熱演から思う、本質と枝葉
文七元結(ぶんしちもっとい)という話が有ります。
江戸時代の落語家、三遊亭圓朝という人が創った落語です。
それが歌舞伎などでも演じられています。
どういう話か、ざっと説明すると、、、
左官の長兵衛さん、博打が好きで借金がかさみ、
それを見かねた娘のお久が、自分で自分を吉原に身売りしてしまうのでした。
それを知った長兵衛さんが急いで吉原の店に行くと、お久がいて、
私が身売りしたこのお金で借金を返して、これからはまじめにやっておくれ、と、50両という大金を長兵衛さんに渡すのでした。
お久、ありがとう、父ちゃんはこれから博打はやらずに一生懸命働いてお金をためて、お前を引き取りに来るからな、と泣きながらその50両を懐にしまって家に帰る途中、、、、
隅田川のほとりで身投げをしようとしている若い男、文七に出会います。
その男は集金した50両という大金を失くしてしまった、
だから死んでお詫びをするのです、というのです。
おまえ、なにも死ななくてもいいじゃないか、働いて返せばいいんだ、
と言っても、そんな大金私には作る事は出来ません、
だから死んでお詫びをするのです、というばかりでした。
50両というのは今のお金でいうと500万円くらいでしょうか。
丁稚奉公がすぐに稼げるお金ではありません。
長兵衛さんは気の毒になって、悩みに悩んだ末、
とうとう自分が持っていた50両をその男にあげてしまうのです。
この話の最後は、ほっこりするエンディングが待っています。
ここで何が言いたいかというと、
まず1つは、この話のストーリーを聞いて、
女性の人権とかなんとか言い出すのは馬鹿げているということ。
昔はそうだったのだから仕方がない。
そして、娘が身売りするという「仕掛け」で物語を成立させているというだけのことで、本質はそこではない、ということ。
2つめに言いたいのは、日本のこういう演劇や落語は、
ストーリーがどうこういうものではないということ。
全て、演技を見るためのものであるということ。
お久の健気さをどう表現するか、とか、長兵衛さんの心の葛藤をどう表現するかとか、そういう所を役者がどう演じるかを見るのが歌舞伎観劇だということです。
自分も「文七元結」は何度か見ていて、セリフまで暗記しているにもかかわらず、歌舞伎座で芝居を見ながら、やっぱり泣いてしまうのです。
既に何度も見た事が有って、ストーリーからセリフまで知っているのに、
この役者の演じ方が素晴らしくて、お久ちゃんが健気で泣けてしまう、
長兵衛さんの気持ちが伝わって来て切ない気持ちになってしまう、と、
それを体験しに劇場へ行っているわけなのです。
なので、ここでストーリーをざっと読んだからといって、
もう見て知っている気になってはいけないのです。
さて、大河ドラマ「いだてん」です。
日本初のオリンピック選手、金栗四三のエピソードに、
昭和の名人と言われた5代目古今亭志ん生のエピソードをからませて話が進みます。
若いころの志ん生さんが無銭飲食で牢屋に入れられてしまい、
そこで、自分を育ててくれた師匠の死を知ります。
牢名主からお前は噺家なら何かやってみろ、
と言われて、師匠への思いを爆発させながら、
渾身の「文七元結」を演じるシーンが有りました。
元の落語の「文七元結」で泣いた記憶とドラマが絡み合って、
森山未來の渾身の演技が涙無しでは見られない名場面でした。
こういう絡ませ方はクドカンの真骨頂なのだなあと思います。
必見の「いだてん」第16話はNHKオンデマンドでどうぞ。
その辺のところを良く書いてくれている記事が有りました。
『いだてん』森山未來の演技が凄まじい “古今亭志ん生”への一歩を踏み出した『文七元結』片山香帆
「いだてん」と言えば、タバコを吸うシーンが多いと批判する人が居るという記事を読んだ事が有ります。
そんな事言ったって、昭和のあの頃、タバコは吸うのが当たり前の時代だった。
会社で仕事をしながら事務所の中でも、電車の中でも、禁煙なのに映画館の中でも平気で吸っていた時代です。
学校の職員室でも、生徒がトイレでも、病院の待合室でも、サッカーの監督がベンチでもタバコを吸っていた。
娘が売春婦として売られてしまう話だからダメだとか、タバコを吸うからダメだとか、そういう枝葉に文句を言わずに本質を見てほしいと、そんな事も思いました。
そして、話の中に出てくる50両という金額。
これは別に50両じゃなくても、100両でもいいし、20両でもいい。
要するに「大金」という事が言いたいだけであって、具体的な数字はどうでも良い事。
大河ドラマの中では「100両」と言っていましたね。
どっちでもいいんですよ。
片手で持って懐に入れられるので演出上都合が良いから50両になっているのでしょう。
ちなみに、1両を現代のお金に換算すると、お米を基準に換算したり、
色々な換算方法が有るので、1両は5万円とも言えるし、10万円とも言える様です。
枝葉に囚われて本質を軽視してしまう人の事を
IYI(知的バカ Intellectual yet Idiot)というのだそうで、
そういう人間が社会のエリートとして官僚として幅を利かせているのがなんともやりきれない。
森山未來さんの熱演に感動したところから、思いは流れ流れて、
そんな所まで行き着いたのでした。
長兵衛さんから50両を貰った文七は、集金した50両は盗られたのではなく、
単に置き忘れただけだった事に気が付きます。
そして、記憶をたよりに長兵衛さんの家へ、その50両を返しに行くのでした。
文七は、元結(ちょんまげの根元を結ぶ紙)の販売方法を考案し、
親方からのれん分けをしてもらい、自分の店を出すことになりました。
そして、お久を吉原から受け出して、文七とお久は夫婦になるのでした。
めでたしめでたし。
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