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もうこれでさようなら

17歳の時も死にたかった。
本当にあの時死ねとけば大学受験しなくて済んだし、バイトでミスしなくて済んだし、6700円損しなくて済んだし、18の時した変な買い物も、この前した怪我もしなくて済んだのに。手首もあの時以上傷つかなくて良かったのに。
でも、17で死んでたら高橋優に会う回数が11回減ってたし、大森靖子にも峯田和伸にも神聖かまってちゃんにも会えずに死んでいた。大阪にも行かないまま死んでいた。551を食べずに死んでいた。高円寺の可愛いワンピースも着れないままだったし靖子ちゃんの新曲も聴けなかった。ギターにも触れないままだった。
しかし、これで安直に「生きててよかった」なんて言えるような3年ではなかった。一万回幸せでも、数回の不幸でぶっ壊れる。可愛いものを買ったり、人と話せただけですっごく幸せ。信号に引っかからないだけでいい日だと思える。でも、自分と向き合うだけで苦しいし、焦らされると勢いで死ねる気がする。

死ぬことはとても怖い。簡単すぎて怖い。
今、目の前に一瞬で楽に死ねるボタンがあれば絶対に押す。この前驚くような自傷をしてた子も、垢消しして戻ってこない子も、私のことを「かわいいよ」って励ましてくれたあの子も、今すぐじゃなくてもタイミングを見て押すかな。

よく【死ぬこと以外はかすり傷】っていう言葉があるでしょ。あんなのクソ喰らえだと思ってる。死ぬことの方がよっぽどかすり傷で、生き続けることは死ぬより難しい。死ぬのなんか首締めたりマンションから飛び降りたり電車に飛び込んだりすればいけちゃう。難しいことはしなくていい。
でも生きるのってもっと複雑じゃん。人に不快な思いをさせないように、だけど親切にしてもらった時はそれを有難く頂いて失礼のないように。そして自分のことを嫌いになったら終わり。落ちた自己肯定はもう戻らない。出来ることを伸ばして出来ないことを克服しないといけない。精神疾患になったら黙って人から離れる。

私はメンヘラなので人は私と距離を置いた方がいい。これは私もよく分かってる。だからわざと人から嫌われそうなことをすることがある。優しくされると依存してしまうから。私と関わって人生むちゃくちゃになったら申し訳ないから。どんなに死にたくても、私のことは私が助けるから大丈夫。

17歳の時、自分のことが大嫌いだった。嫌いな人のことをわざわざ助けようとは思えなくて、私は私を助けられなかった。だから自殺したんだと思う。自分のことを好きになる努力をしろ!だなんて自殺するくらい自己嫌悪の酷い人に言えますか?私は無理だった。努力する体力がなかった。毎日何時間も寝てるのに体力がないなんて変な話だね。

でも何とか、私は私を助けた。私は私が大好き。可愛いし優しいしあったかいし人当たりがいいし。もっと愛されてもいい気がするくらい。やり尽くしてたどり着いた性格に手作りのかわいい。

そして今日も生きている。

インターネットには助けてもらいたいメンヘラが沢山いる。腕の傷の深さで辛さを競ったりする人もいれば、可愛い顔と共に「自分なんて大嫌い」とツイートして「そんなこと言わないで!泣」と囲ってもらう子もいる。私もそんな風になりたかったなぁと思いながらそれはダサい気がして。
もう人を心配させる人生はかっこ悪いし、色んなことに諦めがついたから。心配しないでよ。

なんて書きつつも、心のどこかでは助けてほしいと思ってしまう。

心から嫌いなところは自分に対しても騙して生きてるけど、本当は上手く人に頼ったり、頼られたりして生きたい。私が思ってるよりみんな優しいんだよね。うれしいね。だから向き合いたい。

毎日ちょっと悲しいし、ちょっと苦しい。
でもそれくらいが丁度いいのかな、
ちょっと、壊れるまで抱きしめて。
壊れそうなのが続くよりずっとマシだから。

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