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べつにダイジョブでしょ?な人々 お天道様が見ている

例えば財布が落ちていて、周りに誰も人が居ない。

誰も見ていないからいいや、ネコババしちゃおう、と。

そう思う人は、他の人もみんな、そう思ってネコババするものだと思っている。

けれど、そうではない人もちゃんと居るのだ。

落とした人はさぞ困っているだろう、とか、

ネコババした事がバレたら自分が困った事になるだろう、とか、考える。

或いは、お天道様が見ているから悪い事をしてはいけない、と思う。


何年か前、テレビを見ていたら「結局はみんなカネだろ?」

なんて言うCMが有って気分が悪くなったことが有った。

そういう人は他の人もみんな同じだろうと思っているのだろうな、と思った。

「平和ボケ」などと言われるが、こういう事もその一種なのだろうと思う。

まあ、大丈夫だろう、という考え。



高級腕時計を預かってそれをレンタルする会社が有ったのだそうだが、

その会社が預かった時計を売ってしまっていた、というニュースを見た。

いくらなんでも、最初からそうするつもりではなかったのだろうと思う。

行き詰って苦し紛れに売ってしまったか何かなのだろうとは思う。

でも、それによって自分がどうなるか、考えて見ればとても出来ない事だ。


色々なケースが有って一概に言えないけれど、個人的に思うのは、

人材派遣会社というのはひどい商売だなあ、ということ。

働く人自体など、どうでも良いとしか思っていない、としか思えない。

人間を売買してしまっているのと大して変わらないと、個人的には思う。


政治家が敵対的な国の人間から、性的な誘いや金銭的な誘いをうけて乗ってしまう、

というのも、なんでそうなっちゃうのだろうかと首をかしげたくなる。

これがまた、政治家だけでなく、官僚やマスコミの人間までハニトラに引っかかって、

まるで敵対国の工作員の様になってしまっている人間がたくさん居る。

自分の国などどうなっても良いのだろうか。

或いは、「まあ、べつにダイジョブでしょ?」くらいにしか思っていないのか。

なぜこんなに緊張感が無いのだろうと思う。


夜、自転車で走っていると、街灯も無く、真っ暗な道を無灯火で

イヤホンをしたままスピードを出して走って来る自転車を時々見かける。

相手から自分が見えないかもしれない、警笛を鳴らされても聞こえないかもしれない、

という考えは浮かばないのだろうか、と不思議に思う。

そこまで考えが及ばないのだろうかと思う。

家の外に出た時には多少の緊張感をどこかに持っているのが当たり前のはずだと思うが、

まったくそれが見られない。


戦争反対と言っている人に「では侵略されたらどうするのか」聞くと、

「私は戦わない」と言う。

ではどうするつもりなのだろうか。

戦わないで降伏したらどうなるのか解っているのだろうか。

占領されても今まで通りの生活が出来るとでも思っているのだろうか。

逃げると言ってもどうやって何処に逃げるのだろうか。

逃げられたとしても今まで通りの生活が出来ると思っているのだろうか。


イスラエルは虐殺をやめろ という人が居る。

戦争自体決して容認できるものではないが、そもそも10月8日に民間人に対して、

大規模な虐殺を行い、人質をとり、人質の女性を凌辱し、さらに死体を凌辱し、

手足を折って死体を見せびらかしながらパレードしたのはハマスのほうだ。

なぜそれを棚に上げて攻撃をやめろと言えるのだろうか、不思議に思う。


役に立たないと解っていて、ただ単に儲かるからという理由だけで、

自然破壊をして太陽光パネルを敷き詰めたり、

敵対的な国の商売に加担したりして儲ける人が居る。

そりゃちょっとマズいだろう、とは思わないのか不思議で仕方が無い。

カネが儲かればそれで良いのだろうか。


「裏金」と騒がれた自民党は、じゃあ、その分寄付をしますと言い始めた。

そうではなくて、その分を納税しろという話だ。

なんでそうなってしまうのか、頭の中がどうなっているのか見て見たい。

テキトウに誤魔化す、という事しか頭に浮かばないのだろうか。


それを追求する野党も、追及しているフリをしているだけで、

自分達に都合の悪い事には決して触れない。

外国人からパーティ券を買ってもらっている話は全く話題に上がらないのが

不思議でしょうがない。

これは野党も触れたくない話だからだ。

そして野党も同様に怪しい金のやりとりをしている。

自民党の、それも「安倍派」の事だけしかマスコミは報じず、

野党にも同様の事が有る事には一切触れない。


とにかく世の中がテキトウな事をしすぎなのだ。

別に大丈夫だろう、くらいにしか思っていないのだ。

今現在の事しか考えられない。

ほんの少し先の未来について考えられない。

今現在得をしても、

ほんの少し未来には破滅が待っている事に考えが及ばないのだろうか。

なんでこんなにテキトウな事が出来るのだろう。

やっぱり平和ボケの一種で、緊張感が足りないのだろう。

やらなければならない事はやらなければならないのだし、

やってはいけない事はやってはいけないのだ。

これは、子供をきつく叱らなくなった事とも関係が有る様に思える。

悪い事をして先生にみつかってしまって、職員室に呼び出される。

もう観念して職員室へ行く、という経験はしたほうが良いのだ。

また、若い時というのは恐ろしくバカな時でもある。

おかしなことをしてしまうものだ。

自分も若い頃の事を考えると思い当たる事がたくさん有る。

バカ者を自重させるには、バレたら怒られる、という抑止力でも良いのだ。

バレたらヤバいと思う習慣が出来ればそれでも良い。


お天道様が見ている、という感覚を忘れてしまった日本人。

結局自分で自分の首を絞める事になる事にすら気が付かないのだろうか。





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