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麻雀 ノーレートなんて〇〇だ!!

今回のお話は、私はどちらかと言うとオンレート派なので、ややそちら側に肩入れした意見となっているが、読み物として楽しんで頂けたらありがたい。

オンレート・ノーレートの議論は度々勃発する。
しかし、彼らは相反する思想の持主ではなく、延長線上に位置するものと私は考えている。
すなわち、ノーレート推奨派も数年後にはオンレート派に変わっている可能性も高いということだ。
逆のパターンもないわけでは無いが、ここではこちらのパターンを紹介する。
ノーレート⇨オンレート派になる要因。
それは一般的にノーレートのメリットとされること
・お金を賭けないから人間関係がギスギスしない
・お金を賭けないから皆が笑顔で打てる
・お金を賭けないから合法(賭ける事は違法でいけないこと)
これらが実はノーレートのメリットでないといずれ気付かされるのだ。

なぜなら、オンレート推奨派が思っているノーレートの嫌な点は、
・お金を賭けないから人間関係がギスギスする
・お金を賭けないからいつも気を使わなくてはいけない
・お金を賭けないから鬱陶しい客がいてもストレス発散する場面がない
・賭け麻雀は違法ではあるが実際に摘発されるリスクは0に近い
と全く逆に考えるからである。

しかし、だからと言って誰もがオンレート推奨派になるわけではないし、そうなるべきだと言っているつもりはない。
ギャンブルというのはのめり込む危険性があり、一部は依存症になってしまう可能性がある危険な趣味なので他人に率先して勧めて良いものではない。

オンレート推奨派であっても自分の子供にギャンブルを率先してやらせたりはしないだろう。

タイプ別でみるオンレート推奨派

①鬱陶しい相手との交流が嫌いなタイプ

他者との交流が苦手・または嫌いという理由でノーレートを打たない層。
せっかくお金と時間を掛けて雀荘に行ったのに、ノーレート雀荘でイキっている客や半分ボケたような年寄りの相手をすることにひどい嫌悪感を抱くのだ。
鬱陶しい客ならオンレートにもいるのでは・・・?
その通り。オンレートでも口だけの講釈を垂れてくるジジイはいるし、イキっている若者もいる。
しかしそういうタイプの人間は総じて負けているものだ。
すなわち自分が同卓した場合は長期では勝てる。
鬱陶しい者の相手をする代わりに対価を得て自分の心を収めることができるというわけだ。

②麻雀でお金を賭けるのが当たり前と思っているタイプ

これはノーレートなど存在しなかった時代から打っているプレーヤーに多い。昔は麻雀でお金を賭けるのは当たり前の文化だったし、初心者でも授業料として負けるのだ。
良い悪いはさておき、それが文化だったから仕方がない。
明らかに自分より格下の相手からお金を巻き上げる行為は、決して褒められたものではないかもしれないが、皆そうやって最初は負けてきたのだから仕方ないだろう。

また、そう考えるタイプの人間からすると、賭ける行為は染み付いた価値観であるため、ノーレートでは刺激が足りない。

古臭いタイプの人間?
ノーレート派からするとそう思うかもしれない。
しかし考え方は人それぞれ。
もし何十年後かの雀荘では牌が触れるだけで人間が4人で卓を囲んでいないかもしれない。未来の若者が”牌が触れるだけで楽しい”と言ったところであなたはつまらないだろう。


③ギャンブル依存症タイプ

とにかく高レートであればあるほどヒリつくタイプ。
このタイプはいくら勝っても満足せず、また新たなギャンブルにつぎ込むため、最終的には大きく負けて終わる。
しかし、その度にまた働いたお金で不死鳥のごとく復活する。
たまに大きく勝つため、周りにいる人間はエンターテイメントを見ている気分になる。
まともな感覚の人間からすると、”大負けして大丈夫なのかな?”と心配になるが、本人からすると、割と高頻度で貯金が崩壊するので、特に破滅が怖いという感覚もない。
負けたらまた金貯めて復活すればいいと前向きに考えるところだけは見習いたいものである。
当然このタイプはノーレート麻雀などやらない。
ただ、ノーレート麻雀を馬鹿にすることもあまりない。
そんな暇があったら他のギャンブルをしているからである。


タイプ別でみるノーレート推奨派

①そもそもお金を賭けなくても純粋に楽しめるタイプ

女性に多いので、わかりやすく例えを女性とする。
そもそも娯楽に対するハードルがめちゃくちゃ低い。
友人とカフェに行って甘い物を摂取し、インスタ用の写真を撮っているだけで楽しいような人種であるから、雀荘で牌を触りながら他人と触れ合うだけで十分刺激がある。

スマホでパズルゲームしてるだけで楽しめるのもこのタイプ。

それの全く逆にあたるのがさきほど説明したギャンブル依存体質。
アドレナリン(脳汁)が出ないと何をしても楽しいとさえ思えない病気。
ボーリングやダーツなどをしていても賭けたがる。

②相手が強ければノーレートでも楽しめるタイプ

普段はオンレートが多い人間でも、メンツによってはノーレートで構わないという層もかなり多く存在する。
これは私も同意見だが、そもそもノーレートであっても自分と同等、もしくは強い相手と戦っているというワクワク感があれば、レートのありなしは気にならないのだ。
しかしメンツを選ぶことは現実的に不可能なのでフリー雀荘に行く場合は点5や点3といった低レートに出入りする。

③麻雀でお金を賭けるのが悪だと思っているタイプ

最近の若者や女性はそもそも麻雀=賭けというイメージすら持ち合わせていないためこういった人種が生まれた。
これはオンレート完全否定派なので、そもそも【賭ける・賭けない】を選ぶ思考過程すらない。賭けは完全拒否だ。

昔から麻雀をやってきた人間からすると新興宗教のような気持ち悪さがあるのだが、これも時代の流れなのだ。
実際に賭博は違法行為である。
私もこう言ったタイプと友達になるのは難しいが、これも個人の価値観なので理解してあげるべきだ。

そもそも暗黙の了解で点ピンまでは許されているグレーゾーンが一番いけない。このネジレが生じている以上、相容れないだろう。

ネット麻雀はノーレートなのか!?

昔から天鳳(ネット麻雀)ではノーレートでも楽しめるという意見は根強いが、これはポイントを賭けるため厳密なノーレートでは無いと私は考える。

最近では天鳳位の価値は若干落ちたような気もするが、かつては麻雀界で神のような存在として扱われたし、本の出版も既定路線であった。
すなわち、最高段位はその地位をお金に変換することも可能なのである。
ということは、高段位で行うネット麻雀は点5、点ピンの雀荘より高レートと言っても過言では無いだろう。
お金は他で稼ぐことが可能だが、ポイントは絶対に他では稼げないのだ。

では、ノーレート雀荘はどうだろう?
こちらも店内ランキングがあったり、勝てば周りから強い人と評価される。
すなわちそれには価値があるということだ。
もしその雀荘に好意を寄せる異性がいるのなら、強い方が気を引けるだろうし、有利に働く。強さに価値があるというのは、自然の摂理なのだ。

すなわち、各自がお金以外に何かモチベーションとなるものがあるかどうかというのが本質的なポイントであると私は考える。
・お店の人との交流
・周りのたくさんの知り合いとの交流
・成績への自己満足
いずれがノーレートでも楽しめる要因となっているケースが多い。

なので本来はノーレート否定派と議論する場合は、本当に何も賭かっていないゲームなどと比較する必要があるのではないか?
・成績も何も残らないファミコンの麻雀ゲーム
・天鳳のゲストIDでプレイ
これで楽しめる層がどれぐらいいるのだろうか?
私はほぼ皆無と考える。

そう考えた場合、実はノーレート賛成派は賭けるのが嫌いなのではなく、ノーレート麻雀で十分オンレートと同じワクワク感を味わっているということになる。

賭け麻雀派は他の遊びをしていないのか!?

逆に、賭け麻雀しか打ちたくないタイプの人間は他の遊びに置き換えて考えてみよう。
カラオケ・ダーツ・ビリヤードなどの娯楽は一応お金を賭ける事が可能なので、映画鑑賞やお酒(飲み会)などお金を賭けようがない趣味でイメージしてみてほしい。
誰にでもお金を賭けずに楽しんでいることが1つぐらいあるはずだ。
そう考えると、本当の意味でノーレート派を馬鹿にするのは実は愚かなことなのである。

ノーレート派は、麻雀をお酒としてその場を楽しんでいるわけだ。
それ自体が楽しいのだから賭ける賭けないは大きな問題ではない。

【ここまで読んで頂き、ありがとうございました】

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私とノーレート雀荘の出会い

私は大学を卒業し、一旦は就職したが1年も経たずに辞めてしまった。
その理由の一つが協会の女流の先輩であったYさんにノーレート雀荘勤務に誘われていた事だった。
頭の片隅に、”やっぱり麻雀業界で働きたいなあ”という思いがあったから、ちょっとした失敗でサラリーマンを辞めて、ノーレート雀荘で働くことになった。
そこのノーレート雀荘はマーチャオを立ち上げた山田会長がやっているお店で、私が誘われた協会女流プロYさんと、マーチャオ元バイトの40代の女性Hさんが勤めていた。

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