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マフラーをのばす?(編み物)

夫は、私が昔編んだマフラーを毎冬使ってくれている。大事にしてくれてるのか、それしか持ってないからなのかは微妙なところだけど、この冬も使ったそれを洗濯して干していたら、
「それ、そろそろ伸ばそうかと思って」
と夫が言った。

のばす?何を言ってるのかわからなかった。たしかに少し縮んできてるけど。
「引っ張って伸ばすってこと?それともアイロンで?」
「アイロンは去年やったけど、そうじゃなくて、編み足そうかなって」
編み足す???????
それも私に編み足してと言うのではなく自分でやろうとしてる?
「ええと、お父さん編み物したことないよね?」
「うーん、一回くらいあるようなないような」
あるとしても家庭科の授業でちょっと、とかだよね?
「いやいやいやいや無理無理無理無理」
全力で止めながら夫の思いつきが意外すぎて笑いが止まらなくなってしまった。夫を馬鹿にしているわけではなく、意表をつかれて。

すごいな。よく知らないと逆にそんな難しいことをしようと思い立つのか。
夫は何が無理なのかわかってなさそうだったので、
このマフラーはちょっとややこしい編み方で両面に違う色が出るようになっていて、使った毛糸は細めだし(つまり編み目が細かい)、十何年前に隣町の毛糸専門店で買ったイタリアの毛糸で、同じ糸はたぶん見つからないし、編み方の本ももう持ってないし、同じくらいの太さの違う毛糸を使って簡単な編み方にするにしても、端から目を拾うとか、とにかく私でもようやらんくらいの作業だから、やめたほうがいい、短いなら巻きかた変えて使ったら?と説明したら、
「そう?」
と一応あきらめたようだった。

あれはなんていう編み方だったかなあと検索してみると、たぶんこれ、というのがあった。
リバーシブル編み、またはフィッシャーマンリブ編み、というらしい。

私は30代くらいから、編み物をすると手がしびれてきたり肩こり頭痛がするようになって、最近は全然しないのだけど、編み物は時間と手をかけた分だけ形になっていくので楽しかった。

子どもの頃(昭和の終わりごろ)、母や祖母は編みものをしていた。近所の編みもの教室に習いに行っていたこともあった。母は機械編みを習っていた。家族の採寸をして、毛糸を選び、模様を決めて、ゲージをとって、かぎ針で一目一目カチャカチャと機械に糸をかけていき、ジャー、ジャー、と編み機を動かすとみるみる生地になって出てきて、くるくる丸まってるのをスチームアイロンで真っ直ぐにして、それを毛糸針でとじて服にしていく。

いつも新しい毛糸を買うわけではなかった。古いセーターをほどいて、ラーメンみたいに縮れた毛糸を「かせ」にして、ぬるま湯につけて癖をとって、干して、大きい輪になってるのを私の両手に持たせて、丸い毛糸玉にくるくる巻き取って、糸が弱って切れたところは「はた結び」でつないで、巻くのに飽きたらかせを持つ人と玉に巻き取る人が交代して、ってやって何玉も巻き取り、それをまた新しいチョッキなどに編む、という作業を毎年のようにやっていた。

だんだんと、買ったほうが安い、とやめてしまった。今はもうあんな風に手間をかけている人はずいぶん減ったのだろうな。やっている人も、生活としてじゃなく趣味でという感じなんだろうな。

でも、編み機、で検索するとnoteの中にも記事がいっぱいあった。その中で、

この記事を読んだら、そうそう、そういう時代だったんだ、と懐かしかった。