キツい人々
ニュースとか見ていて、なんだかいつも、逆の事を思ってしまうのはなんだろう。
逆、というのは、加害者が気の毒になってしまったりするのだ。
あまのじゃくなんだろうか、、。
どう考えても加害者が悪いという報じ方がされている場合でも、被害者がきつい事を言ったのかもしれないなあ、とか、想像してしまう事が良く有る。
だって、普段は大人しいとか言われている人が、カッとなって殺した、とか聞くと、そんな風に思ってしまったりするのだ。
政治家の経理上の問題が追及される事が良く有るけれど、政治家本人が帳簿を付けているわけでも指示した訳でもないんだろうな、なんて思って、気の毒に思ってしまったりする。
自分も小さい会社をやっているから、経理なんて、ほんとに悪意を持って重箱の隅をつつけば、いくらでも文句言えるんじゃないかなあと、実感を持って思ったりするのでねえ、、、。
さらに監督責任とか言ったってねえ、実際問題として、何から何まで全部チェック出来るくらいなら人なんか雇わなくていいんだもんねえ。
まあ、法律違反とかあればそれなりに責任は取らなくてはいけないにしろ、ちょっと心情的には気の毒に思ってしまう部分は有るんですねぇ。
女性の地位向上とか社会進出とかの問題でも、なんだか違和感を持つ事が良く有る。
先日テレビでセクハラについて特集をしていたのだけれど、「専門家」が、
「こういう化石の様な人が居るから」と言っていた。
昔は男性上位の世の中だった、そういう世の中で生きてきた高齢者が女性を見下げる様な発言をする、という話の中でだ。
女性に対するセクハラ発言などについて「全人格を否定する様な」ものだと言いながら、「化石の様な人」という言い方には強い違和感を覚えた。
と、ニュースやらなにやらで見る色々な事象、どっちが悪いとかどっちが正しいとかの、その前に、相手の身になって考えてみる思いやりが無いと意味が無いような気がする。
たとえ相手が悪くても、憎しみを込めた言い方で否定するのは間違っていると強く思う。
そういう時代で生きてきた人なので、なかなか考え方を変えるのは難しいと思いますが、女性の地位向上に理解をして欲しい、と、そういう言い方をすればいいのに、と思うのです。
タバコの事でも良く見かけますよね。
昔はさあ、タバコって吸うのが当たり前だったんだよね、そういう時代を生きてきた人がタバコをやめるのに苦労したり、意識の切り替えが遅れたりするのは、ちょっと思いやって考えてみれば当たり前なのでね、言い方に気をつけたほうが
良いと思うんですよ。
タバコはダメだと言うのはいいけど、もうちょっと、少しは相手の身になって同情もしながら言うのが正しいと思うのですよ。
ヘイトスピーチもそうですね。
相手が言ったからこっちも同じ様に言うんじゃダメだと思いますよ。
相手がバカだからこんな事を言ってやがる、と、そのバカと同じレベルに下がってモノを言っては意味無いですよ。
みなさま、今度、残虐な殺人事件とか、何かそういうものをニュースで見た時、被害者が気の毒に思うのと同時に、加害者の心情もちょっと想像してみたらどうでしょうか。
何かしら意味が有ると思いますよ。
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