宝泉(京都駅)
「京都駅で一旦降りたから。近いでしょ。すぐ来て」
星奈からの着信で目が覚めた。ふと横を見ると、夜中までそこにいたはずの愛佳さんの姿がない。iPhoneで時間を確かめるともう10時を過ぎている。眠気眼で電話に出ながらLINEをチェックすると、「用事あるから帰るね。ぐっすり寝てたから起こさないでおいた」と、彼女からメッセージが入っていた。寂しく思うが、星奈からの電話を聞かれなくて良かったと胸をなでおろす。
「ごめん。今起きたところ。急に何?あ、今日研修?そんないきなり言われても。また今度ね」
そう電話を切ろうとすると、電話越しにすすり泣く声が聞こえてきた
「お願い。やっぱり私、仕事無理かも」
「え?わかった。どこに行ったらよい?」
「わかんない。気付いたら京都で降りちゃってた。今新幹線のホーム」
居ても立っても居られなくて、急いで一番近くにあったTシャツとデニムに着替え、髪を2,3回だけ梳かしてスニーカーを履く。こういう時、男でよかったなと思う。髪型も、大学生みたいだとからかわれることはあるが、変にセットに凝らなくてもなんとか決まる形に保っておいてよかった。
大通りに出てタクシーを拾う。元カノに呼び出されてすぐ向かうというのはどうかと思うが、星奈との関係はそういったものを超越している気がする。何と言うか、家族のような、妹のような感じだ。普段は明るく気丈にふるまっているものの、実は頼りない彼女が、1人大阪の会社に勤めることになると聞いて不安ではいたが、まだ内定式も経ていない段階で何があったのだろうか。見知らぬ土地で不安な彼女の話を聞いてやらなくてはという衝動が、さっきまで隣にいた新しい彼女に対する優しさに打ち勝った。
新幹線のホームへは、入場するだけなら150円で済むことを初めて知った。13番線ホームのベンチで、1人リクルートスーツ姿で下を向いて座っている星奈の姿を見つける。駆け寄ると、僕の顔を見て安心したのか、星奈は急に力が抜けたように体勢を崩した。おそらく、研修に向かおうとしたが、途中でどうしても行けなくなってしまったのだろう。
「ここじゃああれだから。どっか店でも入ろうか」
僕の問いかけに、星奈は小さく頷く。
コンコース内に、老舗の和菓子店が出している甘味処があったはずだ。星奈は甘いものが好きだから、きっと抹茶パフェでも食べれば落ち着くだろう。
「どう、元気出た?」
星奈はやはり抹茶パフェを、僕は最中とまめ茶のセットをそれぞれ頼んだ。少しは気分を取り戻したであろう彼女は、「そっちも」と言って、僕の最中を1つつまんでいる。
「美味しい…。甘いもの食べると安心する。いきなりなのに来てくれてありがとう」
「ううん。何があったかは、まあ話したくなったらでよいから。研修今から?間に合うの?」
星奈は首を横に振る。
「研修は、もういいの。体調が悪いから休みますって連絡した」
「え。でも」
「私、やっぱり製薬会社に行くの、やめるかも。優樹くんが京都にいるから私も関西に、って思ってたんだけど。研修の段階で言うのもなんだけど、ちょっと合わないみたい。それに…」
星奈はいきなり黙りこくる。
「そうなんだね。でもまあ今からでも間に合う会社はあると思うし。大学院行ってみて、もう1回考え直すのもありかもよ」
「わかったように言わないで!」
急に、店の外にも響くような大声をあげるので驚く。思えば、星奈がこんなにも取り乱したことは、これまで一度もなかったような気がする。
「私、こっちに残ってる何人かの先輩に聞いちゃったから。もう大阪なんて行く意味ないんだよ」
僕ははっとする。そう言えば、まだ数週間のことなので当たり前であるが、星奈に新しい彼女が出来た話はしていない。彼女が自分を断ち切るためにもしなくてはと思っていたが、したところで、彼女が何らかのショックを受けるのはわかっていたし、わざわざLINEや電話で伝えることでもないだろうと考えていた。でも、この様子からすると、星奈はすでにそのことを知っているようだ。そして、それが今回の騒動に関係していることは明らかだった。
「ごめん。自分から言えてなくて」
「優樹くんがいるから、それだけで関西って思ったのに。なのにもう新しい彼女?しかもうんと年上なんでしょ?何それ。遊ばれてるんじゃない?優樹くんはいつも自分のことばっかり。就職だって勝手に決めちゃうし。私は置いていかれるし。今までの楽しかったこと、全部忘れたの?」
僕はどう返したらよいかわからずに、まめ茶の豆をフォークでつついて食べる。思ったよりもしょっぱい。だからこそ、甘いあんことクリームによく合う。
「でも、呼んだら来てはくれるんだね。新しい彼女に悪いと思わないんだ。そこは」
勝手なのは星奈の方ではないか。大阪の会社に就職を決めたのも、僕がお願いしたことではない。僕とのことで悩んで、僕を呼び出すなんて、いつから彼女はこんなに傲慢になったのだろう。
「ごめん。内定先のことで悩んでると思ったから。先輩として話を聞くくらいはと思って。でもそっちのことだったら、僕はもう失礼します」
僕は、伝票を持って席を立つ。星奈は、席で再び泣き始めているが、これ以上甘やかしたらいけない。地元で仕事を見つけても、大学院に進んでも、それなりに彼女は上手くやっていくはずだ。2人の間につながりはいくつかあれど、もうこれで会うこともないだろうなと思い、改札の外に出た。
宝泉
京都駅
甘味処、和菓子
宝泉 JR新幹線京都駅店 (宝泉堂ホウセンドウ) - 京都/甘味処 | 食べログ (tabelog.com)
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