見出し画像

憎しみは何も生まない 議論は勝ち負けじゃない

日本の伝統的な心持ちというのは温厚で優しい所が有る。

死んだらみんな神様仏様であり、「話せばわかる」であり、

慮るという心持ちだ。

「敵に塩を送る」などはその最たるものかもしれない。

日本には「ブーイング」という文化は無いと言われる。

全然無い訳でもなく、

江戸時代の芝居小屋では下手な演技をすると尻に敷いていた紙が飛んできたと言う。

それが今も残っている相撲での座布団投げ。


ただ、面白くない時は黙っているのが基本。

ののしったりはしない。

そういう温厚な態度は一面では長所でも有るし、短所でも有る。

うやむやにして済ませてしまうことで後で痛い目に遭ったりすることも有る。

だから精神の近代化をするにあたっては「正当な批判」は必要な事だ。

戦後の日本ではそういう「合理的」なる考えも広まり、

批判するのは正しい事と考えられている。

しかし、「正当な批判」がいつしか

「正当ではない批判」や「ののしり」になってしまっている面も多い様に思う。

他人をののしる、というのはどうしても好きになれない。

精神の貧困を体現している。

ののしっても何も解決しない。

分断を生むだけだ。


ただ、世界の国々にはそれぞれの文化が有り、日本とは基本的に違う事が多い。

同じ東アジアでもお隣の大陸や半島では、敵に対して、

墓をあばいて鞭打つような文化が有ったり、

自分の利益の為なら嘘を言うのは正しい事という様な考えが有る。

泥棒に物を盗まれた時、日本では「泥棒は良く無い事だ」と思うのに対し、

あちらでは「盗まれるほうが悪い」になる。

どちらが正しいのか、それぞれの立場で話し合ってみても、

たぶん合意する事は無いのだろうと思う。


以前、日韓の学者が歴史問題などについて教科書にどう書くか話し合ったところ、

「日本人はどうしてそんなに事実にこだわるのか」と言われた、という話が有る。

日本人としては、歴史は事実を書くものだと思っているが、

事実などはどうでも良く、自分を正当化する事のほうが大事だというわけだ。

これはいくら話し合っても合意する地点が見いだせないのだろうと思う。


戦争ではなく、話し合いで解決しましょう、という言い方をする人が居る。

もちろん、それが可能なら大賛成だ。

しかし、かなり絶望的でもある。


ここは我々の領土、領海だから入って来るな、

と正当と思われる事を言うとなんと言われるか、というと、

お前たちは我々の領海を犯しているから直ちに出ていけ、

まったく盗人猛々しい、と言われるだけだ。


日本人の考え方では、我々が被害者だと思っていたのに、

お前たちが悪い事をしているのになんだその態度は、

まったく厚かましいと言われるのだ

目から鱗が落ちる心持ちだ。


話し合いで解決、というのはどう考えても無理だと思わざるを得ない。

だから戦争しろという訳ではないが、

力を見せて思いとどまらせることの必要性は強く感じる。

防衛力の強化が必要なのはそういう「抑止力」が必要という事であって、

戦争がしたい訳ではない。



月間hanadaがツイッターでアンケートをした。

安倍さんの国葬に賛成か反対か。

賛成派と反対派がそれぞれ拡散しあって、この手のアンケートでは異例の、

投票総数が60万票という巨大アンケートになった。

ツイッターで時々見かけるアンケートは、殆どの場合、多くても母数が1万程度だ。

それが60万というのは実に巨大だ。

テレビや新聞がやる世論調査も、多くの場合、母数が2000とか3000程度だ。

そもそも統計というのはそういうもので、

サンプルをとって全体数を推測するものだから仕方が無い。

テレビの視聴率なども、全体の数から考えればびっくりするくらい少ないサンプル数だ。

ただ、新聞社がやる世論調査では、かなり恣意的なものが多く見受けられる。

「○○について批判が多いですが、○○をどう思いますか?」

などという設問をする。

或いは、日中固定電話にかけてアンケートを取る、

というのもかなりの偏りを生む原因になる。

日中家に居て、家に固定電話が有る、というと多くが高齢者になる。

なので世論調査の信頼性には眉に唾をつけたほうが良いと思う。



10年ほど前から共産党がネット戦略を強化していて、

ネット上の世論を誘導する為に組織的に動いているのは報道されたところだ。

日本共産党のサポーター制度

だいたいこの人数が20万人前後と言われている。

中国共産党にも「五毛党」といわれるものが有る。



20万人というと、一億二千万から比べれば微々たる数字だけれど、

サンプル数が2000とか1万とかの調査に介入すればかなり大きな力になる。


アンケートなのだから、組織票を入れるのではなく、

実際に何割の人が賛成反対と思っているのか実態を明らかにするのが正しい事なのに、

組織票を入れたり1人で500もの捨てアカを作って投票したりするのはよろしくない、

というのは冒頭に書いた日本人的な考えなのかもしれない。

そんなもん、自分たちが勝利するのが正義だ、と。

けれども、母数が少ないものに組織票を入れてしまっては、

実態とはかけ離れてしまうのではないだろうか。


これは結局、冒頭に書いた「相手をののしる」という文化だと思う。

自分と意見が違う他人を徹底的に潰さないと気が済まない。

徹底的に潰すための批判をし始めると、そこに嘘が混じる。

何でも良いからとにかく相手を痛めつけるのが目的になってしまうからだ。


安倍さんの国葬に反対する人たちの言っている事を聞いてみると良く解る。

モリカケサクラという疑惑が有るというが、確かに「疑惑」だけが有って、

証拠も無く、検察も関心を示さなかった。

「安倍晋三記念小学校」という校名にしようとしていた、などという嘘まで出た。

情報を開示してみたらそこには「開成小学校」と書かれていた。

また、戦争法案を作り、集団的自衛権を進めた、と批判する。

「戦争法案」とは何かというと周辺事態法や有事法制の事をそう呼んでいる。

もし武力侵攻されたらどうするか、今までの日本は驚くべきことにそれがきちんと決まっていなかった。

それを明確にしたものだ。もしあなたが総理大臣だったら、

1億2千万の国民の責任者として、これを決めないままで良いと思えるだろうか。

もし武力侵攻されたら抵抗する軍備を整えておく用意が無くても良いと思えるだろうか、という事だ。

さらに「集団的自衛権」というやつ、これはもうなんで反対するのか意味不明だ。

一国で自国を守り切れないから同盟を結ぶのは当たり前すぎる常識だ。

それによって、力による現状変更をしようとする全体主義国家が我々に手を出しにくくするのであって、

これで戦争を防ぐ事になる。


そういうわけで、他人をののしるのはやめましょう、とか、

調査は正確にやりましょう、とか言っても、しょせん無理なのだと思う。

右も左も、多数派も少数派も全部ひっくるめて国民なのだ。

意見などまとまる訳がない。

だから多数決で決めるんだろうと思う。


自民党の国対がうだうだと野党に忖度しているのを見て、

選挙で多数派を取ったんだからさっさと可決しろ、という批判が出る事が有るが、

まあ、全部ひっくるめて国民なので、ある程度忖度もせにゃならんのだろう。


とにかく、ののしったり、嘘を混ぜた批判をするのはやめましょう。

ましてや殺害予告だの、実際に殺害するだの、とんでもない。


最後に安倍さんの国葬について

法的根拠が無いとの批判 → 法的根拠有ります(内閣府設置法)

弔意を強制されるとの批判 → 誰も強制していません

安倍さんは戦後最長の総理で(選挙で6連勝した圧倒的支持が有った)

教育基本法の改正、安保法制、経済の立て直しなどなど多くの業績が有った。

「インド太平洋」という概念を提唱して世界に大きな影響を与え、世界の首脳クラスが参列する。

規模、体面、警備などを考えれば国葬が妥当であり、国益に合致する。

日本で大規模な外交が行われるのだ。

これだけ妥当な理由が有るので、安倍さんの事を嫌いな人は、ののしるのではなく、静観した方が良いです。

「国葬」は「国葬儀」と言って、「葬式」とは違います。

「葬式」は既に増上寺で済んでいます。




何も言ってない人々


戦争をしないためには

たまには政治の事を知ってみよう

カワイツイッター


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?