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素直なほうがいい理由

自慢じゃないがわたしは素直ではない。

特に精神的に乱れているときは素直ではない。「素直なんてクソ喰らえだ」とさえ思う。理由は簡単で、素直に行動することが怖いんだ。わたしが過去に引っ張られながら生きていることも影響している。現実でうまくかないような出来事が起きたとき「ほれ、見たことか。やっぱりうまくいかないじゃないか!」と過去にうまくいかなかったことを思い出して答え合わせをする。素直にやってみたのにー!って。挑戦してもうまくいかなかった場合なにかのせいにしたいんだろうね。そんなときのわたしに「素直が大事だよ♡」なんてささやいた日にはトバッチリを受けるから気をつけてほしい。

だけど、心が安定しているときは「大事なことは素直だよね」なんて思うんだからほんとうに人間というものは勝手だ。

わたしは生き方には二種類あって、過去に引っ張られる生きかたの人と、未来に向かって猪突猛進に走り出せる人がいると思っている。どっちかというと猪突猛進に見られがちなんだけれど実は過去に引っ張られるのがわたしだ。つまり、過去の出来事を糧というか財産として大事に大事に胸にしまい、ときに美化しながら生きているため見えない未来に希望の光を持って突き進むよりも確実に大丈夫なのか?と疑心暗鬼になりながら進む。どっちがいいのかは知らない。過去ばかり見ても疲れちゃうし未来ばかり見ても少しバカっぽい。つまり真ん中でいられたらいいけれど心が荒んでいるとそうもいかない。にんげんだもの。

だけど、素直なほうがいい理由はひとつだけ明確にわかることがある。

素直でいるほうがほんとうは自分がどうしたいのかわかりやすい

過去に引っ張られて生きているとつい過去の出来事と比べてしまったり、誰かを喜ばすことや誰かの意見を気にしてしまう傾向にあるけれど素直でいることができればつい頭の中に誰かが浮かんでも「いや、わたしはほんとうはどうしたいんだっけ?」というところに戻れる。それは素直の利点。すねていてもすねすぎなくなる。

さっきから過去に引っ張られるという言葉を何度も書いているけれど別に悪いことだとは思っていない。むしろ逆。「ほんとうはどうしたい?」ということさえ忘れなければ過去は持ち続けていきたいと思っている。自分の散々だった経験も、父のこともその他もろもろしんどかったことから嬉しかったことまですべて現在は過去のわたしからの地続きであるとさえ考えています。ただ、過去に意味をつけ過ぎてしまうといつまで経っても未来に走ることが出来なくなってしまうので深い意味はつけ過ぎず。

未来を素直にバカみたいに明るくみることが出来ないからこそ言葉を交わすことのできない飼い犬を愛でて気学で未来を読むのが好きなんだろうね。

とはいえ、心があっちこっちにグラグラすることも人間のSAGAだとおもうのでくっそーー!何が素直じゃ!!ってなる日は今後もあるけれどそれでもいいじゃない。「ほんとうはどうしたい?」の質問さえ思い出せば少しはヤンキーのように毛羽だった気持ちからマシな道に戻れるでしょう。別にヤンキーをバカにしてないけどね。むしろすき。

つい、過去に引っ張られると不幸になりそうな道を歩きたくなる衝動に駆られる。あえて大変なほうを選んじゃうというか。「これ、ほんの少しですけど」「いやいや、悪いですよ」「いえいえ、ほんの気持ちなんで」「あら、そうですか?」みたいについ受け取っちゃうというか。自分の意志に反して受け取っちゃうように見せかけて実は自分から手を出しているんだよね。

人生ってなんて愉快なんでしょう。



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