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便利な機能付き人間 要するに人間性の問題

AさんがBさんに酷い事を言ったら、Bさんが怒ってAさんが殴られた、

という事が有ったとします。

殴られたのは自分が相手に酷い事を言ったからだ、と思うのは正常な事だと思います。

でもこういう場面で、私はあいつに殴られた! あいつはひどい奴だ!

とわめく人を良く見かけます。

それを大声でたくさんの人に訴えて、何度も訴えているうちに、

最初に自分が酷い事を言った事がどこかへ消えてなくなっていたりします。

或いは最初に自分が酷い事を言ったかもしれないが、殴るのは酷すぎる、

と言う場合も有ります。

そうであっても自分が最初に酷い事を言った事実は踏まえなければなりません。

それならそれで、最初に酷い事を言ったのは自分かもしれないが、

殴るのはやりすぎではないか、という話し方をするべきなのです。

いつの間にか自分が一方的被害者であるかの様な話し方をする人を信用は出来ません。


これは法律の話をしたいのではなく、人としての心の持ちようについての話です。

理由はともかく殴ったのは確かだから暴行だと言って平気な顔をしていては

人としておかしい、という話です。

相手がかっとなって殴るほどひどい事を言ったのをまずは認めた上で話をしないといけない。


人間の心の中では法律よりも道徳のほうがずっと上位に有るものだと思いますし、

あるべきだと思います。

相手が怒って殴って来るほどの酷い事を言った事を反省しないのであれば、

その人の言う事はあまり信用できません。


自分が最初に酷い事を言わなければ殴られる事も無かった、ことや、

自分が最初に言った酷い事で相手を傷つけてしまった、ことなどは、

存在しないかの様な口ぶりで相手を批判したりします。

こういう事例が凄く目立つので、世の中の人達はみんな、頭大丈夫かな、と心配になります。


ある人に愛を告白したら断わられたので恨みに思ってころした、とか、

一度金を借りたがまだ返していないけれど、また借金を申し込んだら断られた、とか、

びっくりする様な逆恨みをする人を良く目にします。

自分がこんなに困っているのにあいつは金を貸さない、なんて酷い奴だ、と。

いくらなんでもそこまでアホな奴おるか?と思うかもしれませんが、

似た事例はとても色々な場面で目にします。

イスラエルはガザ攻撃をやめろ! という人が居ますが、

10月7日にハマスが多くの民間人を殺し、人質を取り、女性をレイプし、

殺してからまたレイプし、死体をみせびらかしながらパレードした事は

何処へ行ってしまったのだろう、と思う。

自分の悪かった点が自動的に脳から消去される便利な機能でもついているのだろうか、

と思う。

売春をしていた子たちが「私たちは買われました」と主張しているのを目にした事が有る。

まるで買った相手だけが悪いかの様に被害者ポーズをとる。

売った自分は悪くないのだろうか。

この金額なら売っても良いと思ったその当時の事はすっかり忘れているのだろうか。

昔の様に嫌がるものを無理やり売り飛ばされて売春をさせられたわけではないのだ。

カネ欲しさにやった事をなぜそんなに被害者面が出来るのか不思議に思う。

本当にびっくりする様な理由でカッとなって、

自分の落ち度には一切触れずに相手だけを悪く言う、というのは、

ちょっと頭が足りないのだろうとづくづく思う。

高速道路で追い越されたのでカッとなってあおり運転をした、

などというまるで子供じみた事をする人間も居る。

自分が何を欲しているのか店員が解らないので聞き返すとそれでもう起こってしまって

「土下座しろ」などと言い出すかなり頭の足りない人もニュースで良く見かける。


何か悪い事をした人を注意すると良く出て来る言葉が「だってしょうがないじゃない」だ。

だってしょうがないじゃない、急いでいたんだから、

だって金が足りなかったんだから、困っていたんだから、などなど、およそ理由にならない理由を並べ立てる。

要するに自分の悪い点が自動消滅して消えてしまう便利な機能が付いているのだろうと思う。


私はレイプされた、と記者会見まで開いて堂々と嘘を言った人が居た。

よくもまあ、そこまで堂々と嘘がつけるものだと思うのだけれど、

これもまたそういう機能が付いている人なのだろうと思う。

だってしょうがないじゃない、私はあの人が嫌いなんだもん、という訳だ。

商店から商品を略奪したり万引きしたりするのも、貧しいのだから仕方が無いと言って

正当化するのを聞いても、便利な機能付き人間なのだろうと思う。

政治の世界を見ていてもポジショントークばかりで結局ブーメランが帰って来る野党議員がたくさん居る。

自分だけが正しくて他人は愚か者だと思い込んでいる事自体がその人の頭の足りなさを現している。

LGBTQとかいう事を声高に叫んでいる人達が居るが、それを叫んでいる人達はだいたい活動家と呼ばれる人たちだ。

いわゆる当事者たちはそれを非常に迷惑だと感じている事例が少なくない。

私たちは差別されている、と言うのは活動家ばかりで、当事者は別に差別なんかされてませんけど? と言っていたりする。

ばかばかしい話です。

それをまた企業やマスコミなどが取り上げて、私たちは差別に反対しています、とか言っちゃってくれちゃっていたりする。

何を言っているのだろうか。なんでこんなにバカなのだろうか、そういう企業を見て本当にお気の毒様だと思う。

そんな嘘にすぐ騙されてしまう我我はバカです、と世の中に向かって宣言している様なものだ。

ここまで稚拙な精神を持って世の中で生きていて良いものだろうか。

先日、LGBT活動家の拠点で違法薬物を使用していた事が発覚した事件が有った。

そこの代表が会見で言ったのは、

「イメージとして薬物使用のようなものが性的マイノリティのコミュニティと

紐づけられることはあってはならない」

のだそうだ。

どうしてそこまで上から目線でものを言えるのだろう。

LGBT活動家というのは一体誰を代表しているのだろうか。

当事者から賛同の意見を聞く事は殆ど無く、否定的な意見が大半だ。

要するに、被害者ポジションをとって、

それを理由に公金チューチューしたいだけなのだ、という批判が多くされているし、

実際にそのような団体が補助金などを受けて杜撰な会計をしている事が指摘された。

まるで誰かを代表しているかの様な体裁を取り、それを利用して講師料などを受け取る、要するに利権目的だ。

さらにそれに騙されて賛同してしまう企業やマスコミも後を絶たない。


環境活動家というものが美術館で破壊活動を行ったり、

道路を塞いだりしている報道も良く見かける。

そんな事をして環境問題が解決するわけが無い。

結局は問い詰めて見ると、世の中を混乱させるのが目的で、

暴力革命の様な事を指向するだけの単なる迷惑でしかなく、

さらにそれをビジネスにしてしまっているという事だ。


こういう左翼活動家たちというものは、結局は人間性の問題なのだ、とつくづく思う。

自分は正しい、悪いのは全て「あいつら」なのだ、

と思い込むメンタルを持っているという事なのだ。


その部外者である企業達が騙されて

「我々は差別を許しません」などと広告に使っているのを見ると、もうなんでここまでバカなのか、

と絶望的な気持ちになってくる。

多くのサイレントマジョリティは正しい認識を持っているのに、

なぜウソに騙されてしまうのだろうか、、、。





全てはカネの為 全ての事は利権が理由になっている

教養の無い人々 天井の上が見えない人

活動家という破壊者たち 感謝が俯瞰を生む





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