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12人の優しい日本人 豊川悦司主演ダメキャラの祭典

被告が若くて美しい女性だったため、集いし12名の陪審員は全員一致で無罪にしてとっとと帰ろうとする。
だが、、「ジンジャーエール」、、という美しい女性が事件現場に残した一言が明るみに出ると事態は二転三転。果たして陪審員裁判の行方はそして陪審員の間にひっそりと芽生えた恋の行方は如何に??

もし日本に陪審員裁判があったら?

12人の優しい日本人
1991年
監督:       中原 俊
映画脚本: 三谷 幸喜
出演:   豊川悦司など

2009年から日本でも裁判員制度が開始された。
これはアメリカにおいて陪審員制度といわれているものの模倣である。
それまでまったくといいほど馴染みになかった「裁く」という行為が、日本人にとって身近なものに近づいたのだ。
だが映画の中では「日本に陪審員制度があったら?」という「if」を描いた作品がすでにあった。
しかも1991年の作品であり、陪審員制度が導入された2009年より18年も映画は先んじていたこととなる。

その映画作品が「12人の優しい日本人」である。


今だからこそ、12人の優しい日本人


2009年に日本において裁判員裁判が導入されたと言っても、いまだ裁判員として参加した者は1パーセントに満たない。そのため裁判員裁判がどんなものなのか一般には解りづらいところがある。だがいつ裁判員として参加することになるかわからないのも事実。そこでこの「12人の優しい日本人」で裁判員裁判を仮想体験しておくのがベターなのではないだろうか。


12人の怒れる男のオマージュ

この「12人の優しい日本人」は、アメリカ映画「12人の怒れる男」を元ネタにしている。
12人の怒れる男はアメリカの陪審員裁判を舞台にした作品で、ダイバーシティ溢れるアメリカ人ならではの作品になっていた。
だが日本人にとってはアメリカの中にある「人種分類」マトリクスがわかりづらいため、何をやっているのかよくわからないというのが正直なところだ。

敬虔だが尊大なWASP、陽気で適当なヒスパニック、寡黙な東洋系・・・と言った具合にそれぞれの特性を理解していないと訳がわからない。
それぞれの意見・主張・宗教観がぶつかりあって陪審員制度は一知半解なまま進んでいく。

つまりゴチャゴチャしすぎてして良くわかんない。
アメリカ大統領選挙をめぐる報道を見ていて、そもそもなんでそうなるの、と想うのに似たモヤモヤだけが残る。


優柔不断な日本人達

翻って「12人の優しい日本人」はまったく違う。
日本人の「右へならえ」という国民性が思う存分に発揮され、
あっちにみんなの評決が行ったかと思えば、すぐさまこっちにみんなの評決がいくといった具合に、まさに右往左往二転三転のドタバタ劇となっている。

「被告人の女性が綺麗で美しい」という凄まじいエビデンスを前面に押し出しで序盤早々皆が無罪を主張する。
早く終わらして帰りたいという空気すらも全員がシェアしてしまうのが日本人の恐ろしいところであり、それが見事に描写されており非常に面白く奥深しい。
だが事件現場で女性が発した「ジンジャーエール」という雄叫びをめぐる解釈から、一気に陪審員達は緊迫。

「面白そう」「場を仕切ってみたい」「みんなが緊迫しているからとりあえず・・・」、、
といったさまざまな思惑が渦巻く中で裁判員裁判は進行していく。


三谷幸喜の面目躍如

この12人の日本人はテレビ・映画で活躍を続ける三谷幸喜の舞台が原作となっており、痛快なコメディかつ風刺作品として一級品に仕上がっているのだ。

監督の中原俊氏には悪いが、これは三谷幸喜ワールド全開の作品であろう。
処女作にこそその作者の全てがあると言ったものだが、この12人の優しい日本人こそ三谷幸喜の全てが詰まった作品だといっても過言ではない。


駄目キャラという人間のど真ん中ストライク

三谷幸喜作品といえば「駄目キャラ」。
ダメな人物を描かせたらば三谷幸喜の右に出るものはいない。
この駄目キャラ演出は12人の優しい日本人でも健在だ。
というよりも、陪審員のメンバー全員が駄目キャラであり、どこか「深いダメ」を持っている。
そのダメさがぶつかりあって化学反応が起こるのだ。
これは三谷幸喜ならではの芸当だろう。

先述した「12人の怒れる男」というアメリカ映画が面白くなかった理由の一つは「深い生真面目な思想」だけを描いてしまったところにある。
人間はその半分以上が「ダメさ」で出来ている。
だから人間ないし人間達が創る世界を描きたければ勢い「人間のダメっぷり」に焦点を当てる必要があるのだ。

「12人の怒れる男」はその点で大失敗し、
「12人の優しい日本人」はその点で殊勲を挙げた。
だから12人の優しい日本人はいまも見るに値する素晴らしい作品に仕上がっているのだ。


豊川悦司の出世作

この作品に当時メジャーどころの俳優さんは出演していない。
どこかで見たけれども名前が出てこない、のオールスターキャストだ。
その中でも若き豊川悦司はキャスティングボードを握った存在であり、最後の最後で素敵な働きをする。
極言すれば、最後まで見ると豊川悦司が主人公だったことが解る。

これが豊川悦司のキャリアハイだったといっても言い過ぎではないかもしれない。
そんな秀逸かつ軽妙瀟洒な豊川の演技がキラリと光る。
こういった理由から豊川悦司好きはこの映画を見なければならない。

あまり知られていないし、古い映画なので、豊川悦司好事家でも盲点になっている作品だ。
だから、
だからこそおすすめしたい訳である。



合言葉はジンジャーエール!

事件の鍵を握る「ジンジャーエール」という音声ダイイイングメッセージがこの映画の要諦となっている。
これは観てのお楽しみだが、最終的なジンジャーエールをめぐる解釈も仮説に過ぎず、このジンジャーエール=「?????」仮説が間違っていたらドのつく冤罪で幕を下ろしたことになる。

そう想うと陪審員裁判あらため裁判員裁判というものは恐ろしいものである。
そんなことも考えさせられるため、やはりいま見るに値する作品ではないだろうか。


ありがとう。
では、また逢いましょう。

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