世の中もお笑いも、時代と共に進んだら良いなあ
アナログも物によっては良い。新しい物は使い慣れずついていけない。それでも今年49歳の私は、「古き良き時代」を推してはいない。
ちょっと前の、私が20代の頃。ちょっと前よ。「レトロ」が流行った時期があった。平成に入ったところで、昭和30年代後半~40年代を懐かしむムードが一時期あった。当時の街並みを再現する施設ができたり、昔の商品を並べて「可愛い」と言われたり。若い私は、すっかりそれに乗せられて「ノスタルジックで良い雰囲気!」って思っていた。今も時々どこかで見かける。
母と出かけた時にも、そういった施設を見かけたため、「こういう昔の感じって良いよね」と、母の気持ちに近づいたつもりでいた。すると「こういうの好き? お母さんはこの時代を思い出してイヤだわ」と言った。
えっ。そうなんだ。
「なんで?」と無邪気に聞いたら、「給食もマズくて食べるのが辛かったのを思い出す。当時は貧しくて不便なことも多かったし、街も汚いものだったし。大変だったのよ」と止まらなくなってしまった。
ああ。そうだったんた。
私自身も帰国直後の7歳の頃。昭和で言えば53年。家庭のトイレはまだ汲み取り式と言って、水洗じゃなかった所もちょこちょこあった。田舎に行けばまだまだそっちの方が多く、祖母の妹の嫁いだ先の家は、五右衛門風呂だった。薪に火を入れて、それでお風呂を熱くする。
それよりさらに10年以上前だったら、もっと不便だっただろう。
古いからって、すべてが「良き時代」なわけではなかったんだと、母の言葉で知った。
今はどうだろう。
たとえばバブルの頃を、古き良き時代って言うかな?
当時の華やかな生活を、武勇伝みたいに話す人がいるけれど、私は当時から斜めに見ていた。
だけど、そうやって身構えたものでなく自然に受け入れていたものの中に、今思えばおかしな感覚のものもたくさんあった。
今の若い人たちは、身の丈を知っていて、頑張らないだの言うけれど、私は昔が良かったとも思わない。
昔だって頑張らない子は全然だった。私も頑張らない側。息子は頑張る側。だからって、今の子の方が頑張るわけでもないらしいし。いつの時代だって、様々なタイプの子がいる。
最近、時代だなと思うのは、お笑いだ。
今はコンプライアンス(法令遵守)が厳しくて、昔の方が伸び伸びしていた。好き放題にしたり、企画が実現したりしていた。そういうのを観たからって、世間が実際にそのようになるわけでもない。そんなの家庭の問題。きっと今でもそうだろう。ネットの方で伸び伸び好きなようにできているようだし。
だけどさ。昔からお笑いをそれなりに観てきた私は思う。
今のお笑いの方が好きかもしれない。
第七世代と言われる子たち、それより上の世代でも、みんな制約ある中でも充分面白く笑わせてくれる。
幼少期からお笑い好きだったけど、痛いのとか熱いのとか汚いのとかセクハラっぽいのとか、私は好きではなかった。いや、きついジョークも、下ネタも大笑いはしていた。今だって。でも度が過ぎると、私は笑えない。チャンネルを変えたりテレビから離れたり。
今は確かに厳しすぎる面はある。何かあると、すぐネットや世間に叩かれ尽くす。観ている側が、家族で話し合うチャンスすら与えられない窮屈さを確かに感じる。表現の自由だって守られるべきだ。
でも火が出るとか、痛くてヒーヒー言ったりしているのを私はずっと笑えないでいた。女性が男性に容姿を執拗にいじられるのもイヤな気分だった。女性同士で悪く言い合うのも好きではない。少しだと笑えるけれど、その加減て、エスカレートするもので。お笑い芸人だから、その加減を調節して、あるラインまでは笑える程度。その程度であっても、プロじゃない私たちが仲間内でマネしようとして、傷つけるだろう。
以前、ある番組で、「窮屈だ」って話題になった時、私より少し年齢が下のお笑い芸人が「今は今の時代に合った笑いで、笑いを取れば良い」ってすぐに言った。その直後、少し上の世代の方が「でも制約多すぎて息苦しい」って反論していた。「今の時代に合った笑いで、笑いを取れば良い」と言った彼は、イヤミや皮肉で過剰に言って、ただの悪口に成り下がる時があるけれど、ネタの時、個人を特定しないし、そもそも「その時代に適応すれば良い」って柔軟な姿勢でも笑いを取れる自信があるんだと感心した。
時代の流れってそういうことなんじゃないかしら。その時代に合ったものを、これから未来を担う人たちに委ねるのもまた一つの方法。
私は、古き「良き時代」とは思わない。昔の良い部分だってもちろんあった。残しておきたい大切な物や考え方もたくさんある。でもすべてがベストなわけではない。今の良い部分もある。それぞれに良い部分、至らない部分はある。互いに固執せず改善していけば良いなあ。
そして、もし自分が無理して我慢してきたり、傷ついてきたりしたことは、頑張ってきたんだからと「それを正当化して引き継ぐ」んじゃなく、そんなバトンは自分で終わりにしたい。すべての人がそうはいかなくても、声は上げたいな。