見出し画像

セオリーである自分を売り込んだセールスマンの話

 福井県にその地域で圧倒的な販売力を持つ小売店があった。

 店舗に併設された事務所には是が非でも商品を納入したいと思っているメーカーやベンダーのセールスマンが列をなしていた。

 社長は10分ごとにアポを入れる。店舗での販売業務もあるので商談時間は平日の13時〜16時の3時間。1日の商談可能人数は最大で18人。10分はあくまでも目安なのでアポをとっていても時間が読めない。そのせいで13時を過ぎあたりでその列にはすでに10名くらい並んでいる。

 ご多分に漏れず私もアポをいれるのだが、私の場合このアポの時間はあくまでも目安、言い方は悪いが全然適当にいれるのだ。それには理由があり私と社長の関係が他のセールスマンとは一線を画すからだ。いや厳密に言うと私とこの会社の家族との関係だ。

 私は適当に入れたアポの時間と関係なくだいたい毎回14時くらいに事務所に到着する。そのころになると15人くらいの列になっている。ラッキーがあればアポをとっているセールスの商談が思ったより早く終わり、アポをとれていないセールスマンたちも末尾に潜り込める可能性があるからだ。それがさらに列を長くしている。

 事務所に並んでいるセールスマンに会釈しながら事務所に近づくと家族の一員であるアポロがワンワンと吠えだす。その声が事務所の外に響く。するとまもなく商談中の社長の大きな声がそれに続く「みさおちゃんきたんか、中にはいって〜」と。私は「いきま〜す」と同じような量の声の大きさで答え、失敬失敬と列の前を頭をペコペコと下げながら奥に進む。

 顔見知りのセールスマンに、こんにちはと挨拶しながら更に奥に進む。私を知らないセールスマンは、なんやこいつという顔をしているし、となりに座っている事情を知っているセールスマンに「あの人誰ですか?なんなんですか?」と聞いているセールスマンもいる。

 そんないつもの状況をみながらいよいよ事務所の入口に立つ。事務所のドアはフルオープン。奥には社長が机に座りながら、よおと私に手をあげる。机の横の床にアポロがリードを加えて座っている。アポロはコーギーかミニチュアダックスフンドな犬。きっちり座って私を思い切り見つめてしっぽを思い切り振っている。

 私は商談中のセールスマンに会釈をし社長に手を上げて挨拶しアポロに近づく。アポロはリードをはなし四つん這いになって首輪のついた部分を俺に向ける。

 私はヨシヨシと頭をなで、リードを首輪につけ、スコップと丸めたレジ部クルを持って「いってきます」と言って事務所をでる。

 セールスの列の前を今度はアポロを連れて通る。知っている人は笑って私をみながらうなづく、知らない人はみな不思議そうな顔で私たちを見る。

 そうです、私はセールス兼アポロの散歩係なのです。だからアポは適当でよかったんですね。私も最初はもちろんその列に並んでいたのです。ところがなぜかアポロが私をたいそう気にいるようになったのです。で、いつも従業員がやっていた散歩を、その商談の日に関しては私がやるようになったのです。それを機に散歩係に昇格なのか降格なのかわからないけどなったのですね。

 それ以来アポはおろか商談も適当になってきました。商談はほとんどしません。作ってきた企画書と提案書を社長の机の上に置くだけです。15分ほどしてアポロとアポロがしたウンチを入れたレジ袋と企画書をもって事務所にもどります。

 リードを外して袋をゴミ箱に入れて企画書を机の上におきます。それが商談のスタートです。置いたら社長が「みとくわ」と言います。私はお願いしますと言って、今度はキーボックスにかかっている社長のベンツのキーをとり「じゃあおかりしますね」といって今度はベンツを運転します。この瞬間、アポロの散歩係から高校2年生のお嬢様の運転手になります。

 みたびセールスの列の前を通り、事務所の道路をはさんで向かえにある駐車場のベンツに乗り込みます。セールスたちはさらに不思議そうな顔をして私を見送っています。

 今から娘を学校に迎えにいき塾に送っていきます。後部座席に座り身を乗り出して「なあなあみさお」と積極的にはなしていた中学2年生だった高校2年の娘はあいさつすらしませんが、私はひたすら一方的に話して塾まで送り届けます。

 送ったらベンツにのって事務所にもどります。駐車場に車を停めて列の前を失敬失敬と通り事務所にはいります「もどりました」と私「ありがとう」と社長

 鍵をキーボックスに戻します。アポロは私をみてしっぽをふっています、うれしそうです。頭をなでます。立ち上がって社長をみます。社長は私がさきほど置いた企画書を指差し「それで送っといて」といいます。私はクリアファイルを手に取り、社長印がおしてあるのを確認して「ありがとうございます」といって事務所をでます

 商談は成功めでたしめでたしというわけです。

 はたしてこういう商談がセールスとしていいのかどうかというのはありますがセールスの目標である受注にいたったといういみではまあ成功と言えるのではないのでしょうか。

 もちろん他のクライアントでは普通に商売しますし列にも並びます。ですがこういうスタイルもあるなあというのを紹介したかったのです。

 営業マンは商品を売り込む前にまずは自分を売り込めという言葉があります。このクライアントに関しては私は見事に自分を社長だけではなく家族に売り込んでいたのですね。

 世の中の営業マンの参考になるかわかりませんがおもしろエピソードとしてもぜひひとつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?