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鳥のカワラヒワで思い出すことあれこれ

自分の名前に選んだカワラヒワという鳥について思い出してみて、
約25年の振り返りになった。

一つめの思い出。
二十代のころ、家でのんびりしていたとき、窓の外を見ていた父が
「あの鳥は何だね?いまきれいな声で鳴いとる鳥。何ていう鳥だん?」
と聞いてきた。
「カワラヒワだよ」
「は?そんな名前知らんなあ。昔はおらなんだと思うがなあ」
「スズメと一緒によくおるよ」
「そうかねえ。知らんなあ」

父との話はそれで終わったけど、私はいつカワラヒワを知ったのだったか。
記憶をたぐると、学生の時だった。

それは二つめの思い出。
研究室が決まって最初に教授のところに行った時、
「ああよかった。他の子みんなもう来て最後の一人。
なかなか来ないから心配してたんだよね」
「すみません・・・」
「いや、よかった。それで、きみは院に進みたいの?就職?ああよかった。
院に来たいって言ってくれるのはうれしいんだけどね、
いま、院出てもなかなか研究者として、はけていかないんだよね。
就職なら卒業研究は気楽に楽しんで。何をやりたいの?」
そうか!自分で決めるのか!と、とっさに考えて
「哺乳類か鳥類がいいです」と言うと、
「ああ、鳥だったらね、もう一人やりたいって子いるから2人でどう?」
「ああ、はい」
「それでね、鳥だったらボクじゃなくて隣にすごい先生がいるから」
と隣の部屋(だけど同じ研究室)の教授に卒業研究を見てもらうことになった。

その、鳥をやりたいもう一人の子と、河原や湖に調査に行き、研究室に通った。
ぼんやりと生き物全般が好きでぼんやりと研究室を選んだ私と違い、
その子はほんとに鳥類を研究したいと決めて入ったようだった。
それだけ私より野鳥に詳しくて、いろいろ教えてくれたんだった。
2人で外を歩いてると、「ハトに2種類いるって知ってる?」とか、
「白サギの見分け方わかる?」とか、バードウォッチング入門編みたいだった。

公園とかでいっぱい群れて小さい声でクルクル言ってるのがドバト。
デデポポーって鳴くのがキジバトで、首にウロコ模様があって、
だいたい一羽二羽でいるけど、ドバトの群れに混ざってることもある。
白サギは足の先だけ黄色いのがコサギで、めっちゃ大きいのはダイサギ、
チュウサギはあんまりいなくて、群れてて頭に亜麻色のついてるのがアマサギ。
カラスはクチバシの形か鳴き声でハシブトガラスかハシボソガラスか分かる。
・・・などの見分け方のポイントを教えてくれたり、
ヒヨドリの頭のボサボサが好き。見分けやすいから。猛禽類は目がかわいい。
・・・などといった話から、
どこどこは野鳥がいっぱい見れるから朝早く何番のバスで行くといい、とか、
そうだ、それ以前に、一番最初に、
「双眼鏡持ってる?どこで買う?おすすめの店、一緒に行こか」
と初心者向けのを選んでくれたこともあって、その帰り道、
「いいの買えてよかったなあ」とにこにこしていた、穏やかないい子だった。

当時は就職氷河期の真っただ中だった。
私たち2人は就職はあきらめ、とりあえず卒業して、それぞれ地元に帰った。
それきり連絡もとってないけど、あの子、にこにこ暮らしているといいなあ。

カワラヒワのことも、あのころ駅から河原に向かう田んぼ道で聞いた気がする。
スズメと一緒に群れてるからスズメと思われてたりするけど、
よくみると色が違うし、飛んだら翼に黄色いところが見える。
スズメのチュンチュンとは違うきれいな声で鳴く。

おかげで父の質問に答えることができた。
父は田舎育ちだからきっとカワラヒワに出会っていたと思う。
スズメだと思っていたのかもしれない。
スズメとは違うけど名前のわからない小鳥、と思っていたのかもしれない。
父は鳥を全く知らない人ではなく、
「見ん。あそこにケリがおる。ケリはケリケリって鳴くだよ。知っとるかね?」
と言ったり、フクロウが好きで花鳥園に見に行って写真を撮ったり、
メジロのために半分に切ったみかんを庭に置いて、「来とる。来とる」(小声)と
うれしそうに家の中からそっと見てたりした。

三つめに思い出すのは、数年前に買った本。
『トリノトリビア』(川上和人/マツダユカ/西東社)
4コマ漫画と文章で身近な鳥が紹介されている。
私が読もうと思って買ったら、こどもが結構おもしろがって読んでいた。
中でも気に入ったページがカワラヒワのところだった。
「ひーまーわーりー」と漫画のセリフをまねては何度もゲラゲラ笑っていた。

そんなにうけるのなら、と、こどもと一緒に登校していた時、
「あれ、カワラヒワがあそこにいるよ、ほら!」
と指さしたら、全く反応がない。
赤ちゃんのころから、あれ見て、と何かを指さしても、まず見てくれなかった。
たまに見ようとしてもあさっての方向だったりした。
そういう子だからまあ見ないか、とあの時は気に留めなかった。
今思えば、行きたくない学校へ向かっている時にそんな気分じゃなかったか。
鳥を見るどころじゃなかったんだろう。
あの頃の私の耳に、ホームスクールにしたら?とささやきたい。

指さしても見ない、といえば、私が幼いころ、祖父が私について、
「あいつは『見よ』って指さしとるのに見やせんで反対向いとる」
とあきれて言っていた記憶がある。それを耳にして思ったのは、
ずっと上の方でなんか指してたって小さい私には見えないんだもん、
見る気がないわけじゃないのに私がとろいみたいに言われても、てことだった。
私が、見て見てと言ってるとき、こどもはどんな風に感じてるんだろう。

さいごは、去年のこと、noteとtwitterのアカウントを作ろうとした時、
何かいい鳥の名前はないか何時間か悩んでいた。
私は、アンケートなどで仮名が必要な時は、鳥の名前を使っていた。
noteのを作ろうとした時はいくつか気に入った鳥の名前は既に使った後だった。
できれば違うのにしたいし、好きな鳥にしたい。
こどもの本棚から『図鑑NEO 鳥』を出して何周も見て、こどもから、
「もうなんでもいいじゃん」と言われた。
夫には「もう遅い。決まらんなら今日は時間切れや」と言われた。
ああ〜!と焦って、じゃあこれ!と深夜にやっと決めたのがカワラヒワだった。

アイコン画像にカワラヒワを描こうかとも思った。
どうにも上手く描ける気がしなかった。
こどもに、何か描いて、と言ったら寝る前にサラサラっとiPadで描いてくれた。
普段のこどもが気合い入れて描く絵にくらべると力が抜けている感じ。
でもそれもいいかも。
パンダにパソコンの絵になった。
パソコンの画面が青で描かれてるのはなんでだったっけ?とこどもに聞いたら、
「ブルースクリーン。Windowsでクラッシュした時の。有名だよね」
有名なのか。知らなかった。
こどもから聞く話に私の知らないことがどんどん増えていく。
いつのまにかそんなことも知ってるのか。そんなことも考えてるのか。
この子がいなかったら触れることのなかっただろう世界。
おもしろいなあと思う。