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電氣食堂(京都・烏丸)

凄く綺麗な人だなと思った。年は、同じか少し上くらいだろうか。専門学校からもそう遠くない三条烏丸のカフェで彼女は働いていた。
18歳の夏、初めての一目惚れだった。

「ヒデキ、お前離婚したんだって?」
トマトのキムチをつまみながら、森川さんが切り出した。ミョウガが良いアクセントになっているなと味わう。

東京の外資系法人で働く森川さんは、多分同級生で1番の出世頭だ。もっとも彼は大学を出てから専門に入っているから4歳年上で、昔から兄貴的存在だった。コロナも落ち着いてきたし久しぶりにそっち行くからと言われ、会うのは5年ぶりだろうか。すっかり標準語が板についている。そうだ、元嫁の冨美子に出会ったのは、森川さんに連れられて行った木屋町の安いガールズバーだった。
「そうなんすよ。まあよく持ちましたわ」
「でも、冨美子ちゃんずっと専業主婦やったわけやろ?食ってけるん?」
「まあ、あいつはなんとかやりますよ」
冨美子は、沖縄から関西に出てきて、看護学校に入ったけれど、学費の為のアルバイトがきつくて学校に行けなくなって、3ヶ月で辞めたと言っていた。あれは、同情に似た何かだったのか。それとも、自分にもあり得た未来に共感したからなのだろうか。カフェの綺麗な女に軽くあしらわれたその日、俺は初めて会った冨美子と寝て、ついこの前まで養っていた。

「まあでも、俺たちも大人になったよな。女相手ならまだしも、男2人でこんな雰囲気の店選ぶなんてさ。おお、すごい量のシラスだな」
「森川さんなんてもうアラフォーやないですか」
冬なのに日に焼けた肌と白い歯が眩しい。揚げとおろしだからエレベーターなんですという説明を聞きながら、学生時代を思い出す。この辺りは確かに学校から近く、当時から飲食店も多かったが、大人な雰囲気があったし、学生が入りにくい個人店が主だったので、いつも木屋町まで歩いていた。
「でもさ、離婚して良かったと思うよ」
「え」
「冨美子ちゃんとヒデキ、釣り合ってなかったじゃん。しかもお前、今いくら稼いでるか知らないけど、少なくないやろ?子どももいないんだし、いつまでも若い頃の情であの子囲っておくより、もっと上狙えるでしょ」
釣り合ってない。確かに何回か言われたことがあった。仕事が欲しくて無理くりツテを辿って入ったJCの家族ぐるみのゴルフコンペでも。お得意先の不動産屋の社長にも。

「そうっすか?」
生麩の田楽は、1人1つ頼んだ。蓬、あわ、ごまと味がそれぞれ違い美味しい。
確かに、自分でも思う所はあった。冨美子は、周りから羨ましがられるような美人ではなかった。というより、例えば淀屋橋や本町のOLだったら少し浮くような、垢抜けない女だった。加えて、まともな職歴もない。俺が離婚という選択肢を取ったのは、表向きでは子どもを欲しがる冨美子の気持ちに応えられなかったという理由にしているが、正直この女を養うことで人生を終わらせたくないというのも理由の1つだった。

鮭のハラス焼きが運ばれてきた。良い雰囲気ながら、割と味も濃くガッツリしたものが食べられて良い店だなと思う。Instagramでチェックしておいて良かった。そうだ、カナも京都の大学だったと言っていた。今度、京都デートを提案してみようか。
「で、今は良い子いるの?」
どこかのタイミングで聞かれると思っていたが、今かと驚き少しむせる。
「つい最近。彼女ができまして。この年でなんや恥ずかしいですけど」
「おお。いくつの子?どんな子なん?」
「年は2個下で。そうや彼女も離婚してて」
「2個下。30は超えてるんか。もっと若い子いったら良かったのに」
25歳の元モデル。写真だけで見た、2年前に結婚した森川さんの妻を思い出す。コロナで式が中止になって、かなりお怒りだったと聞いた。
「いやいや。同世代が楽っすよ」
「写真ないの?」
iPhoneで、Facebookの検索をスクショしたカナの写真を見せた。
「おお。なかなか可愛いな。これならまあ歳いっててもいいか。やるな」

タコと小芋の炊いたのを食べている時だった。「マスター、お久しぶりです」
「おお!レミちゃんやないか」
どこかで聞いたことのあるような声がした。背の高い、いかにも小慣れた都会風の女が笑っていた。一瞬、目が合った。女は不思議そうに俺を見ている。少し経って、長すぎる髪の飄々とした男が入ってきた。

「どうした?これ、めちゃ美味しいで」
「いや。何でもないです」
脂がのった鰤と豆腐の相性は最高だ。しかし、それを吹き飛ばすくらいの衝撃が走る。間違いない。15年前、ずっと目で追ってた女がそこにいた。男の方も見覚えがある。女と同じカフェで働いていたはずだ。記憶が蘇る。そうだ、あれは冨美子と何回目かに寝た日、高瀬川ですれ違ったのだ。あの女は髪の長い綺麗な男と歩いていて、勤務中には見せないような物憂げな顔をしていた。

電氣食堂(現在は めし処 ぽち として営業中)
京都・四条烏丸
居酒屋

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