あぶくま君の自称震災体験漫画の各話ごとの矛盾点について朝日新聞Globe+のインタビュー記事を交えて再検証 前編

自称震災孤児のあぶくま君 @abukumakum に関する検証の第6弾です。
あぶくま君についての詳細については下記まとめを読んでください。

2021/4/27追記:上記togetterは利用規約に触れている、ということで非公開になってしまいました。あぶくま君についての説明は下記noteの記事をご覧ください。

あぶくま君が突然のイキりレスバの後に沈黙をしてしまってから1か月以上経過してしまいました。しょうがないの今まで発表された漫画について各話ごとの矛盾点を朝日新聞Globe+のインタビュー記事を交えて再検証してみます。震災の記憶を風化させてはいけませんからね。

ぶっちゃけ南相馬市に未発見の震災孤児など存在せず震災の発生日時以外はほぼ完全に真っ赤な嘘なんですけどね。

第1話

・地震の揺れと被害

東日本大震災は直下型地震ではないため漫画のような「ドン」という揺れ方ではありません。下記の映像のとおり長い時間揺れています。また塀は崩れていますが学校よりも耐震性が低いであろう築年数の古そうな民家ですらも窓ガラスが割れるような被害は起きていません。

そもそも南相馬市の東日本大震災発生時の震度は「震度6弱」です。この程度の震度では学校の窓は割れないし建物もなかなか倒壊しません。2021年2月13日にも南相馬市で震度6弱の地震がありましたがあぶくま君の漫画のような被害は出ていません。

あぶくま君はインタビューで「南相馬市で被災した」と明言していますが当時の南相馬市の様子と全く違います。本当に南相馬で被災したのですか??

漫画は事実

・何故あぶくま君が学校にいるのか?

南相馬市の公立中学校は午前中に卒業式が終わり給食もないためそのまま下校することが通例となっています。何故あぶくま君は学校に残っているのでしょうか??福島県中学校長会が発刊している「ふくしまを生きる」に被災当時の南相馬市の中学校の様子が載っていますが大方の学校は被災時には生徒はほとんどが帰宅していた、と記載がされています。
またあぶくま君はこの後の話で明かされるのですが、当日のスケジュールが
①親友のヒデ君と一緒に帰宅する(海沿いの家なので徒歩で片道1時間弱)
②帰宅後に原ノ町駅(海沿いの自宅から徒歩で片道1時間弱)から1時間に最高で2本までしかない電車に乗り約片道30分かけて浪江町のサンプラザまで行き彼女と合流し遊ぶ
③その後帰宅して進学先のいわき市に引っ越すかどうか話し合う

超多忙です。移動だけで3~4時間かかります。なんで学校に残ってたの??

第2話

・何故沢山の生徒が残っているのか?

1話でも指摘したとおり、南相馬市の公立中学校は午前中で卒業式を終えて午後には帰宅しています。あぶくま君は親友(ヒデ君)と一緒に帰宅するという理由があったとされているので辛うじて理由がたちますがその他の生徒は給食も無いため昼飯抜きで何故午後3時近くまで学校にいるのか?
あぶくま君はインタビューにおいてまるで卒業式直後に震災が発生したというような発言をしています。

卒業式

ところが現地在住の方からの証言によると原町第一中学校は卒業式は午前中で終わり午後解散下校していたとのこと。

福島県中学校長会発刊の「ふくしまを生きる」でも原町第二中学校、原町第三中学校の卒業式は午前中に終了した、とはっきり記載されています。

第二中学校
第三中学校

生徒たちは何故残っていたのでしょうか??また、あぶくま君のインタビューで「待機していた家族」とありますが午前中に卒業式終わった後に午後3時近くまで昼食抜きで待機してたんですか??何のために???どこで???

・壊れた笑い袋?

避難してきた人たち?が極限状態のため笑い出すという描写があります。前述のとおり南相馬市の震度は震度6弱のため地震により大きな被害は生じておらず極限状態ではありません。前述のとおり2021年2月13日にも南相馬市で震度6弱の地震が発生しましたが「極限状態で笑い出す」ような状況は発生していません。

東北地方整備局震災伝承館の画像アーカイブに2011年3月12日撮影の原町区本町(原町第一中学校の近辺)の画像があります。

道路も陥没していないし瓦屋根の家も特に被害はありません。普通に車も走っています。

また、下記の画像は震災から6か月後の原町第一中学校周辺の町の様子です。震災直後ではありませんが明らかに震災以前から建っている築年数の古い建物も倒壊せずに残っています。

これでどうやって「人が耐えられずに笑い出してしまう極限状態」が発生するんですか??

第3話

・何故か市役所へ向かう教師?らしき人物

原町第一中学校は南相馬市の指定避難所です。生徒を守護ることが絶対条件である教師が指定避難所の存在を知らないということはありえません。また、「ふくしまを生きる」において原町第一中学校は震災直後から南相馬市防災対策本部と連携を図り避難者のための避難所を開設したとあります。

原町第一中学校は

何故あぶくま君達は市役所に行ったんですか?そのまま原町第一中学校に避難しておけばいいですよね。公式な記録とここまで食い違うのは何故ですかね?

・中学校周辺の被害状況

教師?らしき人物が「あたり一面ひどいもんです。まともに歩けやしない。」というセリフ、あぶくま君一行が市役所に向かう際の「風景がまるで違う」というセリフ、建物が倒壊しているという描写…


いやいやいや、市役所周辺の古い建物ですら全然倒壊していませんが???

というか市役所から中学校までの間でここまで町がボロボロになっていたのなら3話冒頭で生徒を迎えに来た保護者はどこに帰ったのですか???

第4話

・「わし?職員と違うよ!職員と替われ?それは無理だ職員はみんな上を下への大騒ぎだからな」

いやお前誰???

冒頭からいきなり滅茶苦茶です…マジで誰なのこの人…
市役所に限らず第三者が気軽に手に取れる場所には電話を設置しません。南相馬市も同様にカウンターの内側に設置してあります。

カウンターの内側まで侵入して電話を取ってるの??怖っ…
また、「電話をとれないほど混乱している」「市民がパニックになり市役所に詰め寄っている」という描写ですが、何度も言っているとおり南相馬市は震度6弱で地震による被害は比較的少ないため大きな混乱はありません。南相馬市災害記録誌によると災害対策本部も2011年3月11日15時に設置されています。

南相馬市の対応

第1回災害対策本部会議の画像も載っていますが市民が市役所になだれ込んでパニックになっているような様子は一切ありません。

マジで電話取ったおっさん誰なの???

・「この先の公民館が避難所になるそうです」

南相馬市役所周辺に公民館はありません。

・布団も無く床に直に寝た

避難所には布団ありました。

市役所周辺の市民の方も余った寝具を持ち寄って寄付してくれています

なお当日の南相馬市周辺の最低気温は0℃を下回っていたため布団も無く直に床に寝ると最悪凍死します。

当日の気温

あぶくま君は超人かな??たった4話ですが公式に記録された当時の様子と異なる点が山のようにでてきましたね。あぶくま君は「みなさんに当時の様子を知っていただけたらと思います。」という目的で漫画を描いて発表しているそうですが今のところ「この人、嘘ついているなぁ」ということしか伝わってきません。

長くなるので次回に続きます…

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