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水道をつくる【BooQsのビジョン】

少し前までは、日本でも、水で命を落とす人々がたくさんいた。

途上国では、現代でも水によって、毎年多くの人々が亡くなっている。

それも水難事故ではない。

不衛生な飲み水によってだ。

一方で、現代日本では、飲み水が原因で亡くなる人はほとんどいない。

何故だろうか?

馬鹿げた質問だと思わないで欲しい。

あなたは、水質や衛生管理、不衛生な水の引き起こす疾患について、途上国の人々に比べて、どれほど多くのことを知っているだろうか?

少なくとも、私はほとんど知らない。

あなたもきっと同じではないだろうか?

現代の日本人がもつ水についての知識は、一昔前の日本人や、今の途上国の人々と比べて、大して差はない。

つまり、私たちが、水が原因で亡くなっていた人々に比べて賢くなったわけではないのだ。

しかしなぜだか、私を含めたこの無知な人々は、今日も死なずにすんでいる。

これは考えてみれば、とても不思議なことだ。

この不可思議を解き明かす鍵は、『水道』という優れたシステムにある。

水道は、自動で衛生的な水を供給するシステムだ。

水道が、どのようにして清潔な水をつくり出しているのか?
なぜ全国いたるところに清潔な水を届けられるのか?

その詳しい仕組みは、利用者であれ、ほとんどの人々が知らない。
まるで魔法だ。

私たちがかろうじて知っていることといえば、蛇口をひねると何故か水が出てくるということ。
そして水道の水を飲むことは、泥水を飲むことよりもずっと健康的らしいということくらいだ。

しかし、たったそれだけの「水道に関するわずかな知識」だけで、私たちは今日も生き延びている。

これが、システムの力だ。

システムは、システムを利用する人々を、わずかな知識で、賢い人間と同じように振舞わせるのだ。


『知の社会実装』としてのシステム

知識というものは、人間だけが占有できるものではない。

知識は、システムとして実装することによって、社会にも与えることができる。

そして、一人の人間に知識を与えても、救える人たちは数え切れるほどだが、
システムという形で社会に知識を与えれば、より多くの人々を救うことができるのだ。

たとえば、あなたは汚水を清潔な真水に変える浄水方法についての知識を得ることができて、その知識をもって、あなたと身近な数人を水由来の伝染病から救うことができるかもしれない。

しかし、もしもあなたがその知識を用いて浄水設備を作り上げて、人々清潔な水を提供するシステムを作り上げることができれば、あなたは数人どころか、顔も知らない何百人、何千人の人々を伝染病から救うことができる。

このように『知の社会実装としてのシステム』には、賢い個人を超えた大きな力がある。

言い換えれば、知識は啓蒙するより、実装するほうが社会的インパクトが大きいのだ。

私たちの文明は、人々が賢くなったことによって発展してきたわけではない。
今の世界は、私たち紀元後のホモ・サピエンスが、ソクラテスのような紀元前のホモ・サピエンスよりも賢く進化してきた結果ではない。

仕組みや設備といった『知の社会実装』すなわち『賢いシステム』に従うことで、人々が賢く振る舞えるようになったからこそ、文明は発展してきたのだ。

実際のところ、水道を利用している私たちでさえ、水道の仕組みは理解してはいない。
しかし、水道というシステムに従うかぎりにおいて私たちは、あたかも水道の仕組みを理解している人々と同じように、清潔な水を飲むことができるのである。

『知の社会実装たるシステム』によって、人々は無知ながら賢く振る舞えるようになったのだ。


システムは、文明を発展させる。

「オートメーションバカ」という言葉がある。
これは「オートメーション(自動化)されたシステムによって、私たちの能力は、昔の人々に比べて退化しているのではないか」という批判だ。

その批判はおそらく、的を射ている。

システムは、私たちを賢くしない。
私たちを賢く振る舞わせるのだ。

その振る舞いの背景にある理論を理解することはないし、それによって本来その振る舞いに必要とされていた能力が退化していくということもあるだろう。
実際、オートメーション化された飛行機の操縦士の多くは、手動操縦能力の衰えを感じているのだという。

しかし、それが進化でもある。
進化は、獲得だけではない。喪失でもあるのだ。

進化は同時に退化でもあり、長掌筋のような進化に伴う身体部位の退化と同じことが、特定の知識や能力についても起こりうる。

水道のようなシステムを通じた人類の進化によって、失われた能力もきっとあるだろう。

たとえばここ日本でも、戦後数十年までは、水道ではなく井戸が水の主な供給源だった。

その時代には常識であった、井戸という地域の共有資源についての知識や、井戸水を汲むための能力は、現代人からは確実に失われただろう。
近年の子供たちの体力低下のデータを引っ張り出して、その原因を井戸水を汲む運動習慣の喪失にこじつけることだってできるかもしれない。

しかし、たとえその全てが事実だったとしても、私たちはその喪失と引き換えに、より大きなものを獲得したことは明らかだ。

水道普及に伴い、日本ではコレラや赤痢といった水系感染の伝染病は激減していった。
オートメーションが、多くの日本人の命を救ったのだ。

私には、井戸に関する知識や能力が、人の命に勝るとは思えない。

システムが喪失をもたらすという批判を認めたとしても、それは進化の過程であり、システムには、文明を発展させ、人々を救う力があるのだ。


システムは、私たちに文明を普及させ、私たちにより有意義な仕事を与えてくれる。

「システムが人間の仕事奪う」という批判もある。

この批判は、産業革命においてはラッダイト運動として噴出し、近年ではAIをはじめとしたテクノロジーへの脅威論として現れている。

実をいえば、この批判も的を射ている。

たとえば、水道のような賢いシステムは、井戸水を汲む上で必要だった人間の労働力を省略した。
水道は、井戸に関わる仕事に携わっていた人々の仕事を奪ったとも言い換えられる。

しかし、それは必ずしも悪いことではない。

かつて日本では、そして今でも水道のない途上国では、水を汲むのは女性と子供の仕事だった。
途上国の例でいえば、水道によって水汲みの仕事が奪われた結果、子供の教育水準の向上につながり、女性の社会進出につながった。

女性や子供から水汲みの仕事を奪うことは、それほど悪いことだっただろうか?
私はそうは思わない。

また、システムが人間の仕事を奪うことは、人々への文明の普及にもつながる。

たとえば途上国では、水道施設のある地域と、水道施設のない地域では、水道施設のない地域のほうが水の値段は高い。

水道施設のない地域では、「水売り」から水を購入することになるが、水売りの人件費が上乗せされる分、水は高価になっていくのだ。

たとえばフィリピンのマニラでは、富裕層が住む地域は水道施設が敷かれているが、そうでない地域は水道の約10倍のお金を払って水売りから水を買っている。
金持ちのほうが安く水を使え、貧困にあえぐ人々のほうが高い水しか使えないという理不尽な現象が起きているのだ。

システムは、人々の仕事を奪うことで、この理不尽を解決する。
システムは、人件費を省くことによって、すべての人々の手の届く価格で文明を提供することを可能とし、文明を人々に普及させることができるのだ。

システムによる人間の仕事の簒奪は、必ずしも悪い結果を意味しない。

水道の例でいえば、仕事が奪われることによって、あらゆる人々(とりわけ弱者)に水が広く大量に行き渡るようになった。

そして仕事が奪われることによって、子供は学校に通い、女性は社会に進出し、彼ら彼女らは水汲みよりもはるかに有意義な仕事ができるようになったのだ。

システムは、私たちの仕事を奪うことによってこそ、私たちに文明を普及させ、私たちにより有意義な仕事を与えてくれるのだ。


BooQsが目指すシステム

BooQsが目指すのは、水道のような賢いシステムを構築し、あまねく世界中の人々に提供することである。

すなわち、文明を発展させ、普及させ、私たちに有意義な仕事を与え、そして私たちを賢く振る舞わせてくれる、『知の社会実装としてのシステム』を構築し、世界中に普及させることだ。

BooQsはシステムを、とりわけ学習の分野で構築していく。

BooQsにとって、水道の「清潔な水」にあたるものはなんだろうか?

それは「効果的な学び方」である。

心理学や脳科学の発展により、現代では記憶と学習効率について多くのことがわかってきている。
それによって「効果的な学習法」も判明しているのだ。

しかし、それらはいまだ、ほとんどの人々に知られてはいない。

たとえば、BooQsが取り入れている心理学の一つに『テスト効果(Testing effect)』と呼ばれるものがある。

テスト効果は、「自己テストが記憶に定着させる」というものだが、2009年に行われたアメリカの調査では、大学生でさえ、わずか11%しか日常的な学習において自己テストを行っていなかった。
また自己テストを行っている生徒も、その理由を「自分が理解できていないところを調べるため」と答え、テスト効果の示すところの「テスト自体が長期記憶に定着させる点」については気づいていなかった。

「何故だろうか?」と、私は疑問をもった。

私が出した最初の答えは、『啓蒙が足りない』というものだった。
たんに心理学者たちが研究成果を伝える努力を怠っているのだと、安易に考えた。

だから私は、人々に学習に関する心理学を伝えるべく心理学の図解を発信し続けたしそのための本の執筆も考えた。

しかし、その考えは間違いだったと、今ならわかる。

私がやるべきことは、水道のようなシステムを構築することだった。
つまり、人々がテスト効果を知らずとも、人々が自然とテスト効果の恩恵に与れるシステムを構築することだったのだ。

情報を世間に広め、その情報に基づいて人々に行動を起こしてもらうことは、おそろしく大変だ。
だからこそ企業は、広告やCMの出稿にお金を払って、情報を広めようとする。

テスト効果だって、私が本を執筆しなくても、すでにたくさんの書籍で紹介されている。
それでも、ほとんど知られていないのが現実なのだ。

そのことに気付いてから私は、自然言語で人々に心理学を伝えるよりも、プログラミング言語で人々が心理学に従えるシステムの構築に集中するようになった。

文明を発展させるために大事なのは、人々を賢くすることじゃない。
システムによって、人々を賢く振る舞わせることなのだ。

知識は啓蒙するよりも、社会実装したほうがインパクトが大きい。

だからこそBooQsは、水道のような知の社会実装をビジョンに据えた。

心理学に基づいたシステムを構築することで、そのシステムのユーザーを、心理学を知らなくても心理学を知っている人々と同じように振る舞えるようにすることを目指したのだ。


文明を発展させるシステムの4つの特徴

では具体的に、BooQsはどのようなシステムを構築するのか?

この問いは、BooQsの根本の設計思想にも関わる重要なものだ。

私は、水道のような文明を発展させる知の社会実装には、4つの特徴があると考えている。

1, 一貫性
2, 自動化
3, 行動コストの高い事実に基づくバックエンド
4, 直感的なユーザーインターフェース

1. 『一貫性』

優れたシステムは一貫している。

優れたシステムは、それを利用する人々に一貫した品質・デザイン・体験を提供する。

「水道の蛇口を捻ると10回に1回は汚水が流れる」というようなことはありえない。
また、「隣家では水の出が良いのに我が家では水の出が悪い」というようなこともありえない。
そしてそのような不安定は、優れたシステムにおいてあってはならないことだ。

一貫性は、人々にシステムに対する信頼を生むことで、人々にシステムに従う意欲を起こさせる。
そして文明を発展させる上で重要なのは、人々にシステムを信じて従ってもらうことなのだ。
私が水道の仕組みに無知でも水道の水を飲むのは、私が日本の水道というシステムを信頼しているからに他ならない。

だからBooQsも、あらゆるデバイス、あらゆるユーザーとのタッチポイントにおいて、一貫性を実現することを目指す。
一貫したデザイン、一貫したユーザー体験、一貫した学習効果を提供することを目指す。


2. 『自動化』

優れたシステムは自動化されている。

前に紹介したように、優れたシステムは、オートメーション(自動化)によって人的労力を省くことによってこそ、文明を発展させる。

自動化された水道は、子供たちを学校に通わせ、女性を社会に進出させ、貧しい人々へ水を行き渡らせた。

BooQsも、そのような素晴らしいシステムを目指したい。

自動化によって、人々に「時間」という貴重な資源をプレゼントしたい。
自動化によって、あらゆる人々がアクセスできるほど安価にサービスを提供したい。

BooQsには、それができると信じている。

なぜならBooQsは、ソフトウェアだからだ。
ソフトウェアの実態は、幾万行のプログラムであり、あらかじめ定められたアルゴリズムを万人に対して繰り返す、まさに自動化されたシステムそのものだ。

ソフトウェアという自動化されたテクノロジーは、優れたシステムを構築する上で最高の素材なのだ。


3. 『行動コストの高い事実に基づくバックエンド』

優れたシステムは、行動コストの高い事実に基づいて設計されている。

『行動コスト』とは、習得した知識や技能に基づいて実際に行動するための障壁のことだ。
行動コストには、「学習コスト」と呼ばれる、なんらかの知識や技能を習得するまでにかかる時間や労力や、後述する「直感に反する特徴」などの障壁が含まれている。

たとえば、あなたは水道の仕組みを学ぶことができる。
上水道が何をして、下水道が何をして、それぞれどのような原理で動いているのか、現代なら書籍やインターネットを使えば調べることができる。
そして学んだ原理に基づいて、実生活で自作の水道をつくり、利用することもできる。

しかし、それはとても大変な作業だ。
調べて学ぶだけでも大変な時間と労力がかかる(学習コストが高い)。
ましてや学んだ知識で実際に水道をつくりあげて利用することは、輪にかけて困難だ(行動コストが高い)。

水道の仕組みは、明らかに、行動コストの高い知識なのだ。

文明を発展させるシステムは、人々を啓蒙するのではなく、『知識を実装する』ことで、人々を賢く振る舞わせる。
そして優れたシステムにおいて実装される『知識』とは、水道の原理のように、行動コストが高いものであるのだ。

BooQsが基づいている心理学はまず、学習コストの高い知識だ。
学習コストは、そのまま行動コストに直結する。

BooQsでは主に、「テスト効果(Testing effect)」「分散効果(Spacing effect)」「ゲーミフィケーション(Gamification)」の3つの心理学を柱に設計されている。
たった3つではあるが、チュートリアルのような短い時間で説明できるほど、学習コストは低くない。

くわえてこのうち「テスト効果」と「分散効果」については、行動コストが著しく高い知識だ。

なぜならこの二つの事実は、人間の直感に反するからだ。

直感に反する知識は、直感的な知識に比べて、実際の行動に結びつきにくい。
人間はほとんど直感にしたがって行動しており、直感に反する意思決定はまれだからだ。

心理学の発見の多くは、統計的な計測によって、私たちの直感と実態がかけ離れていることを明らかにした。

「テスト効果」と「分散効果」は、その反直感的な学習効果の代表的な2つだ。
テスト効果の背景には、「記憶は思い出すたびに再構築される(強化される)」という反直感的な事実があり、
分散効果の背景には、「覚えるためには、ある程度忘れる必要がある」という反直感的な事実がある。

実際、調査結果でも、人は「テスト効果」をもたらす自己テストよりも、テキストの再読や重要な箇所にマーカーを引くような非効率的な学習方法を好むことが示されている。
そして、分散効果をもたらす「分散学習」よりも、一夜漬けや短期集中合宿のような長期記憶への銘記においては非効率な集中学習を好むことが示されている。
この誤った傾向の背景には、テスト効果や分散効果が「認知容易性」や「流暢性の処理」などの人間の直感に反していることが原因にある。

つまり、テスト効果と分散効果は、理解してもらう点においても困難で、実行してもらう点においても困難な知識なのだ。

こういった学習コストと行動コストの高い知識こそ、システム化することによって社会に強大なインパクトをもたらすことができる。

こうした行動コストの高い知識を実装したシステムによって、人々は無知に無意識に、高度な知識に基づく賢い振る舞いができるようになるのだから。

ただし、注意点がある。
こうした知識は、システムの背後(バックエンド)に巧妙に隠されていなくてはならない、ということだ。
言い換えれば、学習コスト・行動コストの高い知識を、システム内でユーザーに啓蒙したり説教してはならない、ということだ。

では、どのようにシステムは、人々にその高度な知識に基づく振る舞いをとってもらえばいいのか?

その答えが、優れたシステムの最後の特徴『直感的ユーザーインターフェース』である。


4. 『直感的なユーザーインターフェース』

優れたシステムは、直感的なユーザーインターフェースをもっている。

先ほども述べたように、優れたシステムは、学習コスト・行動コストの高い知識に基づいていなくてはならない。
しかし同時に、ユーザーにそのコストの高さを感づかれてはならない。
ユーザーには、そのシステムを利用する間、無知に自然に無意識に、実装された高度な知識に基づいた行動をとってもらえるようにしなくてはならない。

そのために重要となるのが、『直感的なユーザーインターフェース』だ。
直感的なユーザーインターフェースとは、いわば『学習コスト・行動コストの低いユーザーインターフェース』のことである。

たとえば、水道の原理が、学習コスト・行動コストの高い知識に基づいていることは、先ほども紹介した通りだ。

しかし、水道を利用するために、実際に私たちがすることといえば?

そう、蛇口を捻るだけなのだ。

もしも水道が蛇口のような直感的なユーザーインターフェースを発明していなかったら、きっと今ほど水道は普及していなかっただろう。

ユーザーインターフェースはいわば、複雑な真理を、無知なまま人々が利用できる形に翻訳して伝える福音伝道者のようなものだ。

そして、科学者と私たち事業者の違いは、この直感的なユーザーインターフェースの設計にこそあると思う。

では、具体的に、直感的なユーザーインターフェースはどう設計すればいいのだろうか?

そのためには、2種類の直感について知る必要がある。

直感には、「先天的な本能」と「後天的なスキル」がある。

たとえば、私たちが直感的に利得を求めるより強く損失を恐れるのは、「古い脳」と呼ばれる脳の深い部位の活動で、世代を渡って長く受け継がれてきた先天的な本能だ。

一方で、チェスの名人が複雑な盤面を一目で直感的に理解できるのは、長期間の修練によって培われた後天的なスキルだ。

前者の直感については、心理学や神経科学の知識が役立つが、後者の直感については、その時代のユーザーの文化や流行や前提知識についての理解が重要になってくる。

たとえば、後者の直感のためにBooQsが採用しているのが、フィード型のコンテンツ表示のような、SNSのスキューモーフィズムだ。

スキューモーフィズムとは、全く新しいプロダクトを、従来の普及したものに似せることによって、人々に馴染みをもたせ、利用する上での学習コストを下げるデザインアプローチだ。

たとえば、自動車は登場当初、「馬なし馬車」と呼ばれ、意図的に外観を馬車に似せていた。
パソコンのディレクトリの概念は今も「ファイル」と呼ばれ、現実の「書類ファイル」のメタファー(隠喩)によって直感的に理解されようとしている。
こうしたすでに普及しているデザインを、別の分野でメタファーとして取り入れることは「スキューモーフィズム」と呼ばれ、新しいテクノロジーを普及させるために有効な手段だと考えられている。
(スキューモーフィズムについては、以前書いたモバイルUI史の解説noteでも紹介した。)

BooQsは学習サービスではあるものの、SNSのようなフィードUIを採用しているのは、BooQsのもたらす新しい概念を、すでに現代人が学習済みの概念に結びつけることによって、既存の知識のアナロジーで、直感的にサービスを利用できるようにするためだ。

BooQsでは、先天的な本能・後天的なスキルの両面から、『直感的』であることを重視している。

これは、言うは易く行うは難しだ。

プロダクトは、時間が経つにつれ複雑さを増し、直感的UIからかけ離れていく傾向がある。
その複雑化の理由のほとんどが、機能が増えることによってだ。

自然に任せると、プロダクトには機能が次々と増え、そしてUIは複雑になっていく。

「ユーザーからの要望」や「競合製品の機能追加」など、機能を増やそうとする「情状酌量の余地のある圧力」は日々降りかかってくる。

この圧力に抗うには、明確なプロダクトのビジョン(哲学)が必要だ。

そしてそれこそが、『水道をつくる』というビジョンなのだ。

私たちは、「水道をつくる」。
世界中に普及する水道のようなプロダクトには、説明書は必要ない。
使い方は、蛇口のように、一目ですぐにわからなくてはならない。
あるいは、少しの試行錯誤で直感的に使い方を悟れるようにしなくてはならない。

そのためには、プロダクトのUIはシンプルでなくてはならない。
人の直感は、複雑さに耐えられない。

複雑さは、UIではなく、ユーザーが認識しない「バックエンド」で肩代わりするべきだ。

むしろ、バックエンドは必要なだけ難解で複雑であるべきである。
BooQsが愛されるとしたら、その理由は、今まで人々が負担していた複雑さや困難や面倒をすべて、システムが肩代わりすることによって取り除いたためであるべきだ。

水道は、水と衛生に関する難解な知識や、井戸水を汲む面倒や困難をバックエンドで肩代わりしながらも、蛇口のようなシンプルで直感的なUIを提供することによって、人々を救い、そして愛されている。

BooQsも、そんな水道のようなプロダクトを目指したいのだ。


まとめ

・知識は、人に教育するだけでなく、社会に実装することができる。そして「知識の社会実装たるシステム」は、教育よりも社会に大きなインパクトをもたらす。

・システムは、システムに従う人々を、無知ながら賢く振る舞わせることができる。このシステムの発展によって、人類の文明は発展してきた。

・システムは、私たちから仕事を奪い、そして退化させる。しかし、それによってこそ、私たちは進化し、万人に文明が普及していく。

・文明を発展させるシステムの4つの特徴は、「一貫性」「自動化」「行動コストの高い事実に基づくバックエンド」「直感的なユーザーインターフェース」である。

・BooQsは、学習法という分野において、水道のような優れたシステムを構築し、普及させることによって、世界文明に貢献することを目指す。



あなたの貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!