ワンランク上の人と付き合いたい人へ勧める家庭文化からの脱出

noteには収入アップとか自己啓発とかそういう系の記事が多いので便乗してみる。

親や家庭、または施設などの、それに値する環境は生まれて初めて接する社会である。そこでものの考え方や価値観が決まってしまうと言っても過言ではないが、それによって困ることも多々ある。

家庭の常識、家庭文化。しばしば家庭文化の中には世間の常識とあまりにもかけ離れたことを常識としていることがある。それによって、世間に出た時に恥をかいたり誰かを傷つけてしまったりすることも少なくない。

外に出て就学や就職をする場合、家庭文化の常識は世間の非常識であると気づく必要性に迫られる。生まれ育った環境では当たり前だったことが世間では当たり前じゃなかった場合、ショックを受けたり親に対する不信感を抱いてしまうこともある。そういうことを乗り越えて、新たな自分なりの常識が形成されてゆく。

しかし人によってはこの時に「何か変だな」とか、「世間では通用しないのかな」と気付いたりすることができないままに人と接し続けることもある。なぜ気づけないのか、自分が常識だと思っている態度や人に対する接し方を変えられず、学校や職場を自分の過ごした家庭の延長線上に置いてしまう。

私の場合は学校や職場に、私のおかしいところを指摘してくれる人がいたのでそれほど大きな衝突を生まずに済んでいるが、家庭文化を他所に持ち込んでトラブルに発展している人はけっこう多いような気がしてならない。というか、トラブル、とまではいかなくても人から嫌われる言動をしてしまう原因の9割近くは家庭文化を他所に持ち込んでしまうことにあるのではないかと思えてならない。

単純に気づかないということもあるのだけれど、家庭文化を他所に持ち込んでしまう原因の1つとして、安心したい、安住したいという気持ちがあるだろう。人から好かれたい、尊敬されたい、嫌われたくない、という人ほど強い不安に囚われている。それ故に安心を求めてしまう。それは自慰行為に近い。自分で家庭文化を持ち込んで自分で安心感を得ようとして。不安だからこそ、自分にとって安心感のある家庭文化を手放せないのであろうか。

1つ上の自分を目指したいとか、もっとレベルの高い人と付き合いたいとか、そういう欲を持って背伸びしようとするとき、家庭文化は邪魔になる。これから自分が属しようとする集団の常識に合わせることが必要になってくる。

そうは言っても背伸びは疲れる。誰かが自分を嫌いになって次々と離れていったとしても、残った人というのはおそらく、とてつもない宝物であり稀有な人材と言えるだろう。

それに、家庭文化にも悪い側面だけがあるわけではない。良いところもある。おそらく、誰かの持ち込んだ家庭文化を他の誰かが良いと思って真似した結果広がった、良い世間の常識というものもあるのかも知れない。そう考えるなら、自分の属する世間の常識を学びつつ、そして自分の家庭文化を小出しにしつつ、誰かの良いと思った家庭文化を真似してみるのも良いかも知れない。

私がおすすめする、他者と接する際の不安や、自意識に囚われて周りが見えなくなることへの対処法がある。それは、うまくやろうとしないことだ。よく思われたい、尊敬されたいと思うことは常に逆効果にはたらく。

私は口下手で話すのがそんなに上手くない。人とうまくやろうとしてもできない。頭の回転も遅いから受け答えも周回遅れだ。人に気をつかったり、上手いことを言ったりできない。その結果、人の話を聞く側に回る機会が増えた。私が一生懸命聞くことで、相手もたくさん話してくれる。人の話をよく聞くことで人をよく観察するようになった。そうすると、人が自分に気をつかってくれていることにも敏感になる。それを観察することでどうやって人に気を使ったら良いのかを学ぶことができる。

まずは学ぼう、それからうまくやろう、という2つのステップを踏むことで誰かの地雷を踏んでしまうリスクや、自意識に囚われて他人が見えなくなることも少なくなる。まずは欲を捨てて傍観者としての自分から始めてみよう。

己の欲を捨て、良い悪いを捨て、優劣を捨てて、まっさらな心で観察してみると人の世は面白い。



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