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society5.0はマッチングのムダを解消するフェーズの話である

Society5.0って知ってますか?簡単に言ったら「テクノロジーがめちゃくちゃ進歩して生活が一変しちゃうぞ!」って内閣府が言ってるって話です。よくある話ですけど、国が出してるってのが面白ポイントですね。まあ、Society5.0についての詳細は最後のリンクを見てください。

この記事では、society5.0がマッチングによるムダを解消して、「考える」ことが完全に今までと違ってしまう可能性があるよってことを書きます。(半分妄想半分本気)

はい、では始めます。

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この図の左下。

Society5.0時代以前(今)は”必要な情報の探索・分析が負担 リテラシー(活用能力)が必要”だったが、Society5.0時代(未来)は”AIにより、必要な情報が必要な時に提供される社会”になると書いている。これは『考える』ことのパラダイムが完全に変わってしまうことを意味します。

情報へのアクセスについて時代を追って考える。

①図書館等がない時代は知りたいことがあっても簡単には調べることができませんでした。知ってる人に聞くとか、経験を積み重ねるとか、非常に困難でした。(ほぼ情報にアクセスできない)→調べることができない時代

②図書館が出来てからは知らないことは図書館で調べればわかるようになりました。①の時に知ることができなかったことを知ることができるようになったという意味では質的な変化でしょう。(数時間で情報にアクセスできる)→図書館時代

③インターネットが登場してからは検索すれば知ることができるようになりました。今の時代ですね。スマホをちょちょいと調べればわかります。②が高速化したという意味で量的な変化でしょう。(数分で情報にアクセスできる)→インターネット時代

④そして、Society5.0時代では検索すら不要です。具体的にどのように提示されるかは不明ですが(個人的にはデバイスはスマートグラスかなあと思ってますけど)”必要な情報が必要な時に提供される”のです。(知りたいと思った瞬間に情報がそこにある)→Society5.0時代

つまり、今までは「これ何だろう?」→(検索)→「なるほど」だったのがSociety5.0時代では「これ何だろう?」と思った瞬間にはその知識についての知識が提示されているのです。イメージできますか?

ちょっと「考える」ってことを机を作るという例えで説明します。

机を作るという例え話。

机を作ろうとしたら「トンカチが必要だ!釘が必要だ!」って途中で思うわけですよ。(トンカチとか釘が情報の例えです。)

で、トンカチが必要だと思ってホームセンターに買いに行くと一時間ぐらいかかるわけですね。で、また釘が必要になって買いに行くとそこでまた一時間かかる。(図書館時代の例え)

これが、家にトンカチも釘もある状態で作業を始めれば、トンカチが必要だと思ったら数分で取りにいける。釘も同じ。圧倒的に作業にかかる時間が減りましたよね。(インターネット時代の例え)

これが図書館時代とインターネット時代の情報へアクセスする速度の違いです。

じゃあ、Society5.0だったらどうなるの?ってことなんですが、「あ、次の作業はトンカチだ。」と思った瞬間、僕の右手にはトンカチがあるんです。「次は釘だな。」と思った瞬間に左手には釘がある。

今までは、(作業)→(取りに行く)→(作業)→・・・だったのが、(作業)のみになるわけです。すなわち、作業が分断されなくなる。

では、これを「考える」に置き換えたらどういうことがおこるでしょうか?

Society5.0における「考える」

(考える)→(調べる)→(考える)→・・・だったのが、(調べる)が不要になり、考え続けることができるようになります。これは、完全に質的な変化で僕にはパラダイムシフトに見えます。

考えている途中にわからないことが出てきて調べることは思考の集中を分断することです。(考える)作業において集中を連続できるか否かは、創作性に大きな差が生まれます。もちろん今の時代でも知っていることの範囲で集中し続けることは可能です。しかし、それは専門分野における十分な知識を前提といたもので一般的ではありません。更に分野横断的に広範な思考はどうしても(調べる)作業が発生していましたが、それすら必要なくなるわけです。そして、そのように「考える」ことが一般的になった世界の「考える」は、今の世界の「考える」とは全く異なるものになります。これは「脳みそで知らないことが見えるようになる」という身体性の拡張によって「考える」ことが全く変わってしまうと言っても良いかもしれません。

この変化は、図書館時代からインターネット時代への変化とは比べ物にならないと考えています。スマホを持ち歩いて誰もが調べながら会話をするような時代になるとスマホ以前は思ってもいませんでしたが、Society5.0時代の「考える」ってのはどうなるんでしょうかね?パラダイムシフト以前にシフト後の世界を知ることは不可能だと僕は思いますが、少なくとも創作性とかそういう次元ではなく、たぶん何か新しい概念が生まれるんでしょう。知らんけど。

以下オマケ。

さて、この時代における「勉強する」とは果たして何なのでしょうか?教師としては、そこに興味がありますが、ここについてはまだあまり考えていないので、またの機会にでも。

(参考リンク↓)

追記

ブッシュとかエンゲルバートとか、このあたりのことがパーソナルコンピューターによって変化する的なことを昔から言ってるっぽいですね。「勉強する」ってことよりも「思考する」ってことのような気がしますが。興味ある方は調べてみてください。

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