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環境ビジネスの光と影

ecommitの理念が生まれたきっかけ

ちょっと大げさなタイトルですが、昨今、新聞などでSDGs、サーキュラーエコノミーといったワードを目にしない日が珍しいほど世の中の注目が集まる環境ビジネスですが、その注目の裏側にある『影』の部分について、エコミットの理念でもある、『本当に世の中に役立つ環境ビジネスを追求する』という一文が生まれたきっかけと共にお話していきたいと思います。

この一文の中で特に意識しているのは『本当に』という部分。わざわざ、世の中に役立つ環境ビジネスを追求する、ではなく、『本当に』世の中に役立つ環境ビジネスを追求するとしている背景には僕は海外で本当じゃない環境ビジネスをたくさん見てきたからです。

環境負荷を起こしていた環境ビジネス

実は世の中には表向きは『エコな○○』とうたっているのにもかかわらず、実は裏側で環境負荷を起こしてるモノや事がたくさんあります。
何が本当に環境不可低減に貢献しているモノ、コトで、何がそうでないのか?それはなかなかに判断が難しく、広告費をがっつりかけて表向きを徹底的に綺麗に見せてしまうと、もはや見分けるのは不可能に近いのです。

実体験

それは2010〜2011年頃、まだ創業間もない頃の事でした。まだまだ売上規模も小さく今に比べれば小規模だった当時、小型家電製品のスクラップ無料で回収します!壊れていてもなんでもOK!エコアクション(当時はやたら『エコ』という言葉が使われていた)にご協力ください!などとうたって回収をする業者や、大手量販店などでも新品を販売するために何でも下取りします!下取ったものは都市鉱山として環境負荷低減に繋がります!というような文脈で回収をしている大手企業もありました。

その背景には壊れた小型家電製品をほとんど何でもスクラップとしてkg単位で買い取ってくれる買取業者がいたからです。多くは中国系の企業で、買い取ったスクラップは重機でぐちゃぐちゃに潰されて港に積み上げられ、船で中国へ輸出されていたのです。
買取価格は高い時で40/kg以上にもなり、弱小企業であった当社にとっても簡単に売上利益を稼げる事業として沢山の家電製品を集めて販売していました。

ただ、そうしながらも心のどこかで『こんなにボロボロになった家電スクラップが本当に全てリサイクルされているんだろうか?なぜこんな高値で取引されているのだろうか?』
という疑問が湧いていたのです。

『よし、見に行ってみよう!』

ということで、
当時お付き合いしていた中国の企業の数名にお願いをしたところそのうち一社だけが承諾してくれて、現地に連れて行ってもらうことになりました。

道中は割愛しますが、中国のとある村に到着した僕はガイドの方と二人で日本から送られてきたであろうスクラップがどのようにリサイクルされているのかを目の当たりにすることになりました。

※当時のお取引先のことを考え、企業名や詳しい場所などは伏せたいと思います。

そこは町全体がスクラップのリサイクルの町になっていました。日本から来たであろうスクラップたちが大まかに分類され、それぞれの工場と呼ぶには質素すぎる施設に運ばれ女性子供含め、多くの人が手作業でスクラップを解体していました。家電の中の電線だけを取り除いている人、コイルのようなものをハンマーで破壊して中の動線と金属に分けている人、解体された基盤だけを集めている人、と施設ごとに役割分担されているようにも見えました。

それだけなら立派にリサイクルされているように見えますが、町を歩くと少し離れたところに多くのプラスチックが山積みにされて燃やされたような後が町の至る所にあったり、基盤を薬品に浸けて大きな鍋で煮る工場のようなところがあり、目が痛くなるような刺激臭がしたり、真っ黒になった河川や、ガラスくずがまかれた道をサンダルで歩く子供たち、家電などに使われる電線の山の近くで地べたに座って素手で作業する若い女性たち…。

町全体が『リサイクルの町』として生計を立てている反面、裏側では水質汚染や大気汚染などの環境汚染に加え、多大な健康被害に繋がっている状態でした。とても適正なリサイクルとは言えない状況と、この元を辿ると日本、そして僕たちが送っているものにあると思うと段々と気分が沈んでいきました。

『これはリサイクルではない、環境負荷そのものだ。』

2013年のものですが、当時の様子を記事にしたものがあったので貼っておきます。

この惨状に加担してしまっている自分、何も知らずに『エコ』と謳う日本企業、日本から買い付ける中国企業に対する憤りと、とても安全とは言えない環境で仕事をする女性たちや、何も知らずに無邪気に遊ぶ子供たちに対する哀れみのような複雑な心境のまま帰路につくことになりました。

たどり着いた結論

帰りの道中、『なにが悪いのか、どうすれば良いのか?自分に何ができるのか?』を一人でずっと考え込みました。飛行機まで大分時間があったのですが、どこかに寄ってお土産など買う気にもなれず、数時間もの間空港のベンチで手帳に書き込んでは消して、書き込んでは消してを繰り返しました。

そこでいくつかの結論にたどり着きました。

1、 とにかく、すぐに中国向けの取引を中止して、適正循環を確立させること。

これは小規模事業者の僕らにとって苦しい決断でした。帰国して当時30名程度だった仲間に見てきた惨状を伝え、すぐに取引を中止することを伝えました。

販売を継続すれば40円/㎏の売上が入るのに対して、日本国内で適正に処理を行える大手リサイクル企業に出荷した場合には処理費用として−10円/㎏程度がかかります。つまりお客様からも処理費用をいただかなくてはならなくなるため、同業他社と比べて悪い条件を提示しなければなりません。
はじめは大きな損害が予測される状況に反対するメンバーもいましたが、
『子供たちに胸を張れる仕事にしていこう!』という説得でみんなが賛同してくれました。

しかし、残念ながら、写真を見せるなどしてお客様にも現地で見てきた実情をお話し、どうにか適正処理にご協力くださいとお願いしてまわったものの、処理料金が発生することがわかると半分くらいのお客様は他社に乗り換えられ、一時的に売上は激減し、大変苦しい時期もありました。
中には、

『それは中国で起きてることでしょ?我々には関係ないから』

と言われることもあり、それでも売り上げのことを考えると頭を下げなければならない状況に虚しくなることもありました。

今振り返ると、自分たちの力の無さだったと思いますが、環境よりもビジネスが優先される現実に打ちひしがれ、創業当時に誰かに言われた『環境ビジネスは儲からない』という言葉が繰り返し頭に浮かび、苦しかったことを覚えています。

2、 誰かを悪者にするのでなく、システムの変革を目指す。

現地で感じた憤りは、無知だった自分自身に向け、システム全体の根本課題を探り解決策を見出すことに集中しました。
現地で働いている人たちは生計を立てるために必死に働いていて、環境負荷に繋がっているとは思っていません。買い付ける中国企業も同じです。彼らを責めるより自分たちを責めるべきですし、誰かを責めたところで何も解決しません。

帰国してすぐに関係の在りそうな書籍や文献をかたっぱしから読み漁り、その中で出会った一冊が2010年頃に発売された『国際リサイクルをめぐる制度変容』という研究双書でした。

国際資源循環に関する課題や規制の方向性、逆に海外から日本へ再生資源の輸入を促進する考え方など大変参考になった一冊でした。
特に関連の深い文献を書かれていた先生を訪ねて国立環境研究所に行ったり、そこからさらに大学の先生を紹介していただいて直接相談にのっていただいたりと、大変お忙しい中にも関わらず無知で無鉄砲な若造の話を丁寧に聞いていただき、色々と教えていただきました。ここでの出会いはのちの事業構築においても大変貴重な縁となり、僕らの理念に大きな影響を与えました。

3、 適正な国際循環を目指す。

色々な本や文献を読み漁る中でたどり着いた自分なりの答えとしては、

現状の仕組みには、リサイクルの手法やその後の処理など、技術的な問題や、輸入規制を守らない不法輸入などの大きな課題はあるものの、国際循環の方向性自体は間違っていないのではないか

という結論でした。

というのも、仮に日本で家電などに含まれるプラスチックや金属をリサイクルしたとすると、とてつもない人件費がかかり、現実的ではありません。
また、仮にきれいに解体分別されたとしても、資源を必要とするのは製造国である近隣のアジア諸国であり、すでに消費国となった日本では使い道が限られているという状況だったのです。
で、あれば日本で集められた廃家電などの資源が、適正にアジアへ輸出され、日本のメーカーなどが主導し、日本の技術と現地の労働力を掛け合わせ、手解体と機械での解体をうまく組み合わさることで品質の高いリサイクル原材料をつくりだし、日系企業によってふたたび製品に作り替えることが出来るのではないか。
そうすることで、製品になったものが再び日本に輸入され、日本で使われた後、企業などにより回収されたものが資源として再び生産国に輸出され、適正にリサイクルされる『国際循環』が確立できるはず。
やがてそのリサイクル拠点がハブとなり、日本だけでなくアジア各国でも回収され、適正に資源が循環される未来が作れる。さらに、その仕組みがロールモデルとなって、ヨーロッパとアフリカや北米と南米など、同じように起こっている先進国と近隣の発展途上国のギャップによって生まれる環境負荷が解決できる!さらにさらに、循環の仕組みが出来てしまえば、今度はメーカーとタイアップして循環を前提にした商品を作ることで、いずれ、『ごみの無い世界が作れるのではないか』と夢を膨らませました。

その後

僕の中で芽生えた答えを実現させるため、足元の事業をどうにかまわしつつ、環境省、経産省、国立環境研究所や大学の先生を何度も訪ねたり、日本の先進的なリサイクル技術を持った企業に相談に行き、どうやったら現地で最適なリサイクルフローが作れるのかを模索しました。

その結果、現地の生産力と日本の技術(手解体と機械選別)をバランスよく組み合わせれば、一定の品質を保ったまま、多くの資源が循環させられる仕組みが出来き、どうしてもリサイクルが難しい一部の廃棄物は日本へ戻すことで適正な国際循環が実現できる道筋は見えてきました。あとは現地でこの循環を主導してくれて、尚且つそこで発生する再生原料を使ってくれる日系メーカーが見つかれば、、、。

残念ながら当時は輸入規制を強化し資源物を海外に出さない政府の方針によって、そもそも日本からの輸出、海外での輸入それぞれに高いハードルが設けられ、この仕組みを実現させることはできませんでした。今考えると、当時の僕らにとってはあまりにも大きすぎる計画でした。事業規模も小さいうえ、当時は今ほどリサイクルやサーキュラーエコノミーなどが重視されておらず、仮にハードルをクリアしたとしてもまともに話を聞いてくれるメーカーさんは見つからなかったかも知れません。
また、輸入規制が強まった結果、僕が訪れた町には日本からのスクラップは届かなくなったのと、中国国内でも適正化が進み、大幅に改善され、当時のような惨劇は解消されたと聞いています。

一方、日本国内で完結するリサイクルを余儀なくされた国内市場は一気に機械によるリサイクルが進み、破砕され有用な金属は自動で取り除かれるものの、破砕されることで素材が混ざってしまうプラスチックの殆どは『残渣』として焼却、結果的に埋め立て処分場を逼迫する状況となってしまったのも事実です。

決意は変わらない

残念ながら当時は実現できなかった国際循環ですが、約10年たった今もこの考えは変わっていません。
寧ろ世の中の環境に対する課題感は加速し、リサイクルの技術革新が進んだ今、資源の国際循環の必要性はさらに高まっていると感じています。
自分たちの企業規模も当時の数倍の規模になり、まだまだ小さいものの、色々な大企業と連携して事業を行えるようにはなってきました。
『いつか必ずチャンスが来る。』
その時に備え、一歩一歩進んでいます。

当時の実体験に加え、今まで何度も環境ビジネスの光と影を目の当たりにし、その都度、『本当に世の中に役立つ環境ビジネスを追求する』という思いが強くなり、ecommitの理念として醸成されていきました。

『本当に』世の中に役立つ環境ビジネスを追求する。

過去に一部でも環境負荷に携わってしまったことに対する罪滅ぼしの気持ちと、だからこそ、多くの人に現実をしってもらい、同じことが繰り返されない未来を創りたい。
正直、まだまだ道半ばですが、これからもこの理念を軸に、事業を拡大させ、世の中全体の環境課題を解決できる企業を目指していきたいと思います。
大事なのは見せかけだけでなく、偽ることなく、『本当に』世の中に役立っているかどうかを追求することです。しかも持続可能なビジネスで!!

そのうち僕らが定義する『本当に』の基準について詳しく解説したいと思います。
今日も最後までお付き合いいただき有難うございました!

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