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食べ物の好き嫌い

 ああお腹いっぱいとブツブツ言いながらお皿を流しに持って行く。
 洗い物をしながら、食いしん坊な私はいったいいつ頃から好き嫌いが減ったっけと、何度も考えてきたことを久しぶりにまた思い返していた。何故好きだったのだろうとか、嫌いな物はいつまでだっけとかまで及び。
 以前も書いたかもしれない食べ物の好き嫌いについて、また書きたくなった。

 幼少期、大好きだったメニューは、チーズピザとケチャップ付きホットドッグとラビオリ、チーズグラタン。物心ついたころにはニュージャージーで暮らしていたためもあって、すでにジャンクな物は大好きだった。チーズとケチャップソースは中でも好きだった。
 ピザはチーズだけ乗せたピザをお店の人に頼む。それでもお店の人は、6~7歳くらいの私が「チーズだけで良いの」と言うと、目を細めて「どうぞ」と手渡してくれる。
 何かちょっとしたことがあってイタリア料理店にごちそうに行くと「ラビオリが良い!」と頼んでいたし、保育園に行く前は飽きもせず「チーズグラタン」が大好きで食べ続けた。
 マクドナルドでは当然チーズバーガーを頼んだ。
 でもチーズバーガーは本当は好きなポイントが別にあって、ピクルスが入っているからなのだ。ピクルスの入っていないチーズバーガーがあちこちであるけど、特別好きでも嫌いでも何でもない。
 ピクルスと同じくらい好きだったのがブラックオリーブ。輪切りじゃなくて種を抜いたまるのまま。ちっちゃい私が5本の指先にはめてそこから直接食べるという行儀の悪さで母に笑われていた。
 「ママはおぎょうぎわるいと、いつもおこるのに、どうしてこれはおこらないの?」と聞くと「そんなのは良いのよ。外ではやらないでね」と何故かこれだけは毎回笑って許されていた。

 こうやって書くと丸わかりだけど、私はベタに野菜が苦手だった。
 アニメ「ポパイ」に憧れて、ほうれん草だけは好きだった。私もあんな力こぶを出すんだと鏡に向かって何度もポージングするのだけど、わずかにぷくっとするくらい。ポパイみたいにもっと力持ちになるのだ! ―の思いは、私をほうれん草へと駆り立てた。

 日本に帰国すると、あらゆる物が美味しくて、野菜の多くを克服した。
 10歳頃には、だいぶ野菜を食べられるようになっていたけど、セロリとトマトがなかなか強敵だった。細かいところで言えば、火の通ったコク深い大根とか和菓子のあんこも苦手だった。でもこういったものは努力しなくても、成長するにつれ当たり前に食べるようになった。

 20歳の頃には嫌いな物はごく限られていたのだけど、この辺りから胃が下り坂に入る。

 25歳の頃に、初めて胃が拒否した外国料理。その後も挑戦したけどなかなか大変に目にあい、以降、怖くて食べられない。
 35歳頃には、激辛がダメになってしまった。以前はむしろ得意な方だったのに。
 そして40代の頃、青魚を食べる度に翌日まで胸やけと胃もたれが苦しく感じるようになった。身体に良いのに。火を通してもダメなようで、缶詰もダメに。50過ぎた最近では魚肉ソーセージに青魚入っているとダメらしいと気づく。たぶん少しなら大丈夫だけど、まるまる一本は胸やけするみたい。しょんぼり。

 苦手なものは、アレルギー反応もあるかもしれないので、最近では子供にも無理強いしない考えが主流のよう。でも毎回、胃もたれしている自分を思うと、妥当な考え方じゃないかなと思う。ショックが強いと命に関わってしまうし。
 息子もおそらく薬でアナフィキラシーショックを受けたことがあって、この子どうなってしまうのと怖くて仕方なかった。のどがどうしてもかゆくなる食材もあるらしく、人がいないところでその食材を口にしないでねと伝えておいている。

 さて。
 そういったものとは別に、幼少期から食べられない物もある。
 いちじく。柿。ザクロ。らっきょう。ただこれらは日常的に出るものでもないし、それほど支障をきたさない。
 一つだけ困っているのが生玉ねぎ。
 火を通すと甘くなって好きな部類に入るのだけど、生がどうしても苦手なのだ。子供っぽい気がしてなるべく内緒にしてしまう。
 耳にキシキシ響く歯ざわりとその瞬間に広がる香りが何ともつらくて、いまだにえづいてしまう。
 サンドウィッチやサラダにちょこっと入っているだけで「玉ねぎ入っている」と敏感に気づいてしまう。
 これってもう一生、克服できないんだろうな。

 でも血圧に効果あると言うし、夫はぽっちゃりなので、なるべく玉ねぎやネギを積極的に料理に使っている。
 ところで嫌いな物に対する表現が豊か過ぎる。夫に「それはもう好きなのでは」と言われてしまう。

 ホントね。好きなら良いのに。
 ネギは大好きなのよ。
 




読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。