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ラ・スイート神戸ハーバーランド(兵庫 神戸)

カナは、頑なに家の場所を教えたがらない。今朝も、家の前まで行くよ、と言ったのに、谷町通り沿いでと指定された。ついさっき「着いたよ」とLINEを入れたばかりだから、まだしばらく来ないだろう。臭いが残らないように車の窓を開け、カナの前では吸わないようにしているIQOSのボタンを押す。まだ付き合って数週間しか経っていないのに、近場とはいえ車で泊まりがけの旅行はどうなのだろうと悩んだ。けれど、元嫁の冨美子には釣り合わなかったような場所に、見栄えのするカナを連れて行きたかった。

早めのランチを軽く取り、ウインドウショッピングなどで時間を潰し、予定通りチェックインする。全室オーシャンビューのラグジュアリーホテルの触れ込み通り、景色が抜群に良い。Instagramでフォローしているグラビアアイドルがあげていた投稿を見て以来、ずっと女の子と行きたいと思っていた。
「こんなところ初めてやわ。長谷川さん、連れてきてくれてありがとうございます」
早速テラスに出るなり、カナが言った。
「本当?良かったわ。カナちゃん、育ち良さそうだし上品だから、こういうところにもすんなり溶け込むな。家族旅行とかで、色々良いところ泊まったりしたことあるんちゃう?」
カマをかけてみた。あの議員の娘ならば、きっと高いホテルやレストランなんて慣れているだろう。
「そんなことないですよ。私、長浜の田舎者ですよ?元夫とも旅行とかあんませんかったし、本当に、こんな良いとこ初めてです」
本当か嘘かはわからないが、今この女より、そしてきっとその元夫とやらよりも俺の方がずっと稼いでいるのは事実だ。年末のスイートルームは結構な値段がしたが、独り身になって生活費も減ったし、来年の確定申告も今年より依頼が多い。この良いとこ育ちで良い大学を出ているお嬢様は、貧困家庭育ちでたたき上げの俺の苦労など知らないだろう。今の俺は、そんな子に、しっかりした仕事をしていて金があるいい男として見てもらえていることに優越感を覚えている。

日が暮れ、工事中のポートタワーに青い光が灯って少ししてから、夕食が運ばれてきた。部屋でゆっくり食事できるのは嬉しい。スタッフの説明を聞き、なるほどルームサービスだから、冷めないようにスープやコーヒーは保温の銀のポットで出てくるのかと感心しつつ、目の前に座るカナを眺める。
「神戸牛!嬉しい。長谷川さん、何から何までありがとうございます。まだ出会ってから日が浅いのに、良くしてくれすぎですよ」
カナの敬語はなかなか抜けない。スタッフに、どういう関係だと思われているのだろうか。高級娼婦とその客?プライベートな男女の間柄なら、普通敬語は使わないだろう。冨美子と付き合うようになってから離婚までの十数年間、俺は1回も浮気をしなかったが、夜の商売の女性とは別だった。服部先生らと連れ立って北新地で飲むこともよくあったし、そこで出会った子と食事に行ったことも何度もある。そういう時、礼儀正しい子は皆揃って、一線を引いているかのように敬語だった。そうだ。服部先生にも、あの日一緒に飲んだ子と付き合いましたよと報告しなければならない。

メインの神戸牛を口にするなり、カナが横長の大きい目を細めて「美味しい」と言った。やはり、あの三条烏丸のカフェの女、レミに似ている。もしかすると、最初に会った時から、彼女の面影を感じていたのかもしれない。酒も身体も介在しない店員と客の関係でしかなかったあの澄ました女の。
「お肉はもちろんですけど、付け合わせのマッシュポテトも最高に美味しいですよ」
「本当だ」
目を丸くする俺に、カナは、
「子どもみたい。長谷川さんって、バリバリ仕事されてて、振舞いも紳士的やし、同世代って思えないくらい大人びて見えるけど、よく見ると顔つきとか表情とか少年感ありますよね」
と言った。

夕食よりも楽しみにしていたのが、朝食だ。ビュッフェ形式も楽しいけれど、明るい日差しが入る部屋で二人きりで昨日の余韻に浸りながらというのも最高だ。バスケットには、一目では数えきれないくらいの種類のパンが入っている。食べきれるだろうかと心配したが、スタッフが持ち帰り用の袋をくれた。
「私、パンも大好きなんですよね。京都に住んでいたころは、お気に入りのパン屋が何軒もあって。長谷川さんも、学校、京都でしたよね?パン屋さんとか結構行きました?」
「うーん。あんまかなあ。余ったら、カナちゃん持って帰ってええよ。そう言えば、帰省は明日からやっけ?」
「そうなんです。今年はコロナを言い訳に帰ってないんですけど。本当は去年離婚してから帰りにくくて。ウチ、結構厳しいんで。一応、報告はしてるんですけど、面と向かってとなると気が進まないと言うか」
「そうなんや。ウチはあんま言ってこない家やから大丈夫やったけど、普通そうか。何なら、俺が一緒に行ってあげようか?今、新しい人いるってわかったら、親御さんも安心するんちゃう?」
「え…」
カナが黙りこくった。
「いや、どうせ方向同じやし、俺は2日しか用事ないし、もしよかったらと思っただけ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
カナの表情は強張っていた。

「それより、卵も冷めちゃいますし早く食べましょう。スープ、朝はなんでしょうね」
まだ付き合って数週間だから当たり前だと思っていたが、やはりカナとの会話は上辺だけのような気がする。一晩を過ごしても、丸一日一緒にいても、それは変わらなかった。それにしても、よく食べる。前回は酔っていてわからなかったけれど、服を脱いだカナは、スレンダーなイメージとは裏腹に、30代らしい肉がついていた。太っていることを気にして食事を控えるようになり、最後は痩せぎすになっていた冨美子とは、何もかも正反対だ。良く晴れた冬の朝なのに、目の前に新しい彼女がいるのに、離婚する数年前から長らく聞いていなかった冨美子の大きすぎた声を久しぶりに思い出してしまった。

ラ・スイート神戸ハーバーランド
兵庫 神戸
ラグジュアリーホテル
[公式]ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド (l-s.jp)

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