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考えたこと 3

まさかの3。cakesがこんな短いスパンで次々と炎上するとは思っていなかった。cakesを殆どみていない・お金も落としていない・単にnoteを無料でダラダラ使ってるだけの私でも、今ここに別のことを書く気が失せてる。怒りとか悲しみとかそんな強い感情ではない。がっかりというほどでもない。ただうすらぼんやりした脱力感、無力感がある。こういうのは書いて解消するしかないのでまた書く。

件のホームレス記事は修正前後とも読んだ。素直な気持ちをそのまま書いているんだなという印象。前回と同じく、書き手に対して思う所はない。三年もの間通いつめて支援もなさってるということだし、その行動も、それについて書く事も何ら責められることではない。あるプロセスの中で、自分の心持ちや考え方を率直に書き留めていくことは、内容はどうあれ意味があることだと考えている。

文章は上手に読みやすく書かれているとは思う。が、大してホームレス問題に詳しくない私にとっても、これまでにない視点や切り口、とんでもなく珍しいエピソード、と感じるようなところはなかった。見たまま聞いたままの観察日記という体で、形式的にも新しさはない。正直、受賞記事として表舞台に出なければ、ここまで注目されることはもちろん、炎上することもなかったのではないかと思う。やっぱり今回も運営なのだ。

前回は、相談者の話を嘘だと断じて貶めるという回答を、止めるどころか全肯定して広めて炎上した。今回は、ホームレスの方々の背景や社会的問題抜きで・珍しいほのぼのした面だけアピールする記事を、受賞しました!連載もします!と大々的に発表して炎上した。共通するのは「現代において普通はしない」やり方というところか。

今回の炎上については多くの人が書いているが、以下の記事「10年間ホームレス支援をしてきた私が『ホームレス記事炎上』に思うこと(大西連)」が最も今回の問題を的確に集約・分析していると思ったので貼っておく。

以前cakesに連載していたというこの方(「すぐそばにある『貧困』」:書籍を出す上での部分的公開ということらしい)、件の記事の書き手に対して強く非難したり貶めたりはしていない。長く現場にいる者だからこそわかる現実と実際のデータを踏まえ、あくまで理性的に「足りないものは何か」を伝えようとしている。そのバランス感覚も過不足ない書き方も、まさにプロフェッショナルだ。

この連載に関わった人はもう社にいないんだろうか。今回の件の担当ではなく意見を言う立場にもなかったんだろうか。前回同様、一体どういう形式で事が進んだのか気になる。これほど頻繁に似たような問題を繰り返す原因はどこかにあるはずだ。審査の方法や基準などは公開できないにしても、どういう年齢層・立場の人が何人で、どういう流れで決めたのか。また公表する時の文面は誰がどうチェックしたのか。

「面白ければなんでもあり!」という編集長の言から推測するに、cakes側が元々そういう「踏み込んでいない軽さ」「厳しい現実にスレてない初々しさ、未熟さ」を求めがちなのかもしれない。特に、新人クリエイターを発掘し連載を持たせる布石としての受賞にはこのくらいがちょうどいい、と考えたのかもしれない。

別に重い題材を軽やかに書くことが全てダメってわけではないんだが、その「軽さ」は、現実の重さを充分弁えた上でのあえての表現であってほしいとは思う。自分が見聞きしたこと以外に貯金をどれだけ蓄えているかで、文章の深みも決まる。書いたものは雄弁にその人を語る。編集者の立場ならばその辺しっかり見極めてほしいものだ。

先ほどの大西氏は記事の最後を

この記事の次の展開、社会課題としての「ホームレス」を著者がどう描くのか、その先を読みたいと勝手に期待している。

と締めくくっている。この題材を選んだ以上、暗黒部分に踏み込む覚悟はもちろんあるんだよね?と問いかけておられるのだ。これ、書き手のみならず、むしろ選んだ運営側にこそ痛烈に刺さる一言だと個人的には思うがどうだろう。

書き手さんだって、現場に通っていれば否応なしに突きつけられるものはあっただろうし今後もきっとあると思うが、このままスルーの方向で行くんだろうか。一切暗黒面には踏み込まないというポリシーで書き続けられるなら、それはそれで稀有で凄いことかもしれない。でも多分、運営は今回同様まるで守ってはくれないだろう。

何だかとりとめがなくなってしまった。まあ前回と同じくおそらくこの件も、スーっと流れていくんだろう。あんまりスッキリしないけど、もういいや。





「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。