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映画を面白く観ることができる、お得な性分

 一年くらい前から、映画を観た後に、必ず感想を書くことにしている。書かないと、内容を簡単に忘れていってしまうからだ。

 20歳前後、もっと昔の名作を含め相当な数、映画を観ていたのに、内容を覚えていないのはもったいないと今になって思う。当時はまだそれほど好みが固まっていなかったので、父や兄の好みもあわせて、あらゆるジャンルの映画(怖いもの以外は)を観て楽しんだものだった。


 この前、美容室で手に取った雑誌の中に、映画の特集が組まれていて、懐かしいものがたくさんあった。オードリーヘプバーン、イングリッドバーグマン、グレースケリーの映画の数々。他に、監督だとチャップリンやヒッチコックなど白黒映画の時のもの。「シャレード」「アパートの鍵貸します」なんて、タイトルを久しぶりに観て、わあ観た観た、好きだった、懐かしい!という気持ちになったのだけど、いかんせん内容を全然覚えていない。好きだった!懐かしい! ……のに、どんなだっけ。どこがどう好きだったかなんて、当然話せない。ジェームズ・ディーン主演のものだって幾つか観たはずだし、そのうち兄が懲り始めたウディ・アレンの作品もかなり観たのに、やっぱり覚えていない。覚えていることは「観た」という事実のみ。

 もうそんなの観たうちに入らないじゃないか! 

 なんてもったいないのだろう。しかもまた観たいとか思わない。確か年に100本以上のペースで、二~三年位は観続けたのを覚えている。今、それを消化しようと思ったら、五年以上はかかるのではないかと思う。

 そうやって今は、もったいないという気持ちから、記録として書いて残そうとしているわけなのです。大抵の映画を(怖いもの以外は)楽しめるのを、我ながら得な性分だと思う。

 「えっそんなに良かった?」もあるけど、だからと言って「イマイチだった」とはならない。周りの評判を聞いて、「えっそんなに良かった?」となった後に、「でもあそこは面白かったなー」となる。

 その代わり、その映画を観て泣く=良い! ともならない。主役クラスの登場人物が最後の方で死んじゃう映画がとても苦手だ。「マイガール」も「ガーディアンズオブギャラクシー2」も号泣しながら観る大好きな映画だけど。でも後味悪い映画は、大泣きしながら「観なきゃ良かった」と思うことが多い。ただそれは、単に悲しくてその悲しさに自分が疲れる、というだけなのだ。怖い映画も、緊迫する映画もそう。怖くてただ自分が疲れたから、観なきゃ良かったとなるだけで、内容が悪かったと思っているわけではない。私、映画など(音楽や本や漫画やお笑いネタ、文章も)作り上げた作品に関しては、博愛主義だと思います。

 なので、たとえ「観なきゃ良かった」と悲しくなっても、そして万が一、好きではなかったとしても、批判する気持ちにはならない。好きとかそうでもないとか、すごく個人的な気持ちだし。そういった批評で仕事になるプロでもないし。大切な人と、そっとその気持ちを分かち合うだけで充分。

 多分、自分の中の特性みたいなものだと思うのだけど、その中に入り込みやすいからというのもあると思う。怖いものは集中できないけれど、この人どういう思いなのかなという想像力が膨らんで、自分でも持て余して困るほどに入り込んでしまう。時々、現実世界とわからなくなって、余韻に浸る時間も長くなってしまう。色々矛盾とか不自然な場面があっても、「あそこおかしいよね」とか後で、一緒に観た人と話しつつ、心が動かされた方をクローズアップするので、何に対して、どんな風に感じたかの方が大事になる。

 そんなわけで私は映画批評には向いていない。ただただわいてきた感情についてとか、こんなこと思い出したなあとかについてを書きたいだけだ。そういうことに思いを巡らすのが好きなので楽しんでいるし、「ふーん」程度の映画でも、こういうところが面白かったよね、を見出す。それが私の映画の楽しみ方。

 あと付け加えておくと、夫が以前、「どこかで読んだんだけど、つまらない映画はない。つまらなく映画を観る客がいるだけだ。って誰かが書いてたよ」と(この時点で誰かの受け売りなんだけど)ドヤ顔で話していた。でも私もそう思う。それ、私もドヤ顔で言ってみたい。とりえあずここに書いてみた。

※ところで、昨日のnoteが、「編集部のおすすめ」に挙げられていました。初めてのことで戸惑いましたが、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

#エッセイ #映画 #観方 #楽しみ方  


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。