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「明子さんのピアノ」を被爆から蘇らせた二口とみゑさんの挑戦は続く 平和な未来を! スナックはつかいち開店7日目

「明子さんのピアノ」

 明子さんのピアノは、1926年にアメリカのBaldwin社で製造されて、ロサンゼルス生まれの河本明子さんと共に広島に渡ったピアノです。

 明子さんは19歳の8月6日、勤労奉仕のために広島市内で被爆し翌日亡くなりました。ピアノも三滝の自宅で被爆し、明子さんの日記や写真と共に両親によって大切に保管されてきました。そのピアノを日記類と共にご両親から引き継いだのが二口とみゑさんです。

 この動画は、広島市立牛田中学校の放送部の生徒が作成し、第34回全国中学校NHK放送コンテストで最優秀賞を受賞した動画です(ちなみに私も牛田中卒業生です)。日本語と英語がありますが、日本語の動画を添付しますね。分かりやすくまとめられていますし、二口さんも登場しますので、是非ご覧ください

二口さんが代表を務める一般社団法人「HOPEプロジェクト」のホームページです。

今は平和公園レストハウスにある「明子さんのピアノ」

平和公園レストハウス

レストハウスのピアノと喫茶スペース2m

     (奥の方に明子さんのピアノが展示してあります。)

   (麻未さんの「ひろしま平和の歌」の演奏が視聴できます。)

 二口さんとの出会いは、明子さんのピアノの修復を始められる前から、もう20年以上になります。日本語教師でもある二口さんは、公立学校や私立学校での日本語教師をしながら、ブラジル日系人の子どもたちの支援をしたり、外国語で絵本を読むお話コンサートを開かれたり、全国で日本語教育の講演をされたりしています。

また、明子さんのご近所にお住まいだったご縁で明子さんのピアノを引き取ってからは、演奏会や世界的なピアニストのアルゲリッチさんやピーター・ゼルキンさんとの親交、明子さんのピアノを主題とした作曲(ピアノ協奏曲第4番《Akiko's Piano》藤倉大氏作曲、広島交響楽団初演2020年8月5日)や演奏、NHKによるドラマの製作などに関わり、現在もイギリスのBBCやアメリカのマスコミからの取材申込みに応じたり、忙しく活動されています。

 アルゲリッチさんは、藤倉大さん作曲のピアノ協奏曲の初演を広響とするはずでしたが、コロナの影響で来日がかなわず、広島出身のこちらも世界的ピアニストの萩原麻未さんが演奏しました。

 明子さんのピアノは、長く居場所が見つからなくてお困りでしたが、二口さんの様々な活動のお陰で存在が大きく取り上げられることが増え、今年7月から平和公園の改修を終えたレストハウスの2階喫茶コーナーに展示されています。

 これらの活動は、2018年に広島市国際交流奨励賞を受賞されています。

二口さんから教えてもらうこと

 二口さんと話していると、次々とやりたいことが出てきます。

 今回も、明子さんのピアノの絵本を作りたい、東南アジアの学生と日本のお年寄りをネットでつないで日本語会話の練習ができないだろうか、とか。

 「同期生は暇だ暇だというけど、なんだか私はやりたい事がたくさんあってなかなか暇になりません。「貧乏暇無し」なのかも?(笑)」ですって。

 私よりたぶん、たぶんですけど(笑)、6歳くらい上だと思いますが、バイタリティがすごいんです。

 明子さんのピアノも、もちろん最初は誰も振り向くことはない存在でした。しかし地道に、ピアノと一緒に残された明子さんの日記や明子さんのお父さんの膨大な日記を読み込んで、写真を整理してこられました。そのかいあって、いろんな方に明子さんピアノの物語が広がっていきました。

 また、二口さんのお父様は、原爆ドームの最初の保存工事の責任者をされたそうで、がれきの塊のような原爆ドームを今の形で保存して残したのは、当時の浜井広島市長と二口さんのお父様の功績だったとも言えます。お父様は昨年亡くなられましたが、最期まで「Newton」という科学誌を愛読されていたとか。そんなお父様と原爆ドームの記録もまとめたいとも言われていました。

 私なんかは、日々暮らすだけで精いっぱいで、二口さんのように常に前進しているような生き方に会うたびに励まされています。もう少し頑張らなきゃと思うばかりです。

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