移動している時こそ自由
移動ほど頭が自由なときはない。
そう思うくらい、移動は大切。
友達の家までの、歩き。
学校までの、バス。
帰省するときの、飛行機。
この移動の最中は、
頭の中が勝手に、そして自由にはたらいてくれる。
ほんとうに自由に。
いつも考えていることが整頓されていくような、いろんな無駄なものがなくなって洗われていく。前に考えていたことが急にスッキリする感じのこと。
そんなことを、移動はくれる。
とにもかくにも、これは重要だということ。
だから去年、
“コロナで、なんだかグダグダしてしまったりスイッチが入らないのは、移動することがなくなったから。そして移動は、民俗学者へネップの通過儀礼「分離→過渡→(再)統合」でいう過渡の役割をしていて、コロナによってそれがすっぽり抜けてしまった。
だから、私たちはうまく統合ができなくて切り替えが難しくなったのでは!”
という考えに、大学の授業のグループワークメンバーと一緒にたどり着いたことを、今でも大発明だと思っている。
だからこそ最近の、
車内でもリモートワークができる、東海道・山陽新幹線のS Work車両は、移動が移動でなくなるから、頭によくない気がする。
そして、いつか、
どこでもドアが発明されたときにはもう、頭に何が起こるかわからない、とても恐ろしいものである。
私たちの頭は、
これからどうなっていくのだろう。
むしろ、新機能が搭載され、
うまく適応していくのかもしれないが。
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