シューベルトの『冬の旅』
寒波で連想したのか、先日の夜ふいに『冬の旅』が頭の中に流れた。
「おやすみ」「菩提樹」などの断片が次々と。
『冬の旅』といえば、高校の音楽の授業だった。
記憶では、最初に先生が、
「〇〇(音楽雑誌)で毎年行われる投票がありまして、それはですね、
無人島に一枚だけCDを持って行けるとしたら何にするか、というものです。
それで〇年連続で一位だったのが『冬の旅』なんですね」
という話をして、へえー、となったところで、
次に詩の内容や、ピアノ伴奏が菩提樹の葉っぱを表現してるとか、
歌詞のドイツ語の意味の説明があって、CDを聴いて、
教科書に載っていた菩提樹を歌った。
ずいぶん暗い曲なのに無人島でこれが聴きたい人が多いのか、と思った。
私だったら何のCDを持って行くだろう。『冬の旅』ではない気がした。
でも無人島に『冬の旅』のCDがあったら聴くのも良いような気がした。
家で父のCD棚を見ると、『冬の旅』のCDがあったのでかけてみた。
聴きつけた父が「冬の旅、聴くかね」とうれしそうに、
「カラス、っていうの聴いたかね?」と言う。
「カラス」っていう曲が『冬の旅』の中にあるけど、地味なほうの曲だと思う。
「カラス聴いてみりん。かわいそうで涙がちょちょぎれるに」
父のお気に入りは有名な「菩提樹」や「おやすみ」じゃなく「カラス」なのか。
さみしい心細い感じ。なんでこれが好きなんだろう。
のんびりした父の中に「カラス」と共鳴する何かがあるんだろうか。
ちょっと心配になった。
そのときの私は「カラス」にはそれほど心惹かれなかった。
何が響くかは人それぞれだなと思った。
あれから30年。
最近は時間と機器の都合でCDを取り出して聴くことがなくなってきている。
あえて今、一枚のCDを選ぶとしたらどれだろう?
ずっと聴いてない今でも思い出せるCDは、相当に気に入ってたはず。
最初に思い浮かんだのは交響曲のCD。
父が持っていた中の、モーツァルトの39、40、41番が入ってた一枚。
表に指揮者のジョージ・セルの顔がついてて、
聴いていると音がない瞬間の静けさがすごくて、シーンとした気持ちになった。
ラヴェルの「夜のガスパール」と「クープランの墓」のピアノのもよく聴いた。
“バッハ・トゥ・ザ・フューチャー”っていうジャズっぽいのも面白かった。
自分で買ったCDならシューマン「クライスレリアーナ」と「子供の情景」の。
それとも中学の吹奏楽部だった時に父が買ってきてくれたスーザのマーチ集。
私のだけど父も気に入ってたザビーネ・マイヤーの“シングシングシング”。
フジ子・ヘミングの、紙のケースに入った、見ているだけでもきれいなの。
・・・なかなか決められないけど私は器楽、管弦楽がいいかも。
頭に冬の旅が流れた次の朝、テレビをつけたらBGMで冬の旅が流れた。
昔の誰かについての番組で、その人の心の支えが冬の旅だったらしい。
ほんの一部しか見なかったので、後日、それの再放送を見てみた。
坂本直行さんという人だった。
六花亭の包装紙のお花を描いた人!
六花亭は新婚旅行で帯広本店を訪れた。
本店でしか食べれないサクサクパイを夫がどうしても食べたかったから。
それ以来なんとなく六花亭は特別で、生協で扱われているとうれしい。
しかしあのきれいな包装紙からは想像できなかったけれど、
北海道開拓の大変な人生で、農業や登山や、たくましい人で驚いた。
番組の中で「おやすみ」が二回流れた。
同じテンポでてくてく歩く感じの曲が合っているなと思った。
気になってたものがたまたま目に入ってくるこういう偶然はおもしろい。
それがまた別の知ってるものにつながっていくのも。
高校の音楽の教科書には、ドイツ語の歌曲のほかにカンツォーネやシャンソン、
いろんな言語の曲が載ってたのを思い出した。
「帰れソレントへ」いまも意味がわからないまま原語の音だけ思い出せる。
イタリア語の方言だったっけ、と確認すると、ナポリ語だった。
Wikipediaでナポリ語の歌詞が載ってたので読んでみる。
そうそう、こんな感じだった。同級生たちの声で思い出される歌。
頭の中は冬の旅からカンツォーネになった。