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2024年の思想①「陰謀論者とは話をしない」

2024年はどんな1年にしたいかと仕事始めにぼんやり考えたときに、「陰謀論者とは話をしない」というのを思い付いた。言語化として陰謀論者は自分の考えとぴったりマッチしているようには思えないけれども、陰謀論者の響きがなんかしっくりきたのでこのまま進めるとする。

陰謀論(いんぼうろん、英: conspiracy theory)とは、なんらかの有名な出来事や状況に関する説明で、根拠の有無にかかわらず「邪悪で強力な集団(組織)による陰謀が関与している」と断定したり信じたりしようとするものである[1][2][3]。この言葉は、偏見や不十分な証拠に基づいて陰謀の存在を訴えているという、否定的な意味合いを持って使われることが多い[4][5]。 「陰謀論」という言葉は、単純に秘密の計画を指す「陰謀」とは異なり、科学者や歴史家などその正確性を評価する資格のある人々の間で主流の見解に反対しているなどの特定の特徴を持つ「仮説上の陰謀」を指すものである[6][7][8]。

wikipedia

wikipediaを読んでみると「根拠が乏しいのに陰謀の存在を訴える」とあり、やはりこうした人とは仲良くしたくないと思った。もっと正確に言うと、仲良くすること自体は可能だしコミュニケーションを取ることはできるけども、意図的に機会を減らしていきたいと思う。(あえて書く必要もないけど念の為追記するとこの文章は特定の人物を対象として書いているわけでは全くないので安心してもらいたい)

出来ることなら仕事中もプライベートもご機嫌で過ごしていたいし、そういった時間を阻害するものは何かと考えていたら「ネガティブな議論に時間を使うこと」に思い当たった。否定的な意見自体は世の中必要だけれども、根拠の薄い陰謀論に付き合っている時間はゼロにしたいと思う。

陰謀論のタネとなる出来事は日常そんなに起こらないので陰謀論者の解釈をもう少し広げると、「変えられないことに対する愚痴をこぼす人」。どういったものが変えられないかと言うと、例えば会社のヒト(経営陣、上司、他部署の人、etc)だったり、過去(あのとき⚪︎⚪︎しとけば良かったのに、etc)。これらは簡単には変えられないし、変えられないものに対して議論すること自体が無益で疲れてしまう。

人間なので愚痴の一つや二つはこぼすことがあるので、愚痴自体は許容である。問題はその頻度である。ある人とと10回会話する機会があったとして、半分以上「変えられないことに対する愚痴」だったなら要注意である。無益な時間も積み重なれば山。ご機嫌な時間もその分減るし、そうなるともう会話しないことに決めた。

私はどうなのかと考えてみると、もしかしたら愚痴をこぼす日もあるかもしれないけれども、なるべく口にしないように心がけてはいる。はず。どちらかと言うと愚痴を聞くことが多いので、愚痴を聞く側の気持ちはよく分かる。体裁として共感しているけども、基本的には「無」の気持ちで聞いている。

みんなどんな気持ちで他人の愚痴を聞いているのか少し気になる。乱暴な言い方だけど、たぶん、あまり真剣に聞いてないのではなかろうか。その時は聞いてたとしても、他人の愚痴の内容を事細かに覚えてる人は少ないはず。

何回か他人の愚痴に対して「こうしたら良いんじゃないですか?」と解決策を伝えたこともあるけれども、愚痴をこぼす人にとって解決策の提示は求められていないらしく、大変不評だった。「聞くこと」自体が求められているらしい。有用な意見は、かえってその人への否定に捉えられる事もあるので、話終わるまで辛抱強く待つことが大事。

話を戻すと「変えられないことに対する愚痴をこぼす人」との時間を減らして、「建設的な意見を出す人」との時間を増やしたい。そう思った1日でした。

他にも「他人と比べない」「毎日積み重ねる」「すぐに手を動かす」など、思想面での目標はいくつかあるので追って言語化していきたい。


今回の言語化には、コーディー・サンチェスさんの投稿に感化された部分もある。ネガティブな意見自体はあった方が良いと思う一方、その頻度が多い人とはアプローチしないことに決めた、という年初の覚書でした。

以上!

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