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こちらあみ子/今村夏子


なんか目立つ、というか【特殊性】を全身で発散している人間に出会ったことはありますか。意識せずとも心に触れてくるその人は、周りの空気を良くも悪くも変えていくものです。そんな"ちょっと風変わりな女の子"の物語、今村夏子『こちらあみ子』の読書感想文でございます。


主人公あみ子は普通ではありません。給食のカレーを手で食べ、漢字は書けず、怒られている理由がわからない。要するに、色々と足りない子です。母に失望され、好きな男の子に憎まれ、クラスメイトに蔑まれる。あみ子は馴染もうとはしません。馴染めていない自覚がないから。
あみ子は家庭の、クラスの、近所の、"不調和"そのものだと思います。

我々は周りを見て生きていますから、「このように言ってはいけません」とか「こうしたら嬉しいはず」と意識せずとも考えていて、自分の考える思いやりと相手の考える思いやりはなんとなく共有できているものだということになっています。だから良かれと思ってやったのに、が発生するわけですけれど……。あみ子はあみ子の思う優しさしか知りません。学校で習う道徳的な思いやりや、その場の雰囲気や、言ってはいけないことを知りません。あみ子の母が「弟の墓」を作ったあみ子を拒絶したように、のり君があみ子の愚直な思いを憎しみで返すしかなかったように、理解できない思いは人から弾かれます。調和の取れない人間はいつでも孤立するのです。

あみ子のことを「自由の象徴」と表現するクラスメイトがいます。自由に振る舞うことは、予定調和の世界から外れた人間にしか出来ないことなのかもしれません。私はこのクラスメイトが、教室という閉じられた空間の外側まで見ている気がして何か羨ましいような感情を抱きました。自由を履き違え自分の殻に閉じこもるだけの私に比べ、このクラスメイトもあみ子も外側の世界にいる。彼もまたあみ子とは別の自由を持っている人なんでしょう。


「なんで誰も教えてくれんかったんじゃろう。いっつもあみ子にひみつにするね。絶対みんなひみつにするよね」わからんちんのあみ子にも分かることがあります。学校で蹴とばされる理由や上履きが無くなる意味やおばけの音を聞いてもらえない訳が分からなくても、自分がどこか寂しい気持ちであることくらいは、わかっている。あみ子はお母さんに喜んでほしかっただけ。忖度のない純粋な気持ちというのは、重たい。重たいものは受け取る方も、力がなければ受け止めきれないものです。あみ子はいつか孤独に気づくと思います。持っているべき自由を忘れたり捨てたりしながら成長することは、当たり前のことながらさみしいものですね。調和を望めば孤立が生まれる。もうそんなことは生きていて何十回何百回もやってきているはずなのに、どうしてあみ子の優しさを肯定できないんだろう。あみ子の持っていた奔放さを、私は何歳の時に捨ててきてしまったんでしょうね。
そんなことよりこのセリフ、どうやって生きたら思いつくんだろう。


表紙やあらすじから、平和で温かくてあみ子の天真爛漫さが描かれている物語だと想像して読み始めたのに、数ページ目で感じるした不穏な空気感。素晴らしい作品に出会えたと思いました。まじおすすめ。


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