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生き物のコミュニケーション

コミュニケーション

今夏生まれたばかりの孫と2ヶ月余り一つ屋根の下で暮らした。わが子のときとは違って余暇があり、孫と共に過ごす時間がたっぷりあって、楽しいひとときを過ごした。おかげで赤子の成長を目の当たりにすることができた。

ヒトの赤子は、受精卵から胎児の成長段階で進化過程の形質的な特徴を順次辿る。産まれてのちのコミュニケーション手段もまた他の動物と同じような発達過程を経て学んでいくようである。したがって、赤子が声を上げて泣くのは、重要な「はじめの一歩」であり、泣くことを通じて、意志を伝えるとともに、声の出し方も合わせて学ぶ。

二ヶ月もすれば、声を上げての喜怒哀楽の表現も細やかになり、年寄り相手のコミュニケーションも多少はできるようになる。百日も経つと、(当初は戸惑っていた風であったが)バーチャルのテレビ電話の画像と音声に認識、反応して、笑い、声を出すようになる。驚異的な発達ではある。こうして舌や喉の動きを覚えて、声による表現がどんどん豊かになり、脳内細胞のネットワークも密に構築されるのであろう。けれども、言葉を発し、会話をするようになるまでには、なかなか手間と時間がかかる。

そういえば、小鳥はなかなかのコミュニケーション上手である。仲間を呼び、話しているときと、カラスや人など警戒すべき天敵の侵入に対して周りの仲間に警報を発するときとでは、声の質が全く異なるのは驚くばかりである。京都深草の竹林には多くの野鳥が住んでいる。春先は殊更にぎやかである。ウグイスのさえずりも、早春の頃は下手でも、五月にもなれば、周りの仲間から学ぶのか、あるいは恋する相手に受け入れてもらうのに懸命なのか、大変上手く鳴くようになる。

動物とは異なり、植物は声音を出さない。コミュニケーションの手段は音ではなく、色や香りである。花や果実は、その華やかな色だけでなく、香りを放出することにより、花粉を運ぶ昆虫を呼び、種を撒く鳥を招く。ある植物は、ときにある特定の鳥虫にのみ関知できる色や香りを放ち、呼び寄せる。二種間に特異な共進化を遂げ、濃密な共生関係が成り立っている。われわれ人間も花と果実の色香に魅せられて、人生を豊かにしているうちに、これら植物のしたたかな戦略に乗せられ、その生き残りに手を貸しているとも言える。

植物は、世代をつなぐためだけでなく、病傷害を受けたときも、その病傷害に特有の揮発性化合物群(VOC)を生成・放散することが知られている。これらVOCの放散は、病原体や食害する昆虫がその香りを嫌って避けたり、食害虫の天敵を呼び寄せることにより、自己を守る仕組みである。また、周辺にいる仲間がこうしたVOCのシグナルを受け取り、病傷害が差し迫っていることを察知して、自らの抵抗性を高めることも知られている。これらは揮発性化合物の香りを介した植物のコミュニケーションといえる。

アレロパシー

生き物のコミュニケーションは広い意味で生態系ネットワークの通信伝達手段と捉えることができる。ある植物が他の植物の生長を抑える物質を放出したり、あるいは動物や微生物の侵入を防いだり、あるいは引き寄せたりする効果をアレロパシー(Allelopathy)と呼んでいる。樹木が放出する揮発性化学物質をフィトンチッドとも言いますが、アレロパシーとほぼ同義である。森林浴はヒトがこれに接してリフレッシュ効果や癒やしや安らぎをもたらす健康増進の方策です。これは、植物が自己防御のために放散する「毒物」(フィトンチッド)にヒトが適応して「薬物」とした例と言えます。その主な成分は殺菌力を持つテルペン類です。一方、病傷害を受けた植物は主にアルデヒド類を生成放散する。

さて、アレロパシーはわれわれの暮らしの周りでもしばしば観察される。
たとえば、外来種のセイタカアワダチソウは根や地下茎からアレロパシー物質(アセチレン化合物など)を分泌することが知られている。このためセイタカアワダチソウの繁茂する場所では新たな植物の侵入は困難になり、地下茎で繁殖するセイタカアワダチソウ一色となる。しかし、このアレロパシー物質は他種だけでなくセイタカアワダチソウの種子発芽も抑制してしまう。そのため、しばらくすると自ら放出するアレロパシー物質によって自家中毒に陥り、自身の繁茂が抑制されて、次第に勢いが衰えるのです。

近年は少なくなったが、秋の田んぼの畦道に咲くヒガンバナ(別名、曼珠沙華)の赤い花は、稲穂の黄色と鮮やかな対照をなし、典型的な初秋の田園風景でした。わが国のヒガンバナは3倍体で、花は咲いても種子ができません。人間が植え、育てたもので、はるか昔に中国大陸から持ち込まれた植物です。

ヒガンバナの全草、とくに球根にはアルカロイド(神経毒)が含まれているのです。毒性の強いヒガンバナを利用して、水田畦畔でネズミやモグラが穴を開けるのを防ぐのに栽培されてきました。さらに、飢饉の際には球根を水にさらして有毒アルカロイドを除去したのち、残ったデンプンを食用にしていたようです。一方、このアルカロイドがイネの生育に悪い影響を与えないかと心配しますが、これは杞憂なのでしょうか。ヒガンバナはヒトと共生関係にあるが、近年めっきり姿を消して見られなくなりました。畦畔の保全と万一の食糧確保のために先人が植えた草ですので、ヒガンバナは人の管理なしでは育ちません。

同様に、ヒトは体内において腸内細菌叢(フローラ)と共生していることはよく知られています。このようにヒトは、体内・体外を問わず、さまざまな生き物と共生し、その(生態系)ネットワークのなかで生を営んでいます。自然と社会の多様なネットワークのなかで、人は生き、そして生かされているということができるのではないでしょうか。

写真のソース:https://zatsugaku-company.com/plant-communication-smell/

#コミュニケーション #生き物 #アレロパシー #フィトンチッド #共生

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