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芦生の森を歩く

京都の西北、美山の里山は春が美しい。雪深い山里の春は遅いが、その替わりに、五月の連休の頃になると草木が一斉に芽吹き、花を咲かせる。南丹市美山の東奥には、田歌が、さらにその奥には芦生があり、ブナの原生林南限の地として知られている。暖温帯林と冷温帯林の移行帯に位置するので、植物の種類が大変多く、落葉と常緑の広葉樹、そして針葉樹が標高や水土の条件に応じて分布し、豊かな植生と多様な生物群が保全されている。京大研究林のあるこの付近の森を、学生の頃から友人らと、研究室の仲間と、そして時に家族も一緒に山歩きを楽しんだ。

芦生の森に入るにはいくつかのルートがある。作業所のある長次谷には、1)研究林事務所からトロッコ道を歩き、由良川本流を遡上する、2)広河原、佐々里峠から川筋に降りて、本流を遡る、3)地蔵峠から長次谷に降りる、4)事務所横の林道で下谷を抜ける、さらに5)櫃倉谷から杉尾峠に出て本流を下って、辿り着ける。いずれにしても、教育・研究のために管理運営されている森林に入るには、現地の京大芦生研究林事務所にて入山許可が要る。大分前になるが、私が関わっているNPO法人才の木が企画し、大学の協力を得て、一泊二日の「芦生の森を歩く-由良川の源流を訪ねて-」ツアーを実施したこともあった。20人余りのツアーであったが、参加者が全国から集まり、改めて芦生自然林の魅力と人気を実感したことを憶えている。

由良川の源流を歩く

私が好きなルートは、長次谷から上谷を沢づたいに由良川源流を辿る比較的緩やかな谷筋の道です。運動靴でも十分歩けますが、渡川することが多いので、むしろ長靴がお勧めです。もちろん、防水の効いたトレッキングシューズがベストなことは言うまでもありません。

野田畑湿原を通り抜け、トチやブナの大木、ミズナラ、サワグルミなどの落葉広葉樹が自生する明るい森のなか、長次谷から杉尾峠に向けて、由良川を遡り、源流を目指します。大きく、苔むした倒木があちこちにあり、キノコが自生したり、クマの巣ごもり、越冬穴を見つけることもできる。独特の姿勢をしたアシウスギ(芦生杉)も目に入ります。このスギは、日本海側に分布するウラスギの仲間で、下枝が枯れあがらず垂れ下がって伏条し、枝葉が地面に付くと、そこから発根して更新します。

沢沿いの道は、あちこちの谷筋から水が流れ込むので、渡渉を繰り返しながら歩きます。コンパスと地図を頼りに進むが、ともすれば本流を見失いがちになる。季節により辺りの景色が一変するので道に迷うことも多く、注意が必要です。

以前はクマザサなど、多くの下草で覆われていたこの道もいまではほとんど裸地となり、かえって歩きやすくなった。シカの食害によって下層植生が失われたのです。河畔の森を歩いても、トリカブトやアセビなど、毒をもつ山野草しか見られなくなりました。さらにシカは樹木の内皮も食べるので、木が枯れる被害が生じています。林内では以前は保護獣であったシカが爆発的に増え、いまでは無情にも害獣として駆除の対象になっています。都会では野生動物の肉食(ジビエ)が注目されているので、食肉としての活用は単なる駆除に比べるとはるかに望ましいかたちですが、自然をバランスよく適切に保全し、共存するのはなかなか難しいことです。

さて、源流が近くなると川筋が見えなくなります。そのまま、濡れた枯葉と小石の瓦礫の道を登ると、コケに覆われた山肌からしみ出るように水が湧き出ているのが見つかります。由良川の源流です。辿りついて見れば、特段変わったものではありませんが、日本海に注ぐ由良川の大河もこの湧水、「はじめの一滴」から始まるのだと思うとなんだか不思議な気分になります。源流の沢筋を上りきると、杉尾峠に出ます。峠で一服すると、北方の福井地方に向かって日本海を遠望する雄大な景色が望めます。

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