川俣シルクの歴史と想いを受け継ぎ、「古文化の復活」にチャレンジ
〇紺野峰夫さん
現有限会社紺野機業場代表。
川俣町出身。
大学進学を機に関東に移住し、大学卒業後は電機メーカーに就職。
10年間技術者として欧米への電気部品等の営業に従事した。
その後、家業である地元の名産川俣シルクを製造する「有限会社紺野機業場」を継ぐためUターンし、現在6年目。
前職で培った経験をもとに、絹織物産業の発展に挑戦している。
ーお仕事についてー
〇家業を継ぐ決断をし、Uターンした理由はなんですか?
震災が起きたことと父の定年が大きなきっかけでした。
震災の影響で経営も厳しい中、父も体力的に会社を続けていくのが難しくなりました。家業を閉じる選択肢もあったのですが、お客様は「川俣シルクが継続していくこと」を望んでくださりました。
「川俣シルクを愛してくれるお客様のこの想いに応えたい」という自分自身の想いが家業を継ぐ決意をした一番の理由です。
〇現在のお仕事と想いについて教えてください
紺野機業場は川俣シルク本来の作り方で生産を継続しています。
それを西日本中心に全国のお客様に販売をしたり、博覧会に出展したり、全国に営業を行っています。
代々受け継がれてきた伝統を守っていくことも大切にしていますが、絹織物産業全体が衰退している今、昔と同じことだけをしていてもダメだと思っています。常に新しい発想を重ねながら、産業を盛り上げていきたいです。
川俣の誇りである「川俣シルク」と川俣の先人たちが培ってきたものの真価が今問われていると思っています。そのために、さまざまな工夫をしています。
〇さまざまな取り組みの一つに「繭の茶室」などがあると思うのですが、どうしてこのようなアイデアが生まれたのですか?
▲建築家の大橋史人さんに設計いただき、川俣シルク生地を使った繭の形を模した“一期一会”の茶室空間
全く新しいものではないと思っています。昔はどの国の伝統衣装も「絹」だったように、人の身近にある素材でした。しかし最近は、合成繊維なども増えて、人が絹に触れる機会が減っています。だから昔は当たり前だった「絹が身近にある」ということを「新しい」と感じるんだと思います。
「繭の茶室」も「茶」と「シルク」という日本古来の文化を掛け合わせることで、現代ではどこを探してもない、唯一無二の存在になりました。
誰でも簡単にイメージできるものを作るのではなく、このような組み合わせを見つけ出していくことで、「温故知新」にチャレンジしていきたいと思っています。
〇デジタル産業から絹織物産業へのジョブチェンジで感じたことはありますか?
デジタル産業にいた時は、常に時代の先を考えていました。そしてその時に考えていた世界は人の暮らしとあまりにもかけ離れている感覚がありました。
絹織物産業に入って、感じたのは逆の風潮。「古きを見つめ直す風がある」ということに気づきました。新しいものにどんどんとシフトすることが当たり前になっていますが、その流れについていけない人も出てくる。その意味でもアナログに戻していく流れを活かしていきたいと思いました。
〇現在のお仕事で大変なことはなんですか?
現代の生活様式が「絹からかけ離れてしまっていること」が一番大変です。全世界的に見ても絹文化を捨てていく時代になりました。古来は伝統衣装には必ず「絹」が使われていたのに、今は化学繊維がほとんどです。このような風潮が広がっていくことが残念です。
〇現在のお仕事のやりがいはなんですか?
会社を信頼をしてくださった上で、川俣シルクをご利用してくださるお客様がたくさんいらっしゃることです。流行やトレンドに関わらず「ファン」として利用してくださる皆様がいらっしゃることで今も事業を続けていくことができています。本当に感謝です。
〇今後取り組みたいことはなんですか?
まずは会社を次世代に残していきたいです。紺野機業場は唯一昔ながらの川俣シルクを引き継いでいる工場です。「紺野機業場がなくなる=川俣シルクがなくなる」という気概で覚悟を持って続けていきたいです。
その上で、理想として町独自で循環する地域作りをしていきたいです。
人間の営みの中心は「衣食住」です。この3つを自給できるかどうかは地域の大きな課題です。川俣町でこの状態を実現すること、実現できる会社を作ることが目標です。
ー川俣町についてー
〇東京から町に戻ってきてどんなことを感じましたか?
元々ありきたりだと感じていましたが、やっぱり廃れているなと感じたのが正直なところ。でも「廃れているか」どうかよりも大事なのは「まちが持っている機能性」を追求して、そこに暮らしている人々が生業を営めているか、ということだと思います。
自分にとって東京にいくことはキラキラした環境で働けることだと思っていました。
でも実際はその人が輝いているかどうかが大事で、場所は関係ないと学びました。
輝く場所は人それぞれなので、自分はここ(川俣町)でもやっていけると感じていました。
〇川俣町に暮らしてみていいところ、楽しいところはどんなところですか?
一番は自分にとっては「ふるさと」であることです。
地元の仲間との繋がりが嬉しいです。
あとは、周りに自然がたくさんあるところですかね。酪農が盛んだったので、その地形を活かしたサーキットがあったり、山中走り回ったり、幼い頃は自然の遊び場で思いっきり遊んでいたことがいい思い出です。
〇逆に大変なところ、困るところはどんなところですか?
一番は今後子育てするに当たって、学校が減っていることです。
子どもは学びたいと思ったら、「スマホ」よりも「人」から教えをうけ経験して学んだ方が早いと思うんです。それができるのが都会にはない田舎の魅力でもある。
そういう意味では、まだまだ川俣には生かしきれていない部分もあるため、その分、可能性があります。
全国を見渡しても川俣町は負けていないと思います。その中で子どもたちに何を残せるのか、を独自に考えていくことが大切かなと。
ー読者の皆さんにメッセージー
〇移住を検討されている方へ一言お願いします!
川俣町には課題がたくさんあります。だけどプレイヤーは少ない。だからどんなチャレンジをしても開拓者になることができる。自由です!受け入れられるまで時間がかかるかもしれませんが、構わずチャレンジしていれば何でも作れる。川俣町はそんな環境です!
〇地域おこし協力隊の応募を検討している方々へのメッセージ
川俣町はほんとに田舎なので、チャレンジするプレイヤーの存在が必要です。地域おこし協力隊は、チャレンジすることが前提の働き方だと思っていますので、ぜひ、お越しいただき共に、いろいろチャレンジしていただきたいです!
\紺野さんおすすめの川俣町「支援」/
町独自の支援に限らず、事業をしていく中では、さまざまな補助制度活用を検討することが可能です。例えば「再構築補助」は、町がもう一度作り直すために必要なものへ投資するための方策であり、シルクじゃなくても利用できます。
※現在は募集を終了しております
\紺野さんが経営する「紺野機業場」では現在地域おこし協力隊を募集しています!/
川俣シルクに興味を持った方、紺野さんと一緒に働いてみたい!と思った方はぜひ下記リンクを確認して、まずは説明会にお申し込みください!
地域おこし協力隊募集ページ⇒https://recruit.kawamata-gurashi.jp/
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