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幼稚園児代からの息子の友達関係を思い返し、気づいた息子の良さ

 高校生の息子は、私から見れば割と自然に誰とでも話せる方だ。もちろん苦手なタイプを目の前にすると押し黙っているし、自分では人見知りだと思っているようだけど、それくらいは自然で良いのではと思う。
 歳を重ねてくると、とりあえずの世間話をするようになるし、誰彼かまわず声を交わせるようになっていくのだから。(大きな独り言とも言う……)

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 息子の小学生の頃は、決まった友達が学年の中に数人いるくらいで、あとはその場にいる同級生、特に誰ともなく話せるようだった。
 でも家に友達を呼ばない。一人で過ごすか私と遊ぶことを好むので、むしろ私が疲れていた。誰かがやってきても自分で断っちゃう。気が向けば遊びに行く程度。
 
 学校では、休み時間にたくさんの子と鬼ごっこをする時もあったようだけど、本を読んでいる方が好きらしかった。本を読んでいる時は放っておいてほしい。が息子の常々の主張であり、邪魔する子にはプリプリ怒っていた。

 実は息子、ひどくマイペースでインドア派なのに、何故か運動神経が良くて目立つ子に好かれやすかった。私もその傾向があって、私は息子ほどマイペースでもないし(と自分では思っている)、息子より運動はできたし(と自分では記憶している)、幼稚だったのに、大人びた子たちに守られ、クラスを引っ張っていくような子たちに気に入られるような子供だった。

 そう言えば息子が小学生の頃、近所でいじめっ子がいて、その子に対して体を張って守ってくれた子がいる。やっぱりその子も活発で、運動神経抜群の子。あの子は優しくて、でもどこか寂し気だった。
 

 さかのぼって幼稚園の頃。
 色白で目がパッチリまつげバサバサ、ほっぺたふっくらの息子に対し、色黒で涼し気な目のさわやか男子と、入園間もなく親しくなった。「こんなタイプの子と親しいの?」と、私が嬉しくなってしまった。彼は4月生まれで、12月生まれの息子の常に前を歩いていた。いや実際走っていた。

 その友達はあっという間に補助輪なしの自転車に乗り、逆上がりをし、息子の追いつけない速さで走っていた。或いは手を引っ張ってくれていた。

 でも彼はとても繊細だった。息子の気難しい意味での繊細さとは違った感性の鋭さや繊細さがあって、私にとっても可愛くてならなかった。
 例えば、そこのお母さんが「昨日の夜さあ、セミが地上に上がるからお別れ、っていう話を読んだら、泣き止まなくてなかなか寝てくれなくて」と困っていた。
 例えば朝、幼稚園の駐車場に着いても、車から降りてくれないとよく困っていた。

 息子も登園時に泣いていたけど、ある時期からサッと行くようになった。(帰宅後の泣きはずっとひどかった)その友達は、息子が靴箱で泣いていると先生を呼びに行ってくれたのに、自分は時々車から降りないのだった。そして息子は迎えに行くわけでもなく。

 息子が風邪をひけば、神社に行って「早く風邪が治りますように」とお祈りしてきたと言っては、ウチにお見舞いに来てくれた。でも息子はその子が風邪をひいて休んでも「別に良い」と、お見舞いに行くわけでもない。

 あくまでもドライな息子。私は、その繊細で優しい彼にちょっぴり憧れたものだった。

 年少さんでオムツが取れた時、その子は一緒に喜んでくれたけれど、年中さんになっても息子がボタンを付けられないと、嬉々としてボタン付けを手伝ってくれていた。ボタン付けをできるようになると、その子は「できるようになっちゃったの?」と残念がり、それを聞いた息子はニヤリと笑みを浮かべたらしい。

 一度、大喧嘩をしたこともある。息子の様子が毎日おかしかった。いつも以上にかんしゃくと泣きがひどいので、注意深く聞くと、その友達と喧嘩したと言う。「嫌いって言われた!」と大泣きしてしゃくりあげながら教えてくれた。
 その子のお母さんと連絡を取り合い、そっと見守ろうねと話した。
 間もなく二人は仲直りした。 

 年中さんの途中で、その友達のお父さんの転勤が決まった。

 車で行けるような距離ではなく、最後の一週間をできるだけ遊ばせてあげようと、そのお母さんと計画を立てて一緒の時間を過ごした。


 ちなみに、そこのお母さん、けっこうな虐待を受けて育ったサバイバーだ。

 息子二人を育てながら、「自分がこんな風に育ってないから、一定の結果が出ると嬉しい反面、その結果に対してどう接して良いかわからない時がある」と言っていた。

 私だってそうだ。私は虐待は受けていないけれど、やっぱり親と違う接し方をしてきたから、息子が、私とこうまで違うかという性格を露わにし、予想外な反応をしてきた時に、どうしたら良いかわからない。

 「わからないよねえ……」

 お互いの子供が興奮してハシャぎ遊ぶのを、二人で呆然と眺めていた時間が何度かある。

 そのお母さんと離れるのも辛かった。

 でも関西の実家に帰郷する時、途中下車すると会えたので、時には訪ねて子供同士は遊び、親同士で話した。こちらに親戚もいないのに、親子でわざわざ訪ねてきてくれた時も何度かあった。

 気を遣わず親戚のような間柄で、息子はよく笑いが止まらなくなっていた。涙が出るほど、声が一瞬出なくなるほど笑う息子を見て、友達もよくつられて笑っていた。

 最近また思い出したので、「○○くん(その友達の名前)と、どういうところが合っていたんだろうね」と聞くと、「なんだろうね~わからないんだよね~」と言う。

 今の息子の友人たちはまたその子とタイプが違う。どちらかと言えば息子と似ている側の子が多い。それでももしかしたら、すごく運動神経良くてたくましい子が、本当は息子のことを可愛らしいと思ってくれているのかもしれない。一人、かなり仲の良い子が生徒会の役員をし、授業中も息子をいじるなど、目立つ子がいるけど、合う話は漫画やゲームや好きな音楽らしい。

 うーん。考えてみたけど。

 もしかしたら、息子は対抗意識が少なく、あったとしても純粋に「やったあ勝ったー!」「うわあ負けたー!」って程度で、自分よりスゴイ人を「スゲーー!!」と、心から褒めるからかもしれない。とふと思う。

 そういう部分でだけ言えば、裏表が全然なく、心に秘めたるものもなく、無邪気に「すごいんだよ、あの子」と思っている様子だし、実際に言葉にする。普通ならちょっと距離を置きそうな人にも、良いなと思う所があれば「スゲー」とかキラキラの目で直接言っちゃう。

 ……可愛いヤツめ。

 と思いながら、自分にもそんなところがあるかも。時々嫌いそうになる自分の無邪気さを思い、息子を通して、うっすら自分のことが好きになれる。むふふ。私まで便乗しちゃったよ。それも悪くないな……。

#エッセイ #息子 #人間関係 #友人  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。