茫然自失 立ち上がれなくなった映画
現在の都内には名画座の様な映画館はとても少なくなってしまった。
残っているのは飯田橋のギンレイホールなど、5館くらいのものだろうか。
中学生、高校生だった頃、良く名画座に映画を観に行ったものだった。
自分は子供の頃から古い映画が好きで、特に古い日本映画が大好きな、ちょっと変わった子だった。
あの頃観た映画の中で、見終わって茫然として、暫く立ち上がれなくなってしまった映画が3本有ったのを良く覚えている。
まだ若くてピュアだった頃なので、その映画を今観たらどう思うのか解らないけれど、
感動しすぎて本当に立ち上がれなくなってしまったのだった。
愛情物語
https://eiga.com/movie/41743/
本当にピュアだったのだと思う。父親が亡くなった時の場面転換に衝撃を受けたのを物凄く良く覚えている。
彼女と一緒に観たのだけれど、観終わって感動しすぎて、
あまりにも感動を引き摺り過ぎて喋る事も出来ずに、
彼女が怒ってしまったのを覚えている。
未知との遭遇
https://eiga.com/movie/49880/
まだ、FSXとかCGとかの映画があまり無かった頃なので、圧倒的な映像に打ちのめされてしまったのだった。
映像の迫力に茫然自失になってしまった。
ラ・マンチャの男
https://eiga.com/movie/50578/
劇中劇というものの凄さを思い知らされた映画だった。
自分が脚本家になりたいと思ったのは、この映画のせいだったかもしれない。
あの時観て以降、もう何十年も観ていないので、
細かいところまでは覚えていないのだけれど、
「ラ・マンチャの男」を書いたセルバンデス(作家)が町で演劇を上演していたところ、
警察に捕まって、宗教裁判にかけられる為、
牢獄に入れられてしまうところから映画が始まる。
宗教裁判にかけられるという事は、殆ど死刑になる事を意味していた。
裁判を待つ間、牢獄の囚人たちに、お前は何をやらかして捕まったのだ、と問われ、
演劇で説明する事にするのだ。
囚人たちをキャスティングして演劇が始まる。
それが、ドン・キホーテの物語。
物語のクライマックスに差し掛かると、ガラガラガラと鎖を巻き上げる音がフェードインしてきて、牢獄の扉が開くのだった。
牢獄から連れ出されてゆくセルバンデス。
それを見送る囚人たち。
囚人でも有り、また、物語の登場人物でも有る人達の思いがひとつになって、セルバンデスを見送るのだった。
劇中劇の凄さを思い知らされた。
囚人でもあり、登場人物でもある一人二役のオーバーラップ。
この演出方法は、脚本というものの中で最高のものではないだろうか。
シナリオの勉強をすると「シラノ・ド・ベルジュラック」という演劇にぶち当たる。
友人の為にラブレターを代筆する物語。
相手の女性はラブレターを読んで友人に恋をする。
でも、その手紙を書いたのは友人の友人だったのだ、、、。
この脚本のカラクリが大きな感動になる。
映画が終わって、自分は本当に立ち上がれなくなってしまっていた。
凄い衝撃だった。
もう何十年も前の事なのに、今でも鮮明に覚えている。
あの頃は本当にピュアな心を持っていたのだなあと思う。
「ラ・マンチャの男」が舞台で何度も何度も上演されているのは、
やっぱり感動的な物語だからなのだろうと思う。
予告編
https://www.youtube.com/watch?v=NQLYUD1xQ7A
かわいひでとしホームページ
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