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人間の見た目 ポリティカル・コレクトネス

昔、アパレル関係の会社をやっていたので、商品写真を撮影する事が良く有った。

会社を始める前からずっとギモンに思っていたのだけれど、

服じゃなくてモデルがかっこいい、それを見て、かっこいい服、と思って買ってしまう、

というのがアホじゃん、という事だった。

イメージ先行ではない商品写真というものについて、自分なりに色々悩んで、

ここはどうなっているのだろう、という点が解る様な写真を撮る様にしていた。

商品説明もそういう点について書く様にして、こういうのが好きな人には合うが、

嫌いな人には合わない、という様な事をたくさん書いて、

説明やら写真やらが、ごちゃごちゃしてしまったりしていた。

今でも有る所にはたくさん有るのだけれど、服などを平置き写真で販売しているのは、

ちょっとどうかしていると思っている。

しかしまあ、写真は写真、実際に試着して見ない事には完全には解らない。

モデルが凄くかっこいい写真を見てそれを買って、

実際には服自体がカッコいい訳ではないのに、あのモデルになった様な気分になって

自分がかっこいいと思って着ている人も割と多かったりするのだろうかと思う。

かっこいい商品写真を見たら、モデルを見ないで服を見る様にしたほうが良いと思う。

手でモデルの顔を隠して見てみたりしたら良い。

けれど、なるべくカッコ良く見せる商品写真というのは、

或る意味詐欺なのだろうとは思うものの、

まあ、人間なんてそんなもんなのだろう、とも思う。



人間を見た目だけで判断してはいけません、なんて事を言う。

理屈を言えばまあそうなのだろうが、人間って、そういうものじゃないかとも思う。

会った瞬間、なんか感じの良い人だな、とか、

誠実そうだな、とか、

美しいな、とか、

エロいな、とか、

性格悪そうだな、とか、

そういう印象というものは、割と正しい事は多いものだ。

特に、長く生きている人は見た瞬間に解る事は結構正しかったりする。

ただし100%正しい訳ではないので、口に出して言ったり、

それだけで判断したりしない様にするのが長く生きている人なのだろう。


人間の見た目が良いとか悪いとか言う場合、

美女とかイケメンとかそういう事ではなく、凄く整った顔をしているけれど、

どこか性格の悪さが出ている、とか、

すごーーくブサイクなのだけれど、人柄の良さが出ている、とか、

そういう印象というのは、結構当たっているのではないだろうか。


年寄りから見ると、若い女の子がキャーキャー騒いでいるアイドルたちを見て、

なんでこんなものを良いと思ってしまうのだろう、と思う事が良く有る。

確かに整った顔をしているかもしれないが、

性格の悪さが出ていたりするのは気にならないのだろうか。

まだ若いから人を見る目が育っていないから、というだけの問題なのだろうか。


また、性格が良いとか悪いとか言う事は良く有るけれど、それは確かに一面的な事だ。

有る場合はとても良い人だけれど、ある場合はとてもイヤな奴だったり、

人間には色々な面が有るもの。


かなり若かった頃、自分はエッチしたい人とお友達になりたい人とでは、

全然タイプが違う事が悩みだった事が有る。

エロいのと、好感度が高いのとは違う、みたいな感じ。

この感覚って、解る、と言う人と、解らない人は分れるのだろうと思う。

「男は脳でセックスする、女は子宮でセックスする」なんて言葉を聞いた事が有るが、

たぶんそんな感じの違いかもしれない。



広告写真のモデルも、やたらと美女イケメンを使うよりも、

顔はたいして良くないけれど、愛嬌が有ったり暖かさが有ったり、

人間性の良さが見えたりする自然なものが良いのだろう。

ただこの「自然な感じ」も最近は「不自然な自然な感じ」が増えてきている。

白人と黒人と黄色人種を必ず混ぜていたりする、わざとらしさを不快に思う事すら有る。

白人にも黒人にも黄色人種にも、それぞれの文化というものが有る。

それぞれの文化にマッチしたモデルを使えば良いのではないだろうか。

白雪姫を黒人が演ずるというのはちょっとおかしい。


昔、ラッツ&スター(シャネルズ) という歌のグループが有った。

田代まさしさんなどが所属していたグループだ。

彼らは顔を黒く塗っていたが、それを人種差別だと批判する意見も有った。

そうなのかなぁ、あれは黒人音楽へのリスペクトだったのだろうと思うけれど、、、。

黒人から見てどう思うかが大事だろうけれど、それも人によってバラバラだろう。

これは黒人へのリスペクトや憧れを表現しているのです、

と説明すれば納得してくれる人も多いのではなかろうか。


外見、と言えば、エロさ、というものも有る。

人間の魅力のうち、見た目の魅力というものは大きいと思う。

その中で、エロい、というのも魅力の一つなのだと思う。

エロいのは別に悪じゃないと思う。

時と場所だけわきまえれば良いのではなかろうか。

エロいのがダメというのなら、服は全部イスラム教徒ヒジャーブみたいにすれば良い。

エロいのも個性や魅力のうちだと思うが、エロ過ぎる、のはあまり良いと思わないし、

どう、イケてるでしょ、エロいでしょ、と自信満々なのにはちょっと閉口する。

ただこの辺の基準が人によって随分違うのでちょっと困る。

これも結局、人それぞれ、感覚の度合いの違いによって色々なのだろう。


スポーツのユニなどで、エロと絡める問題が有る。

けれど、肉体的な美しさとエロスはかなり関係が有るもの。

さらに身体で表現する様なスポーツや芸術では、

身体の線をきっちり出す服装をする事は多いし、当然の事だと思う。

この辺の感覚も、人によってかなり違う。

ぴっちりしたユニを見て、エロいとしか思わない人も居れば、

美しいとかスポーツや芸術として当然と思う人も居る。

バレエで男性が股間をもっこりさせているけれど、

それは脚などの身体の線をきっちり出す為だと思う。

そういう事に理解が有るか無いかで全然評価が違ってしまう。

自分は身体で表現するスポーツをやっていたので、

身体の線をきちんと出す格好をするのは当然の事だと思っている。

水泳の時の恰好なども、なるべく水の抵抗が少ない様に、面積が狭かったり、

ぴっちりしていたりするのも当然の事だと思う。

これが学校の水泳の授業の時であれば、もう少し身体を隠しても良いとは思うけれど、

今出回っている男女兼用水着なるものを見ると、これで泳ぐの? と思う様なものだ。

上下に服を着ている様な、だぼだぼしたもので、

服を着ていたら泳ぎにくいだろうに、、と思う。

昭和の頃までは、男は上半身裸でそこらへんをウロウロしていても

誰も気に留めなかったけれど、

今では男性の乳首を露出する事すらびっくりしてしまう人も居る様だ。

なのでこれも、要するに人それぞれ感覚が違うという事になる。


ピーターパンだの白雪姫だのの映画で、主人公を黒人にするとか、

映画では必ず色々な人種を登場させなくてはならない、とか、

そういう事が正義であるかの様に行われているけれど、

文化に根差すという事も考慮して欲しいと思う。

日本のドラマには全く黒人が出て来ないのは人種差別だ、と言っていた人が居たが

日本のドラマだから当然で、黒人が登場するとすれば信長の家来の弥助くらいのものだ。

文化へのリスペクトとか、個人の感覚の違いとか、人によってバラバラであって、

自分だけの感覚であんまり他人をとやかく言うべきではないと思う。


「それはルッキズムだ!」と言って批判する人が居るけれど、

そもそも人間は見た目で左右されるものだし、

見た目を良いと思うか悪いと思うかは人それぞれだし、

見た目が良い=素晴らしい人間 ではないのだし、

見た目が悪い=ダメな人間、でもないのだし、

ただ単に、見た目が自分の好みかどうか、というだけの話なのではないのだろうか。



肉食は悪だ、と言うけれど、動物は他の動物を殺して食べる生き物だ。

性別は殆どの場合、オスとメスしか居ないのだ。

人間は見た目によって好感を持ったり持たなかったりする生き物だ。

中世ヨーロッパが舞台のドラマなら白人だけしか出て来なくて当然だ。

昭和時代のドラマなら、みんながタバコを吸っていても当然だ。

女性らしさ、というものが有っても当然、男性らしさ、というものが有っても当然。

シャネルズが黒塗りをしていても黒人音楽への憧れを表現しているのか、

そうなのか、と思えば良いだけの事だと思う。

という基本を踏まえた上で差別をやめましょうという話をしたら良い。


この動画、自分としては圧倒的に右のほうが好感度が高いんですけど、、、


エロス、というのも人間の魅力の重要な一つで有ることは認めたほうが良いと思う
「感じ方は人それぞれ」と思えば良い



正義のヒーローがやってはいけない事、第1位は「見た目がかっこよくない」だと思う


競技とエロ 肉体美

属性というより個人差

本当の目的



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