BANDA(大阪・福島)
わざわざ俊介の住んでいる福島に呼び出すなんて、千歳はやはり変わった子だなと思う。変わった子だなで済んでしまうのは、私が彼女に絶対の信頼を置いているからだ。独身仲間が減ってきたところで、メディア学科の同期だった千歳が昨年ロンドンのワーホリから帰ってきたことは朗報だった。今は、ひと月かふた月に一度は必ず飲みに行く仲だ。「最後はコロナで何もできなかったよ」と言うが、夢だったロンドン生活を経て、今は淀屋橋の外資系企業でバリキャリとして働く彼女は、以前よりもさらに輝いて見える。
そんな千歳に、「傷心の愛佳にとっておきのイケメンを見せてあげる」と言って指定されたのが、この福島のスペインバルだったというわけだ。
「そうか、俊介さん福島だったっけ。まあ会わんやろ」
千歳は、アボカドのナチョスをアテに、ハッピーアワーでなんと1000円のデイリーワインをがぶ飲みしながら、あっけらかんと笑う。
「安いから沢山飲もう」
そう言えば、彼女から恋愛的な相談を受けたことがないことに気付く。誰もが認める美人というわけではないが、長く伸ばした艶のある黒髪、一重だが切れ長の目や筋の通った鼻は、いかにもアジアンビューティーだ。海外だったら、現地の男にさぞやモテるだろうし、日本でもこのタイプの女性が好きという男は多いはずだ。取り繕わないサバサバした性格も、一緒にいて心地よい。つまり、決して相手ができないというわけではないと思うのだ。本当は誰かがいて、敢えて私に言ってないだけなのか、それとも単に恋愛に興味がないのかはわからないし、この歳になって聞けることでもない。彼女が恋愛話をしないので、私も大きな出来事がない限りは話さないようにしている。
「あ、そうや。こないだ河原町で飲んだ時、若い子に連絡先教えてたやんね?あれ、どうなったん?」
そんな千歳がいきなり優樹のことを聞いてきたので、少し驚いた。
「あ、あれ」
私は少し黙り込む。確かに、良い子だとは思う。何度も誘ってくれて、向こうに恋愛的な気があることもわかってきた。ただ、やはり何かが引っかかるのだ。そうだ先週も、カレーの後に連れて行かれたのはチェーンのカフェだった。チェーンのカフェが悪いと言うわけではない。個人で美味しい珈琲を出す店は、あの辺にも沢山あるのに。京都に来たばかりで色々知りたいのならば、なぜその選択をしないのだろうか。
「うーん。やっぱ、若くない?私、来月で30歳だよ」
「私なんて31やで。いや、イケメンやったやん。普通に良い子そうやし。あの子と上手くいって、俊介さんを忘れられるならありやと思うけど」
そうだ。千歳は一浪しているので、もうとっくに30歳になっている。焦りはないのだろうか。やはり聞きたいが聞けない。
「とりあえず、オムレツ来たし食べようか」
この手の店に来ると、必ずと言っていいほどスペイン風オムレツを頼んでしまう。店によっての味の違いはあまり感じたことがないが、それでかえって安定的に美味しく、少ししっかり目のアテに丁度いい。
「愛佳は気を遣ってあまり話さないようにしていたつもりやろうけど、俊介さんの前もずっと彼氏おったやん。誰かいた方が良いのかもよ」
千歳の言葉が胸に刺さる。気を遣っていたことが見抜かれていたなんて。しかも、それでも要所要所でその時々の男の話をしてしまっていたのだろう。二本目に開けたワインのせいもあってか顔が赤くなる。
「別に気を遣わんでええから。私は私で楽しくやってるんやし。これからはそういうこともちゃんと話してくれてええから。ね?」
一歳上なだけなのに、千歳のお姉さん的な優しさが心強い。普段は一人の仲の良い友達として接しているのであまり考えたことはなかったが、ずっと地方公務員という安定した檻の中で恋愛を主軸に生きてきた自分と、人一倍努力してとんでもない倍率を潜り抜けてロンドンに渡った彼女とを比べると、卒業後の成長度合いに大きな違いがあることは間違いない。つくづく、自分のしょうもなさに呆れてしまう。
「ええと思うけどね。恋愛に生きるのも」
アヒージョの油で舌を軽く火傷する。
「何に主軸を置くのかって人それぞれやし。ね。あの金髪の子、イケメンやろ?私も、別に男に興味ないとかじゃないんやで。素敵な人を見たら素敵だと思うし。ただ、あまりのめりこめないだけ」
「うん。私には、恋愛するくらいしかないってこと?」
千歳は優しさで言ってくれているのに、何も持っていない自分は見下されているように感じてしまう。
「そんなん言うてないやん。愛佳が、恋愛以外に興味があることがあったらそっちに進めばよいし、恋愛していることが合っているんならそのままで良いってこと。そんでそれは愛佳が決めることやし。もうこの話やめとこか」
結局、その後この話はせず、福島駅の高架下で飲み直してから終電の阪急列車に飛び乗った。ちょうど、烏丸に着いた時だった。iPhoneが鳴る。
「もしもし。愛佳さん?愛佳さん今どこですか?」
「優樹くん?電話なんて急になんかあった?大阪で飲んでて、もうすぐ家着くとこだよ」
「え。帰ってなかったんだ。もし帰ってたら、こっちで飲みたいなとか思って」
どうやら優樹は帰省中らしい。そう言えば、そんなことを言っていたような気もする。かなり酔っていることが、電話口からでもわかる。周りがガヤガヤしているので、まだ飲み会中なのだろうか。
「ごめん。帰る予定もないや。帰省、楽しんでね」
そう電話を切ろうとするも、優樹の問いかけは止まらない。
「じゃあ、俺がそっち戻ったらまた行きましょう。次は、どこ行きたいですか?遠出しても良いし。あ、俺、運転には自信あるんですよ。あ、すみません、連れに呼ばれてます。じゃあ」
可愛いなと思う気持ちと違和感とが入り交ざる。私はどちらを大切にすべきなのだろうか。優樹からのはっきりした言葉が来る前に、決めておいた方が良いのだろうか。40分間の快速列車では、その答えは見つからなかった。
BANDA
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