強迫観念を洗い出す・夢を持つ人は素晴らしいのか

このように言う人がいる。「夢を持ちなさい」「あきらめなければ夢は叶う」「置かれた環境に関わらず努力すれば夢は叶う」「夢を持つ人は素晴らしい」等々。
いまをときめく有名人やアイドル、学校医の先生、政治家、PTA会長、ミュージシャンなど様々な人、それも多くの人の注目を集めて影響力の強い人ほどそのように言う。

校長先生のスピーチ同様、なんとなく聞き流してはいるけれども、あまりにもいろんな人が「夢」について語るので強く記憶に残っている。人によっては「うんうん、その通りだ」と、真面目に聞いているかも知れない。

自分の人生はいったいなんだろう?夢を考えるたびに私達は混乱する。時に「夢」は今の自分を「そのままで本当にいいの?」と脅迫する。
時には疲れややる気の喪失をものともせずに努力している自分を奮い立たせたりする。

そもそも夢とはなんなのか。

職業?

確かに、学校教育の中では将来の夢を聞かれれば職業を答えるのが暗黙の了解となってはいるが、そうじゃない人もいる。世界中を旅したいとか、平穏無事に暮らしたいとか、自分が望むことなら何でもいいみたいだが。

平穏無事に暮らすというのは案外難しいことだが、学校の先生の受けは良くない。長期的な目標、特に職業が好まれる。人によってはそこで無難に公務員と答えたりする。

夢は何でもいいとは言いつつ、好まれる夢と、そうでないものがある。

好まれる夢というのは「なりたい自分」を表現しているかどうかできまるようだ。「投資家になって世界の金融を独占したいです」と言えば白い目で見られるし、「医者になって発展途上国の病気を撲滅したいです」と言えば称賛される。「ニートになって金持ちの奥様のヒモになりたいです」と言えば鼻で笑われる、「道路を渡れないで困っているおばあちゃんを助けたい」と言えば明日できるだろと笑われる。そういうものだ。

自分の欲望よりも、社会に貢献することそして長期的なもの、実現するのに一定の努力を必要とするものが好まれるようだ。ずいぶん注文が多いな。注文の多い料理店か。(狩人が山奥のレストランを見つけ、書いてある注意書きにしたがって奥に進んでいくと自分達が料理されていることに気づくというアレ)

さて、自分の夢を人に話せば、ちょっぴりドキドキ、ワクワクするのだが、(あなたはしない?)同時に、夢がかなわなかった場合のことを考えて不安にもなる。それは、夢を持ち、表明したことで約束をしたような気持ちになるからだ。

それは契約に似ている。「努力」という対価を支払うことによって「夢」という報酬を得るのだ。一度決めたことを実行し、実現すれば素晴らしい人であり、実現できなければ努力したけど何もない人?努力が足りなかった人?宝くじみたいに雲をつかむような話だ。

では、夢がかなわなかったら過去の自分との約束を破った人になってしまうのだろうか?契約違反だろうか?

そんなことはない。

約束した相手は他ならぬ自分なのだから。状況が変わることもある。気持ちが変わることもある。勘違いに気づくこともある。そこで得る成長もある。未来のことは誰にもわからない。

どうやら、夢を持つことは約束や契約の類いではないらしい。子どもの頃の夢が実現したという人はほんのひとにぎりだし、それが自然なことだ。

ではなぜ夢を持たなければいけないのだろうか?叶うかどうかもわからないのに?

法律で決まっている→No

夢を持たないと不幸になる→No

夢を持たないと人として認められない→Never!

実際問題、必ず夢を持たないといけないわけではないらしい。夢を持たなくても警察が飛んでくる心配は無用だ。

ではなぜ夢を持たないといけないと思ってしまうのだろうか?

それは、繰り返し、繰り返し、聞かされてきたからだ。夢を持たないといけないような気がしてしまう。夢をかなえた人が素晴らしい気がしてしまう。所詮、根拠など何もない。

え?実際素晴らしいじゃん、夢を叶えた人って?

そう思う人もいるかも知れない。
努力し続けてなりたい自分になったんだよ、と。

私はそういう人に言いたい。素晴らしいって何が?素晴らしいとは何かを具体的に説明して下さい。
素晴らしいって何ですか?

好感?尊敬?見習うべきだと思った?

まず、その人を尊敬できるかどうか、それはインターネットの画面越しではわからない。実際に付き合ったり関わったりしないことには素晴らしさがわからない。
その辺のホームレスのおじさんが人格者だったりすることもあるだろう。
マスメディアの宣伝により、夢を叶えた人が素晴らしいと思っているだけで、実際に素晴らしい人かどうか付き合ってみないとわからない。そういうものだ。

夢を持つ人は素晴らしいという気持ちに根拠などないのだ。

いまをときめく有名人やアイドル、学校医の先生、政治家、PTA会長、ミュージシャンなど様々な人、それも多くの人の注目を集めて影響力の強い人、が繰り返しあなたに吹き込んだのだ。

夢を叶えた人は素晴らしい、と。


このように、誰かを素晴らしいと思う気持ちが、マスメディアや校長先生、有名人によって人工的に作られたものであることは明白である。

自分の生き方は自分で決める、無理をしない、そういう心の持ち方をしない限り、人工的に作られた好感に左右されて本当に大切なことが見えなくなってしまう。

それこそ新興宗教の洗脳みたいなものだ。「幸せとは神に尽くすこと」とか幸せの意味や定義を定められてしつこく繰り返し教え込まれてしまうと、自分を犠牲にして苦痛を選ぶことが幸せであると信じてしまう。そういうことを繰り返すうちに本当の自分の気持ちを見失い、システムに順応する自分を本当の自分の気持ちだと錯覚してしまうのである。

そもそも夢って何?
人それぞれ夢は自由ってわりに要求が多くない?
なんか勝手に夢の定義を決められてない?
夢に関して無意味で根拠薄弱な称賛が多くない?
幸せって本当に夢の先にあるの?

それを考えることが、夢に関する呪縛を解く鍵になるだろう。その時こそ、本当に自分らしい生き方を模索していく道が拓けるだろう。

反論はぜひ、コメント欄にお願いします。

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