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貝拾いとカニ

父は潮干狩りが好きだった。「貝拾い」と言っていた。
新聞で大潮の日を見て、休みが重なると、「貝拾い行くか」と母に言い、
都合がつけば家族で、つかなければ一人で、年に何度も行っていた。

何歳の時だったろうか。近くの海に行って、
父が本気でアサリを掘っている間、潮溜まりで小魚を見たりしていて、
ぶらぶらしているうちに砂浜でカニをつかまえた、というより拾った。
こどもが両手で持つほどの大きさのカニが簡単に捕まったのだから、
だいぶ弱っていたのだろう。
父に見せに行くと、「おお、すごいじゃん」ウホホと笑った。
父に喜ばれてうれしかった。

アサリと一緒にバケツに入れて帰ったカニを、
その夜、両親が当然のように酒蒸しにしようとしていた時、
私が「飼いたい」と言ったので父は「は?」ってなっていた。
母も「ええ?飼うの?どうするだん?」って感じだったと思う。
多少もめた気がするが、父はカニを食べるのをあきらめた。
水槽に適当な塩水を入れてカニを入れた。

もともと弱っていたカニなので水槽の中でほとんど動きもなく、
いちおう生きている、という様子で数日が過ぎた。
私は、このカニは海に帰してあげないといけないのではないか、
海に帰れば元気になるのではないか、と思い始め、
そのうち心配でたまらなくなり、父にそれを訴えた。
父にすれば、カニを食べそびれた上に、すぐにもう一度海に行く予定もないし、
どうしようもなくて困ったのだろう。
しばらくはああだこうだ言い訳をしていたけれど、私が何度も言うので、
「しょうがないな。カニを持っといでん」と言って立ち上がった。

水槽からカニを出して父について行くと、父は車の横を通り過ぎた。
海に行くのではないのかな?と思いながら黙ってついていくと、
そのまま歩いて近所の川に向かった。小さな小さな川の、橋の上。
父は立ち止まると「ほい、ポチャン!」と下を指さした。
え?ここから落とすの?この高さで大丈夫?しかも海のカニを川に?
などの疑問が頭をかけめぐった。
けれど、お父さんが言うんだからいいんだ、と思えるくらいには幼かった。
カニは私の手を離れてスーッと落ちていくと、
底の石が見えてるような浅い川に、パシャ、と着地した。
カニは水槽にいた時と同じようにじっとしていて、
橋の上からでは生きてるのか死んでるのかわからなかった。
私たちは家に帰った。
その夜、お父さんが言ったんだからあれでいいんだ、
と何度も自分に言い聞かせて私は眠った。