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マキショウ(大阪・谷町六丁目)

もっと適当な居酒屋とか、いっそのこと昼間のカフェとかで切り出せば良かったかもしれない。あまり得意でない日本酒に流されてしまった。床には、耕平が脱ぎ散らかした服が散らかっている。危ないから外しなよと言ったネックレスには、tkと刻印されていた。顔も良くて背も高くて、稼ぎも悪くない彼がこの年になってもたった一度の結婚さえしたことのない理由が、こういう小さいところから察せられる。

耕平とは、3ヶ月前、取引先のおっちゃんに、
「カナちゃんも経済なの」と馴れ馴れしく言われ連れて行かれた同経会で出会った。同世代といえば地元の京銀の人らばかりで、懇親会でその輪に入れなかった私たちは自然と声を掛け合った。同い年で、実は同級生だったことに意気投合し、最寄駅も同じで、帰りに少しと天満橋の安居酒屋で飲んで、関係を持ってしまったのが始まりだ。人数の多い経済学部では忘れていたけれど、確かに背が高くてイケメンと言われている男の子がいたことを思い出したのは、3回寝た頃だった。

「カナちゃん、日本酒で良いやんね?」
耕平は、ファッションセンスこそイマイチなものの、美味しいもん好きで飲食店に明るい。カタブツの旦那とはできなかった、仕事帰りの北浜や本町橋での夕食が、いつも楽しみだった。
「うん。あ、七本槍あるやん。うちの地元の。これ好きやわあ」
まがい物みたいな黒壁の建物たちと湖しかない田舎はあまり好きじゃないが、このお酒だけは別だ。あると必ず頼んでしまうところに、私の滋賀県民、いや、湖北の人間としての何かがあるのだろうか。あとは焼き鯖だけが好きだ。

「へー。カナちゃんの田舎のお酒かあ」
ただ、飲み過ぎてはいけない。今日は、関係を終わらすために来たのだ。終わらす、と言っても、言葉で決めた何かがあるわけじゃない。ただ、家が近所で会いやすくて、同じ時に同じ場所に通っていたという共通項があって、お互いに嫌いじゃない、それだけだ。

身体の繋がりなんて、実は1番薄いものなのではないかと思う。1回名前も知らないまましてさよならなんて男女は腐るほどいるだろうし、相手の気持ちに寄り添わなくても隙間を束の間埋めてくれるし、何よりお金でだって買えるのやし。それならしばらくこのままで良いのでは。はっきり言わずに徐々に連絡を減らしていけば良いのだ。彼だって馬鹿じゃないから察してくれるだろう。

10時を過ぎても眠っている耕平の横で、昨日社長に渡された本を読み終えた。本というか、草稿。社長が今度出版するからと言って書いていたものだ。綺麗な寝顔を眺める。31歳にしては幼すぎる。この子は今まで何をしてきたのだろう。適当に遊んでいるだけで、やりたいことや目標、何だって良いけど、そんなものはないのだろうか。彼に本気になれなかったのは、その空っぽさなのだろうか。私も。今まで彼を過ぎ去っただろう子たちも。

「カナちゃんといると沢山食べれて良いわあ。それに顔も可愛いし」
七本槍と一緒に頼んだ炊き合わせが届くなり、耕平が言った。
「いや。耕平くんやってイケメンやん。私、ようやく思い出したわ。一回生の時騒がれてた子がいたって」
「今更思い出したん?」
耕平が改まって私を覗き込む。あの目、そうだ。長谷川さんと同じ目。何の疑いもないようなまっすぐな目。そんな目で見られたら、終わりを切り出せなくなるやないか。

「あ、辛」
「そう?うん、確かに。でも私は余裕」
こんにゃくと鶏の炒め物は、思ったより唐辛子が効いていた。
「いや、辛いって」
「美味しいのに。全部貰っていい?」
食べ物についてのこんなごくありふれたこと。小さいことにまた彼のキャパシティの少なさを感じる。身体以外は、美味しいもの好き仲間という小さい繋がりでしか彼を見れないからだろうか。少しの違和感は、長谷川さんだったらどうだろう。嫌いと言ったパクチー以外であれば、何でも、こういう良い感じの一品を出す小料理屋みたいなお店でだって、美味しいと私が言ったものは全て受け入れてくれて。

私の調子が良くないのに気付いたのか。
「そろそろ行く?」
と耕平がいう。
「最後に、暖かいもの飲みたい」
大阪の冬はそこまで冷えないとはいえ、12月に入り、堪える日も増えてきた。
「うん。締めの汁物やんな?」
たった数ヶ月で耕平はこんなに私のことをわかっているはずなのに。わかっているって何をだ。

蛍光灯の灯りが白い部屋で夜を楽しめないよりは、と思い、私は何も切り出せないまま、店から徒歩3分の1DKに彼を招いてしまった。本当の地獄も天国も何も知らなそうな、同い年の若い彼を。

マキショウ
谷町六丁目
居酒屋

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