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ラ・トォルトゥーガ(大阪・北浜)

毎回コースの店だと、芸がないのがばれてしまうと思った。けれど、俺が細部まで知っている女なんて元嫁の冨美子だけだ。冨美子は、記念日などに仕事関係で知ったちょっと良い店に連れて行こうとするといつも嫌がった。私はそんな所にいていい女じゃないから、と。確かに彼女にはこういった店は不釣り合いだった。

「2人だったらこの中から3つ選ぶのが丁度良いって調べてきました」
俺は個人事業主だし、特に仕事納めだとか始めだとかいう概念はないのだが、世間一般で言う仕事納めの前日、カナを食事に誘った。
「北浜まで来ていただいてありがとうございます。ここ、ずっと気になってたんですよね」
「初めてやんな?良かった。カナちゃん美味しいとこ行き慣れてるやろし、いつもどこにしよかって悩むわ」
「そんな肩肘張らなくていいですよ。付き合ってるんやし。それと、好きな店は何度でも行きたいですし」
「良かった。3つかあ。悩むなあ。とりあえず乾杯はワインでいいやんな?」
カナの顔を覗き込む。大丈夫。特に変わった様子はないみたいだ。前回御堂筋を散歩していた時、逃げるように帰っていったので不安だった。

「前菜もお酒に合いそうですね。このパンは残しておいた方がいいんかなあ。オリーブ嬉しいですね。あー、何頼もう。フレンチって久しぶりで楽しみ」
メニューを見渡すも、写真がないのでイメージが付かない。もっと予習してくれば良かった。これまでのデートはいつもコースの店だったし、1番高いものを予約しておけば間違いなかった。仕事関係の食事では、大体相手が用意してくれるし、ここはカナに任せておくのが無難かもしれない。
「遠慮しないで何でも頼んでね。俺、好き嫌いないし」
「じゃあ遠慮なく。この、鴨とフォアグラのテリーヌって絶対美味しくないですか?白子のソテー、これも絶対最高ですね」

テリーヌの思ったよりずっしりしたビジュアルと食感に驚く。鴨とフォアグラ、つまり肉と肉なのだから当然か。隣でカナがずっと「美味しい」と呟いている。シュッとした顔のラインが綺麗でやはり身なりも垢抜けていて、大きな木のテーブルに相席する他の都会風のOLたちの中でもひときわ目立っている。ふと、あの女に似ていると思った。最初から何となく思っていたのだが、思い出せなかった。髪型も顔つきもまるで違うのだけれど、ただ雰囲気が似てるのだ。ちょっと前に京都で見た。レミ、確かそう言ってた。10年以上前、冨美子と付き合う前にずっと憧れていた女に似ている。
「どうしたんですか?ぼーっとして。私、全部食べちゃいますよ?」
すべて見透かしてるんですよと言わんばかりの表情に少し怖くなる。
「いや、綺麗な顔やなあと思って」
「そんなんどうでもいいから、目の前の美味しいものに集中してください」

「はあ~。白子。大きい。幸せすぎますね。やっぱり冬は白子。って、私前も言ってましたよね」
「初めて会った時も言ってたよ。すぐそこの立ち飲み屋で」
白子の下には、タラのソテーが乗っている。店の雰囲気ではわからないが、ここの料理はどれもボリューミーなようだ。周りの客が頼んでいるものもどれも2人前にしては量が多く見える。
「量多いですよね。ここよく来るらしいウチの社長が、大食いのフレンチって言ってました」
カナが笑った。ツンとした顔に見えて、笑うと幼い、そうだ。これもあの女に似ているのだ。

「長谷川さんの好きなお肉来ましたよ」
肉が美味しいのはもちろん、牛の煮込みの下に敷かれた野菜もソースとよく絡みたまらない。
「幸せやなあ。俺、こんなんでええんかなあ」
「いつもお仕事頑張ってるやないですか。いい女と美味いもん食べるためでしょ」
いきなりカナが確信をついたようなことを言い出したので、ワイングラスを持つ手が止まる。
「あ、なんか変なこと言っちゃいました?自分のこといい女とか言ってるわけやないですからね。なんか恥ずかしい」
「いや、いい女だよ。せやな。ここ数年ろくなことなかったけど、仕事放り出さずに頑張り続けて良かったわ」
冨美子との離婚の1年前には母が倒れた。もともと軽い障害があったけれど、それ以降うまく言葉も発せないようになっていた。そこから、父のアルコール量がさらに増えていた。実家のことは心配だが、もうこれ以上家族に振り回されたくない。母の病院通いに便利なようにと、湖のすぐそばの駅からバスで15分以上かかる祖父の頃からの家を手放し、草津の駅前にマンションを買う手続きをしたのもローンを払っているのも俺だ。長男として十分ではないか。この話も、いつかはカナにしなくてはならないのだろうか。どう見ても良いところ育ちのカナに。本人はバレていないつもりだろうが、カナと同じ苗字の県会議員を知っている。出身は、確かカナと同じ長浜だったはず。歳も60過ぎくらいだった気がするから、親子だとしても不思議ではない。

「デザート、せっかくやし食べようよ」
頭の中を悟られたくなくて、カナにデザートを勧める。
「悩みますね~。ブリュレかなあ。食後酒も、なんか行きます?」
どんな店に行っても常連のように溶け込む彼女の佇まいに、満足とともに焦りを覚えた。俺が望んでいたのはこれだったが、果たして今後うまくいくのだろうか。今は良いとして、また結婚とでもなったら。思えば、冨美子といて心地よいのはその辺が合っていたからだった。お互いの過去を洗いざらい話して、傷を舐めあった。こんな人形みたいな何の苦労も知らなそうな女に、俺のことを理解してもらえるとは到底思えない。

「お腹いっぱい。ご馳走様でした」
「カナちゃんいつも美味しそうに食べるから見てて楽しいわ。そうだ、正月は実家帰るん?」
「そうですね。めんどくさいけど、親戚の集まりとかもあるし。長谷川さんは?」
「俺は1日顔出すくらいやな。年末は予定あるん?」
「30日だけなんもないですかね」
「じゃあ、車でちょっと遠く行こうか」
思えば、いつもデートは夕食を共にするだけだった。泊まったのも、付き合うことになった最初の日しかない。いつもより長い時間を過ごせば、また何か見えてくるかもしれない。


ラ・トォルトゥーガ
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