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オンラインで今まで通りの教育は提供できない理由について

最近、こんな感じのことを考えています↓

オンラインで「今まで通りの教育」を提供できないのはなぜか?ということ

まずは、この図をご覧ください。

比較表2

これまでの学校では「学校に来て、生徒と会っての教育」というのが暗黙の前提とされていました。(当たり前すぎて意識することもなかったですけどね。)
でも、今はリアルに会うことを前提とすることができない状態です。なのに、たぶん私たちは今までのリアルが前提の感覚で「オンラインの教育とはなんだ?」と考えてしまっているんです。

この前提を間違えると、まったく違う方向に進んでしまうような気がするので、少しまとめておこうと考えたわけです。

オンラインで「リアルに会う」ということの代替はできません。下位互換でよければ可能ですが、「劣化版リアル教育」するのも何だかちがうなあという気がするので、前向きにオンラインでの教育を模索したいと考えているところです。(一時しのぎのにそれを否定してるわけではありません)

というわけで、「オンラインで今まで通りの教育は提供できない」と私が考える理由について少しだけお付き合いください。

1 「リアルに会う」を相対化する

まずはこちらをご覧ください。小さいですね。すいません。笑
(テキトーに眺めてください。後から少し細かく見ます。)

比較表2

今まで、リアルに対して「オンラインにできること」みたいなことを考えがちだったんですが、「リアルに会う」ことを他のツールと同一のものとして比較した表です。
(※プラットフォームはgoogle classroomなど ※オンラインミーティングはZOOMなど ※暫定的な枠組みなのでアップデート必要。たたき台。)

見にくいので、説明を加えていきますね。

2 ビデオ授業が強かった理由

これを書いて、パッと思いついた例で、わかりやすいかなあと思ったのがこちらです。

塾とかで「リアル授業をせずにビデオを見せる」ってのが流行ってたと思うんですが、これは「リアルに会う」ことに対して補完的なツールだったんですね。

3ビデオ授業が強かった理由

非同期性と編集性が高く、ノイズも少ないことからリアル授業に合致しない部分のシェアを「ビデオ授業」が獲得できたのかもしれませんね。

3 オンライン授業はリアルの下位互換

さて、最近よく聞く「オンラインミーティング(ZOOMとか)を使って授業すること」を考えましょう。

表を見ると「リアルに会う」ことに比べて、優れている項目はほとんどありません。つまり、ほぼ下位互換なんですね。

「ペアを作ってねー」とかもパッとできないし、4,5人を超えると同時に会話するのが非常に難しい。場の雰囲気もつかみにくい。

4オンライン授業はリアルの下位互換

なので、「今までと同じ授業」をオンラインミーティングでやろうとするとうまくいかないわけです。いや、下位互換でよければ良いんですけどね。

4 一方的にzoomで話すぐらいならyoutube

「じゃあ、そもそも相互作用のない一斉授業したらいいじゃん。」ってなるかもしれないんですが、それを、オンラインミーティングでやろうとすると何がおこるか?

当たり前なんですが、編集もできないし、エンコードしてないので、ビデオよりクオリティが低いんですね。「まあ、見れますけど・・・」みたいな。

5一方的にzoomで話すぐらいならyoutube

だから、いわゆる一斉授業(生徒は聞いてるだけ)ならZOOMでやるよりYOUTUBE流したほうが良いんですよね。わざわざクオリティ下げてやる必要ないです。


5 「リアルに会う」の代替は不可能

さて、次はなかなか厳しい話になります。

表を見ていただいたらわかるんですが、「リアルに会う」のクオリティに勝るツールはありません。

6「リアルに会う」の代替は不可能

たぶんツールを組み合わせても、「リアルに会う」というツールの”代替”はできないと思います。

「ほなどーしたらええねん!!!!!!!!!!!」

そんな声が聞こえてきそうですね。ぼくも言いたいです。

え?あなたも言いたいですか?じゃあ一緒に言いましょう。

はい、せーの!

「ほなどーしたらええねん!!!!!!!!!!!」

・・・


まあ、そんなこと言ってても何も変わらないので、いろいろやってみるしかないですよね。(だれか良い方法考えてほしい)

6 組み合わせによるDX

というわけで、今の時点でザクっと「組み合わせによるDX」みたいなことを考えています。

ちなみにDXってのはデジタルトランスフォーメーションです。カッコいいから使いました。以下引用(ちゃんと知りたい人はちゃんと調べてください)

デジタルトランスフォーメーション(Digital transformation; DX)とは、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念である。  (みんな大好きwikipediaから参照しました

まあ、何かっていうと、「リアルに会う」ってことを”代替する”って発想じゃなくて(ここ重要)、オンラインのツールを組み合わせることで、まったく違うアプローチの”ナニカ”が生まれるんじゃないのかな。と考えてるってことです。

8組み合わせによるDX

ネトゲとTwitterから、リアルとは違う形で友達ができることをすでに私たちは知ってるんですよね。(私はネトゲ友達の結婚式に行ったこともあるし、SNSから知り合った仲間とオンラインで勉強会することもあります)

ここでは、相互作用性のみを取り上げましたが、「リアルをベースにする」という呪縛から逃れることで、新しい教育が生まれる可能性があると思っています。


7 オンラインには「休み時間」がない


これは、おまけっぽいんですが、わりと重要なのかなと。

7オンラインには「休み時間」がない

オンラインには「休み時間」がないんですよね。授業と授業の間にはさまっている、「あの10分」。たぶんアレが大切なんじゃないかなあというのが私の実感なんです。

なんか、よく聞くじゃないですか。「アイデアってのは会議じゃなくて、立ち話から生まれる」みたいな感じの話。ほんとかどうかは知らないですけど。

そもそもムダ話もできないような関係性から良いものなんて生まれないと思うんですよね。

だから、この辺をうまくデザインしたいなあと思ってるんですけど、この辺はねえgoogle classroomとか、ZOOMとかでの授業デザインじゃないと思うんですよねえ。ゲーム・SNS・チャットあたりの出番じゃないかなあ(ボソッ

おわりに

思いついた瞬間に「コレもしかしたらめちゃくちゃ良いこと思いついたかも!!」とか思ったんですが、書いてみると別に大したことないような気もしてきました。

というか、これは教育に関するエントリーなんですが、実はまだほとんど教育の話ができていないんですよね…

たぶん本丸は「無意識のリアル前提から脱却したときに見える教育の目的とはなんぞや?」みたいなところだと思うんですけど、まだよく考えられていません。

ポツポツポツと頭の中にあるキーワードとしては、「MOOCの修了率・学習者中心主義・アランケイ・エンゲルバート・スケールメリット・コーチング・保育…」あたりなんですが…まだまとまってません…


とりあえず何を考えるにしても、この左の図で考えているかぎり、DXは生まれなくて、右の図で考えるべきだと思うんですね。

比較表2

たぶん左の発想だと、リアル以外のツールは「リアルの補完ツール」になってしまうので、その能力を十分に発揮できないんじゃないかなあって気がします。

ちなみに、その先には「リアルが使えない」世界での教育も見すえないといけないのかなあと個人的には思ってます。
(いや、このエントリー自体がぼくの妄想ですけどねそもそもw)

リアルは使えない


おしまい。


蛇足

このツイートの説明させてくださいw

「リアルに会えないから教育できねえよ」とか言ってもいいんですけど、これから先ずっと「リアルに会うのは難しい世界」に移行すると思っているので、その世界でできる教育を考えないといけないよね。ってことです。この2つの図の話ですね。はい。終わりですw

0リアルを相対化する

リアルは使えない

ありがとうございましたw


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