わたしの履歴書(川原 敬史|UZUZ常務)
はじめまして。川原 敬史(かわはら たかし)です。
株式会社UZUZ(ウズウズ)という人材紹介会社で、常務取締役をやっています。
弊社が掲げる「自らと若者がウズウズ働ける世の中をつくる」というミッション。これを達成する一環で、Twitterでの発信も始めました。
このnoteでは私がどういう人間で、これまでどんな人生を歩んできて、何を考え生き、そしてこれから生きていくのかを赤裸々に書いています。
少し(というよりかなり)長くなりますが、お暇な方はお付き合いいただけると嬉しいです。
▼新卒で入った会社を1ヶ月半で退職
1989年、3人兄弟の末っ子として大阪に生まれました。
関西大学経済学部に入学し、勉強やサークル活動のほか弾丸でインドに行ったり、単身ママチャリを漕いで九州まで行ったりと、楽しくも破天荒な大学生活を過ごしました。友人にも恵まれ、とても充実した4年間だったと思います。
元々は学校の先生を目指していたものの、色々な事情が重なり、最終的に教員の道は諦めました。
当時は残念に思いましたが、もし教職に就いていたらUZUZに入社することもなかったので、今となっては結果オーライかもしれません。
私が新卒の頃は、2008年に起きたリーマンショックの影響で就職難が続いていた時期。内定水準も決して高いとは言えず「買い手市場」の雰囲気が色濃く漂う、そんな時期でした。
私自身は、ホームページでたまたま見つけた通信回線を取り扱うベンチャー企業に感銘を受け、入社を決意。
新卒第一期生として無事内定をいただき、やる気十分で大阪から単身上京しました。
ところがいざ働き始めてみると、業務や職場の環境が入社前に思い描いていたものとあまりにもかけ離れていることに気付きます。
そのギャップを払拭できず、最終的にはなんとわずか1か月半でその会社を退職。
早々に夢破れ、やることもなく公園でアコギを弾いては高円寺のBarにしけこみ、お酒を浴びるように飲む無為徒食の日々が続きました。
そんな生活を送っていたせいか、あっという間に貯金は底をつき、次第に家賃を支払うことも苦しくなる始末。最後はどうしようもなくなり、大阪の実家に戻らざるを得なくなりました。
これが、人生で初めて経験した大きな挫折です。
周囲の同級生が新卒1年目として頑張る姿を横目に、実家で何もせず、ただゴロゴロしては時間と体力を持て余す自堕落な日々。そう、この時の私は紛れもない「ニート」でした。
▼「藤本さん」との出会いと別れ
学生時代に話が戻りますが、私が大学4年生の頃、近所の公園に「オス!オス!」という威勢の良いかけ声に合わせて後ろ歩きをするおじさんがいました。
「オモロイおっちゃんおるな〜」と思っていたらふいに目が合い、そのまま声をかけて知り合いになりました。その風変わりなおじさんは「藤本さん」という方でした。
後日、招かれてお邪魔した藤本さん宅は本当にすごかったです。今まで目にしたことがない古典や歴史書、そして様々な小説などの書物が、家中所狭しと積まれていたのです。
そして何より、藤本さん自身が素晴らしい方でした。哲学者だった藤本さんは言葉一つひとつが含蓄に富んでおり、かつわかりやすく、当時ただの学生だった私のこともなんの偏見もなく受け入れてくれました。
ニコニコしながら、様々な哲学や宗教の話をしてくれた藤本さんとの時間はそれは楽しいもので、この時の経験や知識が今の私の土台となっていると言っても過言ではありません。
さて、東京での仕事を早々に辞め、大阪の実家で日がな一日ダラダラしていた私のもとに、ある日突然一本の連絡が入ります。
電話の主は藤本さんの知り合いの方で、要約すると「藤本さんが癌になってしまった。身寄りもいないから身の回りの世話をやってあげてほしい」という内容でした。
やることも特になかったので二つ返事でそれを引き受け、私は病院に通いながら藤本さんの家に入り浸るようになります。
そんな生活を1年続けた頃でしょうか。大量の蔵書から仏教書などを読み漁っていた折、偶然インド哲学に触れる機会がありました。
この時「これだ!またインドへ行きたい!」と根拠もなく開眼してしまった私は、渡航費用を貯めるためアルバイトを始めようと決意。ついにニートからフリーターへのレベルアップに成功します。
結論インドに行くことは叶わなかったんですが、インドに行くためバイトする旨を藤本さんに伝えたところ「そうしよう!そうしよう!」と嬉しそうに応援してくれました。
(そんな面白くて心優しい藤本さんは、この2年後にこの世を去ってしまいます。藤本さんとの思い出は書ききれませんが、私に大きな影響を与えてくれた「人生の師匠」であり「大切な恩人」です)
▼UZUZを通じて再就職に成功
フリーターにレベルアップしたはいいものの、結局アルバイトだけでは大して稼げず、漫然とした気持ちで日銭を稼ぐ日々が続きます。
このままではいけない。そう思っていたある日、大学の友人から連絡をもらったことがきっかけで、私は再び就職活動を行うことになります。その時に利用した転職支援サービスが、今私が働いている「UZUZ」でした。
今だから言えますが、UZUZを利用したのは本当に偶然です。他社の求人サイトにも複数登録していましたし、なんなら最初UZUZに申し込んでいたことすらも忘れていました(笑)。
当初はそれくらいの温度感だったのですが、実際に体験したUZUZでの面談は非常に印象深いものだったなと思います。
面談を担当してくれた今村(UZUZ創業者)はとても気さくに接してくれましたし、岡本(現社長)や御代田(現広報・アシスタント)も企業の選考に向けてみっちり面接対策を仕込んでくれました。
こうしたサポートのおかげで、最終的に大手人材企業から一発内定をもらうことができ、私はついに念願の社会復帰を果たしました。
▼大手人材会社での日々
入社した私が任されたのは、飲食店やサービス業への求人広告営業。担当エリアは東京の下町界隈(上野・北千住・湯島・松戸・葛飾・浅草etc…)でした。
とにかく電話をかけてはアポイントを取り、契約を獲得するために日夜奔走しました。池袋本社近くのシェアハウスに入居し、会社と自宅を往復する日々でしたが、自堕落だったニート時代に戻りたくない一心で必死に働いたのを覚えています。
入社して6ヶ月目には、全国3位の営業成績を達成し表彰を受けました。
働き詰めだったため決して楽とは言えませんでしたが、頑張りが認められ評価されたことは素直に嬉しかったです。
加えてありがたいことに社内の人間関係もとても良好だったので、その後も目標数字を達成する月が続きました。この時初めて「社会人として充実した日々を送っている実感」を持つことができたように思います。
▼UZUZへの転職
UZUZではかつて「内定者飲み会」と呼ばれるイベントが開かれており、当時私もこのイベントに参加したことがありました。
元々UZUZの役員(岡本・川畑など)とは就職後も交流があり、定期的にお互いの近況報告などを行っていたのですが、このイベントに参加したことをきっかけに自分の将来を見つめ直すようになります。
当時働いていた会社での仕事は大変ではありましたが、当然やりがいもありました。ちょうど業務も軌道に乗り始め、ここからさらにステップアップできそうな時期でした。
しかし「本当にそれでいいんだろうか」と思った自分がいたのも事実です。だって、どうせ働くなら刺激的でワクワクした時間を過ごしたいし、できることならもっともっと成長したいじゃないですか。
そう考えた結果、私が出した結論が「事業・社員の人柄が尊敬できるUZUZで挑戦する」というものでした。
UZUZで就活サポートを受けた当初は、まさか自分がここで働くことになるなんて思ってもみませんでした。人生は何が起こるかわかりませんね。
▼UZUZでがむしゃらに働く日々
UZUZ入社したての頃は右も左も分からない状態だったので、持ち前の元気さと明るさを活かしとにかくがむしゃらに働きました。
当時は岡本が直属の上司で、色んな叱咤激励をもらいましたが、私がなんでも「それは伸びしろですねぇ~!」と明るく返事をするので、社内でもちょっとした評判になりました。(岡本にはとても可愛がってもらいました)
また、入社1年目でも臆することなく「もっとこうした方が良い!」を発信し、同時に「ボク一番取ります!!」と言い続けました。(例によって根拠はありません)
その結果、入社2年目でキャリアアドバイザーとして初めて全社で成績一位を達成。カスタマーサポート部門も兼任し、社内の業務改善提案を実施するようになります。
当時はまだ目新しかった企業のLINE公式アカウントを開設し、導入まで率先して働きかけたのもこの頃です。UZUZのプラスになると思ったことはは即行動に移し、とにかく無我夢中で働きました。
入社3年目には、より対外的な活動に注力するようになりました。
“社内の問題”を“社外の繋がりやノウハウ”で解決しようと、とにかく動き回ったことを覚えています。
例えばBNIという団体の異業種交流会に参加したり、早朝6時に渋谷で様々な分野の経営者と会ってお話を伺い知見を広めたり……。
「120の会」という、若手社会人を対象にした働き方改革の組織運営に携わったこともあります。ここではリモートで一堂に会するイベントを企画し、懇親会を開くなど、異業種交流会の開催にも積極的に取り組みました。
またこの当時、都市部と地方の就活情報格差に課題を感じていた私は、新規事業として「YouTube公式チャンネル」の開設も企画立案しました。
今では数万人の方に登録してもらえるチャンネルに成長し、動画コンテンツも日々増えていっています。(私は言い出しっぺなだけで実働部分は何もしていませんが……)
UZUZ初台支店(当時)をオフィススペースとして提供し、週末にシステムエンジニアの方を招いて「プログラミングを学ぶ会」を立ち上げたこともあります。
自分自身でプログラミングの基礎を学ぶと同時に、社内システムの改善も模索しました。
ちなみにこの時勉強会に招いたエンジニアの方が、縁あって今はUZUZで働いてくれています。図らずも良い出会いに繋がったことを嬉しく思います。
▼UZUZ大阪支店の立ち上げに奔走
入社4年目には”大阪エリア”の業績を拡大させるため、UZUZ大阪支店の立ち上げを提案しました。
立ち上げに向けて動き出した当初は、レンタルオフィスや業務提携先の事務所を間借りし、東京と大阪を新幹線で往復する日々が続きます。
約半年ほどして、現在の本町エリアに事務所を借りられるようになってからは、机の組み立てやパーテーションの設置までとにかくなんでも自分でやりました。
大阪支店が本格始動した後も、支店長として求職者との面談を日々重ねながら並行して採用を進め、チームとして働くための組織作りに注力しました。
その後、当初目標としていた成績も無事に達成。初年度を黒字で終えることができました。
翌年以降も私自身がプレイヤーとして、そしてマネジメントの両面で働きかけ、利用者目線を徹底し求職者の内定獲得に尽力しました。
目標数字も継続して達成できるようになった大阪支店は、周囲の支えもあり、UZUZの盤石な拠点となったのではないかなと思います。
ですが何より、大阪で採用したメンバーが自分なりに求職者の方と向き合い、苦楽を共にしながら成長し現在に至っていることが非常に嬉しいです。
▼執行役員としてUZUZ東京本社へカムバック
入社して6年目、UZUZの執行役員に就任しました。
史上最速だの何だのと周囲からは囃し立てられましたが、これまでの経験や実績を最大限評価していただいたことは素直に嬉しかったです。
とはいえ、肩書きやポジションに対しての実感や気持ちが追いついていなかったのも事実です。さすがにこの時ばかりは「本当に執行役員としてやっていけるのだろうか……」と怖気付いたことを覚えています。
そんな矢先、コロナによって世間があっという間に様変わりし、全国的に企業の採用活動がストップしてしてしまいます。
売上高も激減し社内の雰囲気も悪化。東京本社だけで十数名のメンバーが退職し、創業者の1人であった今村も独立してしまうという、UZUZ創業以来の危機に直面しました。
この時は本当にキツかったですが、岡本が言った
「大変な状況が続いているけれど、皆で築いてきたこれまでの実績や成果が消えるわけではない。何より、UZUZが創業以来目指してきた“未来に向かってウズウズしている若者を助ける”ポリシーやビジョンは、絶対に間違っていない!」
この言葉に奮い立たされ、今一度創業時の原点に立ち返りました。
そして自ら本社を立て直すために東京に戻ることを志願し、現在に至ります。
▼UZUZにおける私の役割
東京本社に戻ってくる際、私が掲げたビジョンは一つです。
「タカシ(私)が東京に来てくれて、マジで良かったわ!!」とみんなに言われている状態。これが私の一番のビジョンでした。
もちろん売上達成も重要です。
でもせっかく東京本社に戻るからには、”私にしか出来ないアクション”を起こすことが、社内外のためにも絶対に必要だと感じたからです。
まず一度傾きかけた経営を上向きにするため、自分で言うと少し照れますが「改革タスクフォース」というプロジェクトを立ち上げました。
現場で起きている様々な課題をあぶり出し、明確な“戦略”を立てた上で、社員が迷いなく走れるよう道筋を示したかったのです。
同時に組織立て直しの一環として、パワハラやモラハラの萌芽となる要因や(あってはならないのですが)、上司からの“詰め”が生まれる雰囲気も徹底的に排除しました。
褒めて伸ばす文化作りを念頭に、まずは「自ら」がウズウズ働ける環境を整えたかったのが一番の狙いです。
また事業拡大に向けて新規採用も強化。個性あふれる新しいメンバーを続々とUZUZに招き入れました。
加えて成果を出したメンバーを積極的に部門リーダーに抜擢するなど、社内の変革も手を止めずに行いました。
その甲斐もあり、そして何より皆が同じ方向を向いて一致団結したことで、UZUZの売上高や内定承諾者数は大きく増加。今期は前年比200%近くを達成することができました。
もちろんこれからもUZUZは進化し続けます。
利用者や求職者の方々に対して、UZUZならではの支援やサポートを提供し続けます。
そのためにも社員皆と意見や考えを共有し合い、さらに組織を強化していくつもりです。
▼私とUZUZのこれから
これまで書いてきた通り、私自身1社目をわずかか月半で辞めてしまい、そこから長い辛酸を味わいました。
履歴書に書けるプロフィールとして、本当は空白期間なんてない方がいいのかもしれません。「しなくていい苦労はしたくない」「経歴に傷はつけたくない」という人が大半だと思います。
いま目下取り組んでいることは、まさに私の様な凹凸系人間でも、長所(得意)を最大限に生かし、短所(苦手)を他のメンバーの強みで補える組織を作ることです。
そのために弊社のIT事業部とも常に連携し、あらゆる社内業務フロー改善と見直しを行っています。
「IT化」「仕組み化」「アウトソーシング」の徹底で、“苦手”を気にせず各自が“得意”を発揮できるようにすることが理想です。
求職者を取り巻く雇用環境は常に変化しています。
UZUZだからこそできる人材紹介を実現するために、利用者の立場になり、目先の内定ではなく“その先のキャリアも見据えた支援や提案ができているか。
利用者が納得して腹落ちしているかをトコトン追求できているか。
「UZUZの○○さんに就職サポートしてもらって本当に良かったな」と心から思ってもらえる価値提供ができているか。
今はそういった土台を会社全体で積み上げているところです。
将来的に、利用者の方が転職される際「またUZUZを利用してみよう」と思っていただけたら一番嬉しいですし、そうなれるよう社員一丸となって取り組んでいく所存です。
長くなりましたが、以上が私の「自己紹介」と「これから」でした。
今後もウズウズ働ける若者をもっともっと増やし、自分はもちろん社員も満足度高く働けるよう、できることはなんでもやっていきます!
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