除草作業は大人のたしなみ?
何かに取り憑かれたように、
来る日も来る日も雑草駆除をしている。
鎌で切りまくり、
抜きまくり、
スコップで起こしまくる。
特に、畑になにか植えたいと思っている訳ではないのだけど。
現在、失業中なので、なにかやらねばと気が焦っているのだと思う。
やりたくないが、草刈り、草抜き、畑を起こすなどの除草作業が仕事と相応と考え、強制的に行なっている。
とにかく何かしていないと落ち着かない。
読みかけの本が何冊もあるから、どっぷり読む時間に充てたい。読みたい。
でも体がムズムズしてそれを許さない。
エプロン、腕抜き、首には手ぬぐい。
帽子に手袋、専用の長ぐつを装着し準備オッケー。
手には道具を握りしめ、作業は開始される。
“無職という罪悪感”
失業手当の手続きもした。
仕事だって探している。
そんなふうに感じる必要などないと思うが、動かずにはいられない。
それらをかき消すようにラジオを聴きながら作業する。オードリーのオールナイトニッポンをradikoで聴く。
聴き始めて2〜3年経つと思う。
きっかけは家事をしながらの、“ながら聞き”したいと思った。
radikoでラジオを聴きたいが、しばらくラジオとは無縁。現在何が面白く、何が流行っているかを知らなかった。
(※radikoとはインターネット・スマホアプリで聴けるラジオのこと)
お気に入りのパーソナリティーや芸能人は皆無だ。
とりあえず老舗・有名どころのオールナイトニッポンを調べたら、オードリーがヒットした。
“そうよ、この人たち人気だって聞いたことあるわ…”
想像以上に面白かった。
すぐにradikoでフォローした。
手を替え品を替え、日常や仕事中などに起こったことを、それぞれのターンでコミカルにトークする。
毎週こうもネタがあるものかと感心させられる。
いや、苦慮していろいろ捻り出しているのだろう。努力の賜物だ。
これがリスナーを惹きつける最大の魅力だ。
ファンであるリトルトゥース(※オードリーのオールナイトニッポンリスナーの呼称)から声をかけられたエピソードだったり、1人で食事へ出かけた際の店内の愉快なエピソードなど、コミカルでありながら、感情豊かにトークが繰り広げられる。
人となりも解る。
人気の理由が解るのだ。
だが初めて聴いた時、若林さんが激しく春日さんを罵倒していた。これにはかなり驚いた。
(フリだったのだが)
今でも印象に残っているエピソードがある。
“なぜ洗浄トイレの便座が水浸しになるのか?”という回だ。
使う前からビシャビシャになっていることに疑問を抱いた若林さんの話から、春日さんと放送作家で名誉トイレ診断士であるサトミツさん(佐藤満春 笑い芸人)が局のトイレに出向き検証するというものだった。
春日さんの体当たりの検証にかなり笑った。
結果は後付けの温水便座だったから、便器とのズレが生じるということだったと思う。
ためになったねぇ〜。(もう中学生 風)
どこか不器用で。だけど人のよさが隠しきれない若林さんと、いつでも、どこまでも自信満々な春日さんのトークを聴いていると元気が湧いてくるのだ。
2人から元気をもらっている。
…わたしもリトルトゥースに入れてもらえますかね?
そう、話を戻そう。
一心不乱に雑草駆除をしたくなっている。
いや、しなければならないのだ。
働かざる者食うべからずと感じる。
完全に脳がコントロールされている。
雨が降らない限り、この作業は続く。
“果てしない 大空と…”
除草作業をしながら、北海道を代表するアーティストである松山千春 様の、キレイな歌声が脳内ループする。
(『大空と大地の中で』松山千春より)
ご近所さんたちは玄関まわり、畑、花壇全てにおいて本当にキレイにしている。
鏡としか思えない。
この地域はお年寄りが多いのでなおさらかもしれないが、家まわりをキレイにすること、
それは大人のたしなみなのだ。
ここいら田舎では、家まわりをキレイにしておくことが大人になった証、世帯を持った証!というくらいの重圧がある。
家を構えたことの延長と思うが、キレイに保つところまでが大人なのだ。
そう感じる。
見栄えは大事なのだ。
そりゃ、キレイな方がいい。
いいに決まっている。
結婚して子どもが産まれ、間もなかった頃のこと。慣れない育児に奔走し寝不足だったある日、義姉が義両親をつれて突如やって来たことがある。
わが家の雑草を駆除をするために。
アポ無しだった。朝の8:30だったか9:00ころだったと記憶している。
すでに出勤した夫に慌てて連絡し、一度昼に戻って来てもらい、みんなで宅配寿司を食べた。そして一行はあっという間に去った。
嵐が一気に来て、去った。
一体何が起こったのか?全く意味が解らなかった。
え?手が回らないと思っての善意だよね…??
まだ団地暮らしをしており、裏手には猫の額ほどの小さな家庭菜園ができるスペースがあった。
しっかりと区切られていたし、除草しなくとも見栄えが悪いだけで、さほど周りにも迷惑はかからない。(と思っている)
というか、初めての育児でそこまで気が回らなかった。
住んでいる当人は(夫を含め)さほど気にしていなかったが、夫の親族はそれを許さなかったのだ。
今なら意図が解るが、当時21歳のわたしは善意かもしれないと苦しんだ。理解ができなかった。
わたしは嵐の草刈りには参加しなかった。
けれど猛烈な圧を感じた。
その後、突然押しかけてくることはなかったが、“定期的にやりなさいよ”という強いメッセージと受け取った。
忘れられない出来事となった。
引っ越すまでの間、結局その菜園は手をつけることなく、現在の戸建てに暮らしている。
これが、はじめに大人のたしなみを考えるきっかけとなったかもしれない。
大人のたしなみというと除草だけではなく、除雪も然りだ。
ご近所の玄関先はやはり冬でもキレイだ。
雪のくせにデコボコさえしていない。
きちんとスコップやプッシャーでならしているのだと思う。
わたしだって極力やる。
やるけど力尽きてしまったら最後。あっという間にけもの道が出来あがる。
豪雪地帯であるため、1日サボっただけでも悲惨な目に遭う。
究極は、車だけは出られるよう雪をどかすのみ。
だらしなく思うだろうが、通路しかつけられない時だってあるのだ。
郵便配達や新聞配達の人たちには苦労かけて申し訳なさを感じるが、できない時はできないのだ。
そして“大人のたしなみ”から漏れそうになれば、
仕事で忙しくしていても、
1人で家事を担っていても、
1人で家まわりの仕事を担っていても、
病後の夫のことがあっても。
容赦なく実親から指摘される。
「やっているのか?」…と。
あげく「行って手伝ってやるか?」と言われる。
毎回丁重に断る。
おそらく本気で言っている訳ではないと思うが、もうすぐ五十路の、大人になりきれていない子供が気になって仕方がないのだろう。
いや、世間体のことだけかもしれない。
親からみても、わたしは大人のたしなみ検定”不合格”なのだろう。
でも、うちのことは自分でやる。
自分のことなんだから。
やらずにだらしなく見えても、後ろ指さされたとしても、それはただの自分の責任なのだ。
これまで夫が病気してからの6年間は、畑も花壇も、そして家のまわりに敷いている砂利からも雑草で鬱蒼としていた。
畑から生える雑草においては、放置し続ければ自分の背丈以上にもなる。
夏の雑草は生命力が強い。
雨が降り、晴れれば、またさらにその勢いを増す。
工場仕事と更年期の体も手伝い、毎日が疲労困ぱいだった。
週休2日制だったので、1日は完全な身体の休みに充てた。
2日目にやっと家事するといった具合だ。
下手したらごはん支度すらできなかった。
絶望だ
家の中だけでも精一杯だった。
退職せず、引き続き工場の仕事をしていたなら、この時期が一番つらい仕事を担っていた。
みんなは元気だろうか?
今ごろ草は伸び放題だった事だろう。
病気する前の夫は、外の作業担当だった。
今はできないため、現在はわたしが1人でこなす。
こうなってからが身にしみる。
夫は本当によくやってくれていたのだ。
…と
わたしだって全くやらない訳じゃなかったが、ほぼ任せていた。
草刈りのチェーンソーが欲しいと言えば渋り
(購入したが)、作業後の草の片付けをしていないと怒り、混合油がなくなったからとおつかいを頼まれれば不快な顔をしたり…と、ことさら態度の悪い妻だったと反省する。
今さらだが、ありがたみをヒシヒシと感じるのだ。感謝しかなかったんだ、ありがとう。
当然のように通り過ぎていた。
気づけぬわたしのバカ、バカ、バカ!
だからわたしは雑草駆除を続ける。
荒れ果てた耕地を、来る日も来る日も。
鎌で切りまくり、
抜きまくり、
スコップで起こしまくる。
大人のたしなみかはさておいて、
シャカリキにやり続けるのだ!
シャカリキ…って、何?
釈迦の力で『釈迦力』って書くらしいよ!
ためになったねぇ〜。(もう中学生 風)
最後までお読みいただきありがとうございます。
除草は続くよ、どこまでも。
カワコ