人生について今一度考える時期なのだ。
 それまで信じていたことがグラグラと揺れ始める。あれっ。あんなに強く信じていたのに。当たり前に「こうだ」と言いきれていたのに。

 さらには、「あれっ。人生、意外と先が見えてきたぞ」となってくる。焦って何とかしなければと思う。
 考え抜いた記憶があるが、それによって導き出されたものが何だったのかイマイチよく覚えていない。やっぱりあれは思春期だったのだ。いや、思「秋」期ですね。そのような言い表し方もどこかで見た気がします。とりあえず、考え方に「べき」が減っていき、恥じらいも少々減り、心も自由になっていく。落ち着いたけれど、しばらくすると更年期症状におそわれる。
 40代って意外と身体がしんどいんだ。と知る。

 そして50代に入る頃の夫を見ていると、明らかに体のあちこちが「疲れたよ」信号を出している。

 わりと最近、ほぼ日刊イトイ新聞のコラム「今日のダーリン」で、糸井重里さんが「40代になった頃って老化した、って年寄りぶるんだよね」といったようなことを書いていた。ああなるほど。今の私。まさにそうだ。そしてこういった言葉はとても嬉しい。まだまだだ! ってわかるからだ。少しずつ40代後半、50代になってくると、世間的に偉そうになってくる自分たち世代がいる。
 でも、本当はまだまだなんだ。

 70代超えた人たちを見ていると、60代後半から高齢の方特有の空気が出てくる。貫禄なのか達観なのか。包容力と言っても良いかもしれない。
 ちなみに糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたのは、彼が50歳の頃だ。

 さらに、「アンパンマン」がテレビアニメで開始されたのは、原作者のやなせたかしさん70歳近く。
 最近、映画「RBG」で話題になっているルース・ベーダー・ギンズバーグ最高裁判所判事は、今までの積み重ねがすごいとは言え、今85歳。
 皆さん、まだまだなんですよ、「私たち」も。

 そんな風に、人の好奇心、何かをしたい気持ちを知ると、「長い目」が必要なのではと思う。
 「今」も大切。だけど今、グルグルと葛藤していたり、悲痛な思いがあったり、苦悩していたり、焦ったりしているとする。私も当然そんな時がある。そんな時に思うのは、「いつかこれを懐かしく思い出す時がくる」。そして「長い目で見ると、こんな時も必要なんだ」。

 私たちは、何歳になっても、何かの途中なのだ。何かを心に決めても、突き進んでいても、やっぱり揺れる時だってある。ふと立ち止まってしまう。それを繰り返して少しずつ心も強くなり、人の気持ちもわかっていくようになるのだろう。

 もちろん達成感も必要。ある部分で何かを成し遂げ、「やりきった」と思えたとしたら、それが幸せ。後悔のないよう、思い残すことのないよう日々暮らせたら良いし、それがかなわなくても、それを目指す気持ちでいるのも大事。

 だけど、ある部分では途中であっても良いんじゃない?

 何歳であろうが、ずっと考えていたって、成長しきらなくたって。私たちは幾つになっても何かで揺れ、迷い、葛藤し、発見し、納得し、楽しみにし、笑い。そんな心の動きがある人に魅力を感じ、愛おしいと思う。そしてそんな人に、ワタシハナリタイ。


#エッセイ #始める #何歳でも #葛藤 #揺れ

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。