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マイノリティの「つながらない権利」の記事を読んで

これらの記事を読んで、ああこれだ、と思った。
前々から心のどこかで思っていたことが引っぱり出された感じ。

単に“つながらない権利”で検索すると、
労働者が勤務時間外に仕事のメールや電話を拒否できる権利、
というのが出てくるけれど、この記事のはそういう意味ではなく、
マイノリティ、何かしらの障害のある人などが、
何かのコミュニティに入ったり、支援につながったりすることが、
普通は、良いことで、そうあるべきと思われがちだけど、
つながると逆につらかったり、つながってなくて幸せという場合がある、
どんなふうならつながったほうがいいのか、最低限のつながりとはなにか、
というような話。

こどもがホームスクーラー(不登校)になる以前、私の中では、
やはり学校や習い事や趣味で、何かの集団に参加できるなら参加して、
人とつながっている方がこの子の将来的に安心材料になるのではないか、
と考えていた。
一方では、でも家にいる限りうまくいってて楽しそうで、
集団に入ると何かしら心配事が出てくるから、
ほんとはずっと家にいてみてあげる方が平和だなあ、と思っていて、
でもそれは思っちゃいけないことのように心の奥に押し込まれていた。

集団に入る方が世間的な価値観に合っているから、
自分の中でもそちらの考えに引かれがちで、
こどもがものすごく嫌がってるわけじゃないのに(少しは渋っていた)、
幼稚園に行かせないとか学校に行かせないとかいうことは、
外部の人どころか夫すら説得できないと思っていた。

結局、3年生の時にこどもが登校にものすごい拒否を示してくれたので、
いまの平和なホームスクーラー状態になったけれども。
でも、それでもどこかで、マイクラ仲間とか、友達が要るんじゃないか、
という考えは残っていた。

しかし、私が思う以上に、こどもは一人の世界が楽しそうで、
ちっとも出かけたりしたがらないし、
オンラインのサークル的なものにも入りたがらない。
時々しゃべりたくなったら私や夫と話して満足している。

なんで?と思う一方でなんかわかる気もする。
私も、学校などで友達と話している時は何となく楽しい気持ちになったけど、
帰ってくると、あの子がこう言って私がこう言って、と会話がぐるぐる回って、
疲れたなあ、と思うことも多くて、
学校のキャンプや修学旅行は、よその人と夜まで一緒にいるなんて安まらない、
と行く前からひどく憂鬱で、なんとか休めないかと思ってたし、
家で本を読んでいるのが一番好きだった。
人と居たいか一人でいたいかの割合が、私もこどもも一人時間の割合が多い。

記事にもあるように、つながりがなくても幸せに生きていけたらいいけれども、
一人暮らしで無収入で支援にもつながらなかったら生きられない場合もある。
うちのこどもの場合、必要最低限のつながりが何であるのか、
私と夫が元気なうちに見つけないとな、と思う。