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第38話『一度きりのチャンス』

 奴隷商団の団長――ゲンブの「取引」という言葉に、ボクのスキルが発動した。
 ピコンと電子音が鳴ったのを、ボクは脳内で聞く。

 ログを確認する。
 商人のスキル<交渉術>だ。

 ボクはまるで、脳が何十倍にも巨大化したような錯覚がした。
 脳細胞が活発に情報のやり取りをしているのがわかる。

 まるで時間が引き延ばされたかのようにスローに感じた。
 それほどまでに思考が加速していた。

「おぬし――わしの元へ、来る気はないかのぅ?」

 ゲンブはそうボクを勧誘した。
 ギョッとした様子で、リョウが彼の顔をうかがうように見ていた。

 一方でボクはまるでその誘いが来るとわかっていたかのように、平然としていた。
 すべてはスキルのおかげだ。

 <交渉術>はパッシブスキルのひとつだが、ゲーム時代も発動には条件があった。
 商売時や商売人を相手にしているときなど、特定のタイミングでしか使えなかったのだ。

 エリィに対して使えなかったのもこれが理由だろう。
 しかし、今はちがう。

 ――きひっ、きひひっ、きひひひひひひっ!

 笑いを堪えるのが大変だった。

 これは、千載一遇のチャンスだ。
 ボクが生き残る……どころか、欲するモノを手に入れさえできる最大の好機。

「悪いが、あんちゃん。今回の仕入れ……エルフどもに関しちゃぁ、1匹残らず玄武団わしらがもらい受ける。もちろんソレも同様にのぅ?」

 ゲンブは言って、エリィを指差す。

「どのみち、あんちゃんのレベルじゃぁ”奴隷化”なんぞムリじゃろぅて。これはお互いにとっても、そう悪い話ではないと思うが?」

 エリィを寄こせだって? 悪くない話だって?
 はっ、よく言う。

 さっきまでのボクなら悩んでいた。
 しかし、今のボクにはその選択肢がいかに愚かかよくわかる。

 彼女はボクのものだ。
 1度ボクがそう決めたのだから、決してあとに引くことなどできない。

 引けばその瞬間……ボクはまた、被支配者層へと戻ってしまう。
 なにより譲る理由がない。

「ただ、それじだけじゃああんちゃんも納得線じゃろぅ。代わりにわしぁ、あんちゃんをうちの奴隷商団に引き入れたいとも思うちょる。条件としてはそうじゃのぅ、そこのエルフを売って得られるだろう純利益の半分を祝い金……あるいは契約金として支払おう」

「団長ォ、そいつぁお人好しがすぎやせんかァ?」

「よいよい。あんちゃんはそれを商人として成り上がるための資金にするもよし、あぶく銭として豪遊に使うもよし。いずれにせよ破格の条件じゃと思うが? どうじゃ、文句はなかろぅ?」

 ゲンブは顔の疵痕のひとつをなぞり、目を細めて言った。

「この条件で”今いる商団”を抜けてわしの元へ来んかぁ? わかりにくければ『引き抜き』と捉えてもらっても構わぬぞ?」

 物は言いようだな、とボクは思った。
 ゲンブは加えてボクを持ち上げるような発言をする。

「おぬしには奴隷商人としての素質……判断力と行動力、利益を冷静に計算できる観察眼がある。わしの元で半年も働けば、その”亜人”に入れこみ過ぎるっちゅう欠点・・も治って、大成するじゃろぅて」

「……ふむ」

 ボクの脳は高速で回転させる。
 どの言葉を選択すれば、もっとも利益が大きくなるかを計算する。

 そして結論を出す。
 立ち上がり、交渉術によって滑らかに回る舌でもってボクは答えた。

「申し訳ありませんゲンブ団長。ボクにはその提案を受け入れることができません」

 いつものどもりはどこへやら。
 自分ののどからこんな音が出せたのか、と驚くほどにその声はよく通った。

「ほほぅ? そうかぁ、そりゃ残念じゃのぅ」

 言って残念そうなポーズを取る。
 相手も団長という地位にある人間なだけあって、それが演技なのか、本心なのかまでは読み取れなかった。

「まぁ、あんちゃんみたいな優秀な奴隷商人じゃったら、またどこかで相まみえることもあろうて。……せいぜい、ムチャが過ぎて死なぬようにだけは注意するんじゃな。……では、リョウ」

「了解でさァ」

 ゲンブの指示を受け、リョウがエリィへと手を伸ばした。
 髪を掴み、持ち上げた。

「……きひっ」

 予想通りの行動だな。
 彼らはボクが奴隷商団に入らないのなら、彼女はこのままタダでもらっていくぞ? と言っているのだ。

 エリィは折れた腕に響いたらしい。
 痛みにビクンと身体を跳ねさせ、目を覚ました。

「ぅ、ぎっ!?」 痛い……い、いやっ! 話して! 止めて引っ張らないで! お願い、腕が痛いの! お父さん、助けてよぉお父さん! 痛いよぅ、痛いよぉ……!」

 エリィはすっかり心が折れていた。
 泣きじゃくって父へと助けを求めている。

 リョウはそんな彼女の顔面に淡々と拳を叩き込んだ。

「うっ……ぎぃっ!? いやっ、やべっ……あがっ……、……」

 ようやく黙ったのを確認すると、破魔の拘束具を取り出した。
 それをエリィの手首に嵌める……。

 ――直前に、ボクは「待て!」と声をかけた。

 タイミングはバッチリだ。
 ゲンブもまたその言葉を待っていた、とばかりに笑みを深める。

「なにか、早とちりをされているのではありませんか? ボクは入団そのものを断ったのではありませんよ。ただ、『ボクを雇うには条件が低すぎる』と言ったんです」

 リョウの動きが止まった。
 眉間には不快感を示すように、しわが寄っていた。

「あァン? テメェ、調子に乗りやがったなァ? 団長の評価に泥塗るようなことしやがってェ」

「ふむ。こりゃぁ、リョウが最初に言っていたことが正しかったかのぅ? 見所のあるやつかと思ったが、ちぃとばかし自分の能力を過信しすぎじゃぁ。客観視できておらぬのは商人として大きなマイナスじゃのぅ」

 ボクはその言葉にニヤリと笑ってみせた。
 なるべくふてぶてしく見えるように。

「そう思いますか? むしろ、ボクには今こそが自分を売り込む商機……いや、勝機があると思いましたが?」

「……はぁ。のぅ、あんちゃん? 自信だけは一丁前だがのぅ、そんな口先だけのハッタリでわしらを納得させられるう思うちょるんならぁ、それはただの願望でしかあるまいて」

「たしかに一理ありますね」

「ふんっ。ならば、おぬしも奴隷商人の端くれなんじゃから――対価と誠意を見せねば、のぅ? 通るもんも通らんじゃろぅ?」

 ゲンブは威圧的な視線でこちらをギロリと睨んだ。
 ……すさまじいな。

 <交渉術>が発動しているのに足が震えそうになるほどの恐怖だ。
 だが、その言葉こそをボクは待っていた。

「ならば、見せてさしあげましょう。ボクならば……」

 ボクは一歩踏み込む。
 そして、堂々と言い放った。

「――たった一度、ひとりきりの<テイム>で、このエルフを奴隷化テイムできます!」


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