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グリルABC(大阪・天満橋)

自分試しの恋だったのだな、と、返事がくることのないLINEの画面を見て思った。

今回ばかりではない、ずっとそうなのだ。

遅めの昼休みはあと30分で終わる。古い喫茶店の2階は、25歳くらいだろうか。若い男の子の集団に占拠されていた。悪そうではないけど、あまりガラが良いわけではなさそうだ。このあたりで普通に働くサラリーマンではないことだけはわかる。

忙しなく走り回るおばちゃんが、薄い卵にくるまれたオムライスを運んできた。こんな日でもお腹は減るのだ。昨日は結局一睡も出来なかった。だからあれほど、毎回、異性に期待するのはやめようと誓うのに、今回ばかりはと期待してしまうのは何故だろうか。離婚して丸2年。季節が変わるか変わらないかの短い期間で男性に振られたのはもう3度目だ。

温かいものが飲みたくて、スープをつけた。オムライスの脇に置かれたそれは、紛れもなく醤油ラーメンの麺抜きで、箸袋に書かれた中華の文字を二度見した。

少し食べてから、またLINEを開く。ここで、自分に気がありそうな異性に連絡したら負けだ。LINEを閉じる。今度はInstagramを開く。かつての同級生たちが、幼い子どもを連れて笑っている。違う世界に来てしまったなと思う。どこで何をどう間違えたか。31歳の私は何もわからない。

ガラの悪い男の子たちが、私の方を見て何かを言っている。綺麗とか、何歳だろう、とか、そんなことだろう。離婚のストレスで10キロ痩せて、ついでに思い切って気になっていた法令線を取った。流行りのパーソナルカラー診断や骨格診断にも行き、どうしたら自分が他人の目に魅力的に映るか研究した。バツイチはモテる、なんて話も聞いたことがあるが、もう30を目前にしていたのに、驚くほど多くの声がかかった。本来の自分とその新しい自分が乖離しすぎていたのかもしれない。

またひとくち、スープに口をつける。しょっぱい。醤油ラーメンだから当たり前だ。朝から4時間、泣かないように耐えた。あまり誰にも会いたくないから、昼休みを敢えてずらして、少し歩いたこの店に来た。

気を紛らわすために、スプーンを持っていない方の手で、今日まだ読んでなかった朝刊をアプリで開いた。人に関するニュースは見たくなかった。ただ経済や社会情勢という、私なんかじゃどうにもならない話だけを適当に流し見たかった。

一面で、日本を代表する音楽家が亡くなったことを知った。その音楽家はあまりにも著名なので、もちろん彼の著作は何作か知っている。
けれど、特別ファンというほどでもなかった。
ただ、大袈裟なことを言うと、これは何か一つの時代の終わりなのかもしれないと思った。

食べ終わると、休憩時間の残りはわずかになっていた。小走りで社に戻って、メールを開いた。全社員宛に、懇意にしていた取引先の社長が亡くなったという知らせが届いていた。彼と仕事以外でしゃべったことはない。確かに最近顔を見ないなというくらいだった。著名な音楽家と同じ病気だった。

著名な音楽家は当たり前に、取引先の社長さえも、私を知らない。
そして私は、こんな日でも社会人のまねごとをして、デスクに向かっている。
何かが変わった。そう思った。
そして、何かを変えなければならないとも。

このたった数ヶ月の甘かっただけの日々を胸の一番奥に流し込むために、眠気覚ましのコーヒーを淹れに立った。

大川沿いの窓際からは、桜が綺麗に散っていくのが見えた。

グリルABC
大阪・天満橋 
喫茶店

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