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源氏物語を読みたい80代母のために 15

いろいろバタバタとして此方は随分と長く放置してしまいました……もう12月じゃないか!今年も一か月を切ったのですね。早いわー。ということで、特に体調不良ということもなく生きております。ワクチンはめでたく家族全員二回打ち終わって二か月以上経過いたしました。感染者数も激減している今日この頃、本当にあともう少しの辛抱、と思いきやまたもや新株が。引き続き、感染対策頑張りましょう。

さて、母ですがちょいと加齢故の目の不具合が出まして通院しているんですが元気です。逆に治療してることで本は読みやすくなった?とか。十一月には途中だった十二巻目を一気に読了。嬉々として電話してきました。現代医学すごい。でもまあ暫くは無理しないでね。

その、十二巻目のクライマックスは「御法」での紫上の死。それ以降は悲嘆に暮れるヒカルの数年を描き、フェードアウトするように淡々と時が流れ「雲隠」の空白にて終了します。数年前に夫(私の父)を亡くした母にはどストライクの心情描写だったようで、泣きながら読んだと申しておりました。そう、ここの部分って物語的に大きな展開があるとかじゃないんだけど、すごくいいのよね。誰かに支えられないと立てないような状況から、時と共に少しずつ悲しみの形が変わって来るさまがまた切ない。母にとっては男女逆ではあるけど、すごく重なるところがあったそうです。

紫式部さんにしても、ここまで遠い未来の誰かが「わかるわー」と言って読むとまではよもや予想していなかったでしょう。それこそ前世でどんな徳を積んだらこんな普遍性のある物語が書けるのか、並々ならぬ宿命をお持ちなのねと平安風な感想を持ったりしてしまいます。作者だけではない、この物語を愛した無数の人たちがいて、それぞれに残し、それをまた誰かが読んで……って続いていったわけですもんね。

先だって「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」をやっと!観たんですが、此方は「手紙」が重要なファクターとしていつも物語の中心にあります。時代の波で、電話や他の新しい技術に取って代わられていくのですが、本質的なところは何も変わらない。自分の内にある思いを「形にする」ことが大事。声に出してもいいし、紙に書いてもいい。今ならネットを介したメールやメッセージ、こういった記事。とにかく思いは言葉として表に出そう、そうすればいつかどこかで誰かに伝わると。

私がこうして書いてるものも、いつか見知らぬ誰かのお役に立つことがあるだろうか。母に役立ってる時点で、もう殆ど役目を果たしたも同然なんだけどね。

というわけでボチボチと宇治十帖を進めております。ご興味の湧いた方はどうぞ読んでみてくださいまし。

ひかるのきみ」ブログにて連載中。現在「早蕨」の途中。


「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。