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生きてるだけでまるもうけ

 いつか更年期症状の話をしようと思っていたのに、急にこんな話までしなくてはいけなくなったとは。私、ガンで死んじゃうんだと思い込んでしまいました。病院行って検査結果知った直後はスキあらば涙が出てきて。
 
 今となっては大げさになってしまいましたが、命に関わるものでもなくはないので、男性の方も読んでいただければ幸いです。

 9か月ほど前、その一年前から出ていた更年期症状が辛くなり過ぎて、婦人科を訪れました。夜中の動悸や吐き気。イライラや不安感。気持ちがもたないと思いまして。あと二週間ほど続いていた生理も気になりまして。
 そこでホルモンを補充するテープをお腹に貼ることになりました。一応、子宮「頸ガン」の検査は終えていました。子宮「体ガン」の検査はきちんとできませんで。これが問題だったんですね。人によってはそういった治療が有効なので、「私の場合」と思って読んで下さい。

 普通、真っすぐ上にある子宮だと(皆さん、図で目にしたことがあるかと思います。人が両手広げたみたいな形してまして、その形状で頭に相当する部分)、そのできるだけ奥にスプーンのような器具で表面を引っかき、その細胞を検査すれば済みます。あっという間のできごとです。

 ところが私の場合、まっすぐではないんです。後ろに折れていまして。「後屈(こうくつ)」と言います。これは若い時から婦人科の先生に聞かされていたので知っていました。
 何が困るかと言えば、生理痛がひどくなりがちなのと、妊娠がちょっとしづらいことくらいでしょうか。それほど困ったことはないのだと聞いていました。

 これが、いい歳になってくると、子宮体ガンの検査をしたいのですが、簡単にできないのだとわかりました。私のは折れ曲がっているから、一番奥の組織を採れないのだと。
 それでその時の婦人科の先生は諦めて、その途中にある壁の細胞を検査してくれる所に出し、「それでも大丈夫」と言われたとおっしゃっていました。

 とりあえず、テープで生理は落ち着いて、次診察に行った時、「生理を人工的に起こす薬」をもらいました。これが辛くて。
 元々生理痛がひどくて、毎回1~2日、棒に振ってしまうほどでした。中学生の頃からひどかったので、何度も検査しましたが、特に異常はなく。ただ痛み止めの「ロキソニン」をのむようになってからは、だいぶラクになって、痛くて辛いけど耐えられる程度にはなりました。
 でもそのテープを貼り、生理を起こす薬をもらってからは、ロキソニンも効かないくらい痛みが辛い。それを二度続けた結果、もう生理を起こすとあの痛みが来るのが怖くなって、のみたくない、と話しました。

 先生も、そんなに痛くて辛いなら休んでみようとおっしゃったものの、やっぱり数か月後にはその薬をのんだ方が体のためには良いのだと、私もネットで情報を得たし、先生もそのように伝えてきたので、のもうと思いました。ですが、あの痛みを思うと怖くてのめない。

 先生とそんなやり取りを2か月ほどやり取りして、ああいよいよのまなきゃなあと思った頃、自然に起きた生理が止まらなくて1か月以上続きました。気持ちも落ち込み、ちょうど背中のおできの手術や、帯状疱疹なんかもあって、だいぶ精神的に参っていました。
 それで大きな病院に変えて、何とかならないかと相談しました。もっと他に処置法はないかと思いまして。

 そこで、テープはすぐに止めて下さいと言われ、子宮内膜症、子宮内膜増殖症、子宮体がんの疑いがあるから検査をしましょうとのことでした。

 以前、麻酔について書いたのは、その検査のためだったんですね。

 やはり本来、長いさじのようなもので子宮の奥を引っかいて検査に出せば良いものを、私のは後屈のため、さじが入らないのです。しかも年齢を重ねたことで、子宮に通る一番細い管が固くなっているらしく、柔らかくするための処置をしなければいけないと。

 マッチ棒みたいなものを入れて、それが何やら柔らかくするためのものらしく、薬がしみこませてあるのか何なのかよくわからないけど、それを入れる作業がめちゃくちゃ痛いのです。

 で昼にようやく麻酔。処置をして下さった先生は、あっさりと成功でした。主治医の方は「固いままだと勢い余って腸を破るかもしれない」とか「そうなったら開腹手術だ」とか「後屈がひどいと背中からだ」とか言うので、もう恐怖心ばかりが膨れ上がっていましたが。とにかく怖い話を気軽に言って聞かせるので、怖くて仕方なかったんですけど、うまくいってあっという間に終わりました。

 そして、検査結果は取り越し苦労となって終わるだろうと呑気に構えていました。

 以前も、胃ガンかもしれないと、10年数程前、検査入院したことがあります。ポリープが少し大きくて形が気になるとのことで。最初聞いた時、もうこの世の終わりのような気分でした。そこらを歩いている人とか当たり前の風景でさえ羨ましく思えて。幼い息子をどうしようとか、色々駆け巡りました。でも結局何ともなかったです。
 当時の息子は、一日私がいなかっただけで、私の帰宅後、理由のない号泣を1時間続けて、気持ちを発散しているようでした。「心配しちゃった? お母さんいなくて寂しかったよね、しんどかったね。頑張ったのかな」と言っている間ずっと、うなずきながら号泣し続けてました。
 
 親不知四本を同時に抜いた時は、1週間の入院。息子は中学一年生、思春期真っただ中に入らんとするところだったけれど、退院日に二人きりにさせてもらい、「お母さんのいない間、頑張った?」と両手を広げたら「頑張った! 寂しかった!」とギュウとしがみついてきました。
 その後息子は、宿題の問題とか精神的に色々と葛藤を抱えて元気になるまで少し時間がかかってしまいました。
 やっぱり何より心配なのは、息子。そして息子を支える夫です。

 でも命に関わることはないから、今後もきっと歳を重ねるまでそうだろうから、私は大丈夫と思っていました。
 今回も、そうあってほしいと。

 でも、結果は思ったより良くなかったんです。
 
 子宮内膜増殖症でした。

 組織に乱れがみられる、それがガンの可能性がなくはないと。「なくはない」。判断が難しいのだと先生は言いました。よくわからないし、今後良くなるか悪くなるかはわからないと。

 乳がんの検査でも注意しなければならない時期がありました。私には影があるのだけど、それはいつものことで、ずっとあるのです。これも経過観察の頃、とても気が重かったのを覚えています。でもその影は何か月経っても何年経っても何かしら変わることなく、とりあえず、数か月おきにこまめに行って変化がなかったため、一年に一回、乳がん検診を受けることにしています。
 ただ今回、組織が乱れているって何だろう。
 似たような検査を受け続けて、経過観察するか、子宮を摘出するかと言われました。

 えええ! そんなオソロシイ手術をしなければならないほどなの?

 あまりに驚いて動揺した私は、しばらく無言でした。
 病院に行くと、心配性の私は質問攻めにするのですが、今回、「怖いと思う気持ち」しか出てこない。
 だからとっさに何も頭に思い浮かばないんです。他人事のように聞くとかでもありません。ちゃんと自分ゴトと思っています。もし子宮摘出すると想定して、その後の喪失感とかそんなものは正直ないと思います。生理痛や自律神経失調がひどくて、なくなるものならなくなってくれとすら思ってしまうのですから。でも、そんな大ごとなのかという今の私の身体に起こっている事実が怖い。
 経過観察で済むならそれでも良いかと思うのですが、毎回、あの痛い思いをして、毎回麻酔して組織を採って検査して、毎回ドキドキ結果を待って、ガンになっちゃったか心配して、ってのが辛すぎて返ってストレスになるかもしれないから、摘出しても良いかなと気持ちが揺れています。

 とりあえず、今回は先生に「えーと…。また次は検査ってことで良いですか?」と聞きました。精一杯、頭を働かせてようやく出てきた言葉です。先生は「そうですね。まだ摘出の決断には早いと思います。一応次も検査して、様子を見るのが良いかと。ただ、その検査がやっぱり前回みたいに、麻酔して一日かかるってことになるんじゃないかと思います」とおっしゃる。
 「そうやって数か月おきに、どのくらい続けなくちゃいけないんですか?」ようやく頭が回ってきます。
 「わからないです。様子を見てその度に判断していかないと」
ウーン。
 
 「次回までに悪くなってるってことはありますか?」
 「あり得ます」
 ウーン。

 まあ経過観察ってそういうことだよな。

 診察終わってから、わーっと泣いてしまいたいような、泣いてくたびれるのもいやだと思っちゃいましたが、帰りの車の中でも家でも何度も涙が流れてしまいます。

 そしてこの後、心配し過ぎて、婦人科外来にまた電話して「10月まで私は何をしていれば良いのか」などと聞きました。すると「どうしても子宮を取り出しましょうとか、手術をできれば早くしましょう、って今の段階で主治医の先生が言ってないんだったら、経過観察だから、そんなに心配しないで、ただ悪くなっていかないか、今は見守っていくだけですよ」と言われ、少しほっとしました。
 これから何か起きるかもしれないけれど、まだ何も起きていない状態だから、心配し過ぎるなということですね。私の主治医さんは、伝えなければいけないこと、可能性や疑いも包み隠さず話してくれるのはありがたいですが、多分伝え方があると思うのです。私はその辺を強く感じやすいから、余計に恐怖心や不安にかられたようでした。 

 今後は定期的な検診が必要です。毎回麻酔が必要な一日がかりのものかもしれず、それがストレスで大変なら、或いは悪化したら、子宮は摘出です。

 ***

 今回強く思ったことがあります。

 私なんて仕事もしていない、家事もそこそこにしかせず、身体も弱い、っていうか身体が弱いから仕事も家事もそんな感じなのですが。そんな私がますます病弱となると、いったい何のために生きているのかという気分にもなるのですよ。

 今年度から2年、大雑把に言えば4年、町内会と関わらなければいけない番が回ってきていて、それが負担だから会合には出たくないと夫に訴えたところです。こうなるともう、私にいったい何の存在価値なんかあるのかとか思ってしまうんです。
 
 でも。

 私の一番の願いは、夫と息子が安心し、笑って暮らしてくれることなんです。
 こんな私でも、ご機嫌に暮らしていれば、夫も息子も安心しているはずです。
 辛い時には辛いと言うし、イヤなことはイヤと言うし、怒る時もあるし、泣いても良い。感情を閉じ込めずに、そしてできるだけ楽しく笑って暮らしていたいです。

 もう、何かしなくちゃとか、何もできない私はダメだとかそんなことでクヨクヨするのもやめたいです。もうもうダメな私だって良いです。二人が安心して笑っていられるために、私はただ楽しそうに生きていたい。
 生きているだけでまるもうけなのです。さんまちゃんにとっても、重たい重たい信条を、しみじみ実感します。

 だから何だと思われるでしょうが、気持ちがしんどくて、ちょっとだけ皆さんのnoteを読めませんでした。
 もうどうしようもできないから、今後はせいぜい早寝して、リラックスして過ごそうと思います。

 また次回から、いつもの私に戻ります。これを前提に、いつもの私に戻れると思っています。そしてその頃には皆さんのも読めるようになっていると思います。今回はちょっと重たくてごめんなさい。もう少し元気になるまで、もう少しもう少し、ごめんなさいね。
 でもこの文章を載せられるようになったので、間もなく復活して皆さんのを読みに行けると思います。

 その時にはどうぞよろしくお願いします。

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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。